第7話 少女

 真っ白な煙の向こうから現れたのは異世界モノお約束の可愛らしい少女だった。

 一つにまとめられた色素の薄い柔らかそうな長い髪、健康的な白さの肌、大きな空色の瞳。

 ファンタジー映画なんかの世界に出てくる心優しいヒロインそのものの彼女はメイラと名乗った。


「ワタルさんは、本当になにも覚えてないんですか?」


 鍋の中身だった温かい野菜スープと焼きたてのパンがテーブルに並べられ、彼女と僕は朝食をとっていた。

 毒などが入っている可能性も考えたが、パンは一つの皿に盛られたものをそれぞれとっている。

 スープは同じ鍋に入っていたものを彼女もすすっていた。

 器に毒が盛られていたら……と気づいたのはバターのような優しい匂いと空腹に負けて口にした後だった。

 両足を縛られていた理由を「ケガをしたまま動いたら危ないから」と説明され、丁寧に解いて軽く手当する手つきに彼女を信用してしまった……のかもしれない。


 ちなみに僕は彼女の斜向いに座っている。

 現実でも話したことがないような美少女と向き合ったりなんかしたら僕は窒息してしまう。彼女は快く承諾してくれた。

 美少女の笑顔というものは画面越しに見るべきものだと思った。

 直視すれば心臓が一瞬止まる魔法がかかっているに違いない。


 しどろもどろになりながら、僕は気づいたら『ハルト』の仲間として異世界人扱いされ、牢屋の中にいたのだと説明して僕も下の名前だけを名乗った。

 この世界の人の名前がどういう形式なのかすらわからないうちは下手なことを言わないほうがいいだろう。


「あの、メイラさんこそなんで僕を家に上げてるんですか?

 ご家族は……?」

「メイラ、でいいですよ。

 兄と住んでいますが、隣の国に出稼ぎに出ていて今はいないんです。

 ……ワタルさんは、どうして私が家に上げたと思いますか?」


 じっと見つめられながら質問を質問で返されて困惑する。

 パンを飲み込んだ僕の喉が鳴った。

 彼女は僕を異世界人だと知っていて尋ねているのだろうか。


「あの……」


 弱々しい声がもれ、なぜか僕はうつむいてパンを千切った。

 僕を見ていた彼女は吹き出して笑う。


「あなたが私を助けてくれたから、誘拐したんです」

「え?」

「処刑場を通りがかったら酔っ払いの人たちに連れて行かれそうになったんです。

 そこにワタルさんが突然現れて、助かったんですよ。

 お礼も言わずに逃げ出しちゃってごめんなさい。

 ありがとうございました」


 姿勢を正した彼女は屈託ない笑顔で僕に頭を下げる。

 直視してしまった僕の心臓はまた一瞬止まったはずだ。


 逃げ出したのだとしても、あの場にいたのなら僕が異世界人であり罪人として囚われていたことはわかっているはずだ。

 ただお礼を言うためだけにさらってきたとは思えない。


「あ、お鍋もなんとかしてくれようとしてましたよね。

 それも、ありがとうございます」


 軽く握った片手で口元を半分隠した微笑で告げられる追加のお礼。

 僕が見てはならないものを見た僕は、顔ごと窓の方へそらす。

 パンとスープを口に突っ込んで、喉を詰めて咳き込む。

 彼女への猜疑心はどんどん薄れてしまっていた。


「ワタルさん、大丈夫ですか?」


 席を立って僕に近づこうとする彼女の気配に体が強ばる。


「だ、大丈夫、大丈夫なので、ほうっておいて下さい!」


 僕の背中に触れようとした手が止まる。

 止まったけれど、その手は僕の背中を軽く叩いてさすった。


「変な方向向いて食べるからですよ。

 それとも本当は美味しくなかったですか……?」


 すぼむ声に僕は首を振る。


「いえ、美味しかったです、あの、手……」

「すみません、つい」


 ようやく離れてくれた彼女が席に戻り、僕も彼女の手元を見るようにした。

 少し乾燥していて、小さな傷がたくさんついていた。

 水を飲んで、しばらく沈黙したまま食事を進める。

 ときどき彼女の長いまつげやきらめく髪の筋を盗み見みて、何度も呼吸を整えて、言葉にすることを頭の中で何度も復唱してから僕はようやく口を開いた。


「あの、だったら僕が異世界人だとご存知なんですよね?

 助けてもらってごちそうもしてもらって、僕のほうこそありがとうございます。

 迷惑をかけたくないので、すぐ出ていきます。ありがとうございました」

「ワタルさん、この世界の人みんなが異世界人を嫌ってるわけじゃないんですよ」


 僕より少し年下に見える見た目よりずっと落ち着いた口調で彼女は言った。


「雨も降ってますし、こんな田舎まですぐにお役所の方が来ることもないでしょう。

 粗末ですけどお風呂もありますし、よかったらあとで使って下さい。

 お願いしたいことがあるんです」


 微笑む彼女がなぜこんなに僕を厚遇してくれるのかはわからない。

 もしかしたら本当に、有名な某料理店のお話みたいに、僕はたべられてしまうのかもしれない。

 それでも仕方ないと思った。

 今まで使う必要も予定もなかった脳内回路のボタンを押された僕は、彼女のお願いを叶えたかった。


 お風呂を借りたあと、彼女は足首以外の傷の手当をしてくれた。

 おおよそ健康的な男子高校生の体ではない自分の体を初対面の女子に見られて触れられるなんて、いっそ殺してほしいほど恥ずかしかった。

 けれど、彼女が貸してくれるものを汚してはいけないと思い、耐えた。


「兄の服、ちょっと大きいけど、着られそうですね。

 少し干してたんですけど湿気臭かったらごめんなさい」


 そんなことないです、助かります、何から何までありがとう。

 そう言いたい口から出たのは、


「……す」

 

 だけだった。

 笑っている彼女の顔を見なくていいように、真っ赤になっているだろう僕の顔を見られないように頭を下げて言えたのがそれだけなんて情けなかった。

 子供だってお礼くらいちゃんと言えるだろう。


 すん、と少しだけ湿気の匂いが残る大きなシャツの匂いをかぐ。

 誰かに触れられるなんていつぶりだかわからない肌の上に、彼女の指先や手の感触が残って消えない。

 それでも彼女が離れたことで、僕は少し冷静さを取り戻した。


 服が湿気てしまうほど、この服の持ち主はこの家に帰ってきてはいない。

 それは本当に「一緒に住んでいる」のだろうか。



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