第6話 異世界人

 あっさり殺されるだけなら僕は処刑を待つつもりだった。

 だけど生かさず殺さずのモルモットにされるなら話は別だ。

 罪の内容にもよるが、冤罪は逃げてしまうに限る。

 ましてやこんな、生きているだけで罪人になる世界ならばなおさらだ。


 冷たい石組みの牢屋には月光が差し込んでいる。 

 退路を探して僕は天窓を、扉を見た。

 天窓には到底手は届きそうにはなく、石壁を登れそうにもない。

 金属製の重厚な扉も、こちらからは開けられない扉なのか取手すらない。

 扉の下の方に小窓があるが、僕の体が通れる大きさではない。


 しかし逃げ出したあと、どうするのか。

 元の、現実ですら皆と同じように生活できなかった僕が、右も左もわからない世界で生きていけるとは思えない。

 僕を見ていた老人が、擦れた声で話し出す。


「異世界人は現れたらすぐ捕まえて半殺しにするんだ。

 消えて二度と戻ってこないやつはそのまま放置する。

 だが『ハルト』みたいに何度も行き来するやつは捕まえる」

「何度も?」

「『ハルト』はここ数年、何度か目撃されては消えている。

 今回みたいに捕らえても、しばらくすると消える。

 まるで消える時間がわかっているみたいに、罪を犯して捕まる頃に消えるんだ。

 あいつは最高の嫌われ者だよ」


 数年?

 僕が宇上君に異世界に渡れることを聞いた時、彼は一年前の夏に、蝉を殺してしまった話をしてくれたはずだ。

 確か、異世界で三時間を過ごしていたのに公園で目を覚ましたら三十分しか経っていなかったと話していた。


「今回は、どのくらいこの世界にいたのかわかってるんですか?」

「七日前後だろうと言われているが……その前はもっと短かった」


 僕と宇上君が転落自殺を見たのは現実の世界での二日前だ。

 その後に僕がマンションから飛び降りて、この世界に来た。

 現実で二日すぎる間に、こちらではだいたい七日が経過する。

 まるで浦島太郎の逆のような時間経過だ。


 これは宇上君の場合に限るのだろうか。

 彼は生き物の死を見て異世界に行き、追い出されるように現実に戻って目が覚めると言っていた。


 僕に同じことが起こったら、と考える。

 人間ひとりの死がこの世界での滞在時間の七日に相当するなら、もしも宇上君と同じように元の世界に引き戻されるとしたら。


 多分現実の僕の体はもうぐちゃぐちゃだ。目が覚めることはない。

 戻る体がないなら、僕は浮遊霊にでもなるのだろうか。

 それとも、戻れないのだろうか。


 一週間どころか一日だって処刑ごっこに付き合わされるなんて絶対に嫌だ。

 浮遊霊になるのも嫌だ。

 ならばとりあえず、この世界で生きて死ぬしかない。


「逃げたくなったか?」


 老人が僕を笑う。

 次に異世界人が来て死ねる確率を知るには、今は情報が少なすぎる。


「あの……あなたはどうして僕に話しかけたんですか?」


 彼はなぜ僕に話しかけたのか。

 凶悪犯とされている僕と同じ牢屋にいれられるからには、彼も死刑になるレベルの犯罪者なのだろう。

 それでもこの世界の人が異世界人を嫌悪、あるいは恐怖しているなら、僕に話しかけようなんて思わないはずだ。


「その方が『面白そう』だったからさ」


 うつむいた老人がかぶっていた毛布をゆっくりと外して僕に投げる。


「わっ、ちょっと、何する……ぐっ!」


 頭に被された毛布を取り払おうとした腕ごと外側から縛り上げられた。

 紐のようなものが毛布ごと僕を巻いて締め上げ、不意に引っ張り上げられる。

 早速拷問にかけられるのかと僕は恐怖した。

 やめろと叫んでも布の中でくぐもる声に返答はなく、そのうち足が浮いて、食い込む紐で体が千切られそうな痛みに喘いだ。

 体のあちこちを石壁にぶつけながら僕はどんどん引き上げられていく。


 やがて体が横にされ、草のにおいがした。

 外に引きずりだされたらしい。

 毛布にくるまれていない足が、冷たい外気と石のような質感のものに触れた。


「ひゃあ!」

 

