第2話 宇上陽人
背の高いイケメンで性格も明るく、サッカー部のエースらしい。
女子たちが噂していた、文句なしの上級生徒だ。
誰とも話さずに帰宅する日も珍しくない僕が彼と話すことなど、未来永劫ありえるはずがないと思っていた。なくてよかった。
「部活の練習してたら人影が見えたからさ。
先週も昨日の放課後も見たから、幽霊だったら話のネタになるかなって確かめに来たんだ。
何してんの? 部活入ってたっけ?」
幽霊じゃなくてすいません、土日も登校している帰宅部です。
心の中で僕は呟いて、宇上君から目をそらす。
ペットボトルやメロンパンを鞄に押し込み、机においていた本も手にとって出ていく準備をする。
「邪魔してたならごめん、僕はもう帰るから」
「誰にも言わないし見なかったことにするって。
「……僕と話してもつまらないよ。部活、いいの?」
「今は昼休憩中。
てか、しゃべったことないのに面白いとかわかんないじゃん」
僕の名前だけでなく、話したことがないことまで覚えてるのか。
僕はクラスの人より物語のキャラクターの名前の方が多く覚えている。
「天橋、そういうの読むんだ?」
宇上君が微笑んだまま僕の手元を指差す。
僕が読んでいたのは異世界転生モノのライトノベルだった。
今どきこうしたアニメオタク的な趣味も珍しくない。
それでも陰口のネタにする奴はする。
宇上君がそうかどうかは知らないけれど、これはそうした探りなのだろうか。
「……目についたものを適当に読んでるんだよ。
僕は出ていくから、宇上君も戻りなよ」
「いっつもスマホでもずっと何か読んでるし、天橋って読書家で賢そうだよな」
うるさいな、もうほっとけよ。
喉まで出かかった言葉を飲み込む。
誰からも称賛される優等生の褒め言葉に僕は自分の惨めさを思い知らされる。
消えてしまいたくなる羞恥心を押し殺し、宇上君と目を合わせずに鞄を閉じて立ち上がった。
宇上君も立ち上がり、なぜか僕の進路を塞ぐ。
「あの、通して……」
「なあ、天橋は異世界ってあると思う?」
何言ってるんだコイツは。
品定めをするように僕を見下ろしていた宇上君を僕は思わず訝る。
宇上君は目尻を下げ、口角を少し上げて笑みを深くした。
柔らかく喉を握られるような圧を感じて、僕は答える。
「……あるわけない、だろ。そんなの。……宇上君?」
宇上君の顔が元の、明るい好青年の笑顔に戻った。
かすかな違和感があったものの、僕は無視した。
「みんな俺のこと名前で呼ぶし、天橋も『陽人』って呼んでよ。
俺も名前で呼んでいい?」
「絶対に嫌だよ。それより、」
不意にLINEの通知音が鳴った。僕もつい、鞄を見てしまう。
当然だが鳴っていたのは宇上君のスマートフォンだった。傷一つないそれをポケットから出し、数秒で返信して、また僕に笑いかける。
「俺さ、異世界行けるんだよ」
「何言ってるの?」
この場を立ち去りたい焦燥感からか、頭に浮かんだ言葉がそのまま口から出てしまった。
僕は慌てて自分の手で口を塞ぐ。
「いや、その、ごめん」
「だよなぁ、普通信じないよな。俺もしばらく信じられなかったし」
冗談めかして宇上君は笑う。
僕は少し心配になった。
そんな妄想をしなければならないほど、彼はストレスを抱えているのだろうか。
もしかしてそれで友達がおらず言いふらしようのない僕に目をつけたのだろうか。
……でなければ、僕をあとで笑いものにするための嘘だろうか。
「夢見が悪い、とか、そういう話?
それなら僕より保健室の先生とかに相談したら?」
「違うって。あっちの世界、異世界に行ってる間は確かにこっちの俺は寝てるんだけどさ、ちゃんと全部覚えてるんだ。
世界観は時々変わるけど、夢と違って思い通りに動ける。
でも異世界転生モノの話と違って、強制的にこっちに戻されるんだよ」
それは明晰夢というやつじゃないのか、と言いかけてやめる。
僕のわずかな好奇心が顔をのぞかせてしまったのだ。
「……宇上君、異世界転生モノとか読むんだ」
「
そのシリーズも何冊か読んだ」
僕の鞄に入りきっていない本を宇上君が示す。
名前で呼ばないでほしいことを伝える前に、彼は話を進めてしまう。
「でさ、異世界転生って主人公が事故で死んだり元の世界に帰れなくなったりして、異世界で生きていくって話が多いだろ?
だから俺も試したんだ」
「試したって、なにを?」
聞かなければいいのに、僕はつい尋ねてしまった。
やけに具体的な宇上君の話、そして僕の低すぎる対人会話スキルが残念な化学反応を起こしてしまった。
「家の屋根から飛んでみた。
なぜか擦り傷だけですんだけど、普通に地面に転がってたよ」
それは自殺未遂ではないのか。
宇上君にはやっぱり、専門機関への受診が必要だろう。
「……あのさ、僕みたいなやつが言うことじゃないけど、病院行ったほうが良いと思うよ」
つい早口になる僕を、雑談しているときと変わらない様子で宇上君は笑う。
宇上君は大丈夫じゃない。
これ以上、聞いてはいけない気がした。
「頭はどうもないって。
異世界があるなら自由に行き来してみたいって思ったんだ。
それで異世界にいく方法を調べてたら、わかったんだよ」
「そうなんだ。そういうのは僕よりちゃんと聞いてくれる人に」
「俺は何かが死ぬ瞬間を見ると、とべるらしい」
本を押し込んで鞄の口を閉じた僕の手を、宇上君が緩く掴んでいる。
思わず払い除けて宇上君を見ると、ふっと笑い出した。
「なんて、嘘みたいだよな!
俺も去年の夏、庭でうっかり死にかけの蝉を殺したときに異世界に行ってて、びっくりした。
あっちでは三時間過ぎてるのに、こっちでは三十分公園のベンチで寝てただけ。
夕方の日陰じゃなかったら熱中症になってたよ」
それは話のオチなのだろうか。
反応に困った僕は、そうなんだ、と曖昧に濁し、相変わらず笑顔のままの宇上君を今度こそ押しのけて教室を出た。
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