 足首のあたりに突然何か液体がかけられて悲鳴をあげてしまう。

 すぐに背中を軽く蹴られ、僕は慌てて口を閉じる。

 足元も布でくるまれて、なにかに乗せられて僕は連れ去られた。



 僕を乗せた何かは舗装されていない道をずっと進んだ。

 こんな状況だというのに何度か異常な眠気に襲われたものの、不規則に跳ねる地面に合わせて僕は頭をぶつけて目覚める。

 それを何度も繰り返していたが、速度が落ちて揺れがおさまった頃に僕は眠ってしまっていた。



 右腕に何かがあたる。

 激痛を感じて僕は薄闇の中で目を開く。

 体をよじろうとするが動けない。

 左手で右腕を触ろうとしても届かない。

 右手を握り込み、右腕だけでも動かそうとしても、なぜかそこに感触はない。

 なんとかそちらを見れば、そこに腕はなかった。

 悲鳴をあげたつもりが声は出ず、混乱しているうちに今度は左腕に何かがあたる。

 右足、左足……なぶられるように僕は消えていく。

 声を出しても出さなくても消されるのだ。

 ならば最初から、消えているふりをしなければ。

 痛みのない場所は、僕のいる世界のどこにもない。

 それでも恐怖は僕を叫ばせる。



 叫びたいのに声が出ない。

 脳は眠っているのに体は起きている金縛り状態だとわかっているもどかしさに苛立ちながら、なんとか僕は飛び起きた。

 

 体はあちこち痛いが、パンを焼く甘い匂いがする。

 少しだけ湿気た土と木の香りがするログハウスのような小屋の中に僕はいた。

 床板の上に毛布をかけられて部屋の隅で寝かされていたらしい。


 室内には四人がけのダイニングテーブルと、その右側に小さなピザ窯のようなものがくっついたかまどがあった。

 鍋が火にかけられ、スープのようないい匂いがする。

 鳥の声や小雨以外の物音はせず、人の気配もない。


 僕の正面と左右の壁にはそれぞれ扉があった。

 ここがどこかわからないが、昨日のことを思えば逃げた方がいいだろう。

 この世界の人が異世界人を食べないとは、あの老人も言ってなかった。

 

 どの扉から出るのが正解か。

 あとで必ず返しにくるから、武器になりそうなものがあれば借りていきたい。

 そう考えて室内を見回している僕を、鍋のふきこぼれる音が遮った。

 痛む体を叱咤して立ち上がろうとして、足首が縄で縛られていることに気づく。

 なぜか腕は自由だったので壁伝いに立ち上がった。


 かまどなんて使ったのは林間学校のキャンプ実習以来だが、確か薪を崩したり出してやれば調節できるはずだ。

 かまどの脇に火ばさみを見つけ、僕は両足を縛られたまま小さく跳ねて近づいた。

 だが僕の運動神経は、とても良くない。

 鍋の中に自ら飛び込みはしなかったものの、かまどの手前でつまづいて床に転がった。

 ほど近い頭上で鍋が揺れる。

 なんとか足首の縄を解こうとしても固く結ばれていて全然解けない。


「くそっ……」


 そうこうしている間に吹きこぼれがひどくなり、もうもうと煙があがる。

 僕は床を転がって離れた。

 部屋の真ん中あたりまで逃げたところで、大きな音を立てて扉が開いた。


「やだ、なんで!」


 殺される、と怯えた僕は、その声が少女のものだと気づいて緊張を緩める。

 顔をあげるが、さらに吹きこぼれた鍋の水蒸気で彼女の顔は見えなかった。



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