第76話捕虜サキュバス

銀糸ミスリルのローブの懐からパラケススの杖を取り出すと雪はそれを振り上げ、空中に複雑怪奇な紋様を刻む。

「ソーレミュソーレミュソーレミュ。イーフリートよかの者を捕らえよ。炎の牢獄ファイヤープリズン!!」

雪が呪文を唱えると咲夜ちゃんの周囲に炎の鉄格子が発生する。

皮膚がピリピリするほどの熱を感じる。


キャアアッ!!

咲夜ちゃんがさらに悲鳴をあげる。

これはいくらなんでもかわいそうだ。

咲夜ちゃんの白い肌がみるみるうちに赤く腫れていく。


「ちょっと雪、やりすぎよ」

慌てて、麗華が雪を阻止する。

時すでに遅く、炎の牢獄はじわじわと咲夜ちゃんの肌を焼いていく。

「止めないで麗華さん。咲夜ちゃんは私たちから燐君を奪おうとしたのよ」

目を真っ赤にして雪は半狂乱で叫ぶ。

いつも冷静な雪がこんなにとりみだしているなんて。

それほど僕のことを思ってくれていたのか。

雪のような美少女にそこまで思われるのは感無量だが、このままでは咲夜ちゃんが焼け死んでしまう。

あれっ、僕はずっと石川咲夜を咲夜ちゃんと呼んでるな。

夢の中で数ヶ月もそう呼んでいたから仕方ないか。

その時の記憶は僕の脳内に明確に刻まれている。

「止めてあげてよ、雪。咲夜ちゃんは君の幼なじみだろう」

僕は雪の肩に手をかける。

「まったく雪が取り乱すから私が焼きもちやけないじゃないか」

麗華がやれやれとため息をつく。


「私からもお願いです。このままでは屋敷にも炎が燃え移ります」

シスターアラミスが言う。

アラミスの言う通り、炎が屋敷に燃え移りかねない。

どうやら今のところ雪が炎を操っているのでその心配はなさそうだが。

「わ、わかったわ……」

雪はパラケススの杖を左右にふる。

するとどうだろうか、紅蓮の炎を発していた牢獄はきれいに消えてしまった。


「アヴィオール、雪を別の部屋に連れていってくれないか」

僕はアヴィオールに指示する。

雪は完全に我を失っている。また、あのような暴挙にでるかもしれない。

そうなると咲夜ちゃんと冷静な話ができない。

僕のことを思っての行動はうれしすぎるが、ここは一度席を離れてもらおう。

しかし、雪がここまで感情的になるなんて。


「咲夜ちゃん、君が敵意がないのはわかっている。でも約束して欲しい。ここでは僕の仲間たちに手をださないで欲しい」

僕は咲夜ちゃんに言う。


「うれしいわ。私のことをまだ咲夜ちゃんって呼んでくれて。もちろんよ、燐太郎の仲間たちには一切手をださないわ」

咲夜ちゃんは言う。

僕はその言葉を信じることにした。

その根拠はあの夢の中での生活だ。

あの時の記憶が僕に咲夜ちゃんへの感情を特別なものにしている。


僕はアラミスにお願いして、魔法陣を解除してもらった。

「了解しました。それではアマノイワトを解除します」

アラミスは複雑な手印を何度か結ぶと光の魔法陣は跡形もなく消えていった。


僕はさらにアラミスにお願いして、咲夜ちゃんの傷を癒してもらう。

ウェズンを呼び、咲夜ちゃんのために水を用意してもらう。


咲夜ちゃんを椅子に座らせ、彼女の体に毛布をかけてあげる。

何せ咲夜ちゃんは素っ裸だったからね。

夢の世界で何度も見たことのある裸だけど、やっぱりサキュバスだけあってエッチな体をしている。


「ありがとう、燐太郎」

咲夜ちゃんはそう言い、冷たい水を一口飲む。

ウェズンは僕にも水をコップに入れてくれたので、それを飲んだ。

冷たい水が体中に染み渡る。

「僕はどれぐらい眠っていたんだい?」

麗華に訊く。

「まる二日は寝ていたわ」

麗華は答えた。


そうかあの数ヶ月の夢のような生活はこちらでは二日だけだったのか。

そういえば時間の流れは計測者によって変わるというのを聞いたことがあるな。


「あの世界はいったいなんだっんだい?」

僕は咲夜ちゃんに訪ねる。


「あれは三千万世界の一つよ。可能性の世界の一つ。もしかしたら存在したかもしれない世界線。私は因果率を変えるベヘリットの種子を燐太郎に飲ませてあの世界に連れていったの」

咲夜ちゃんは言う。


世界の数は選択の数だけあるという。

あの世界では麗華ではなく咲夜ちゃんを選んだ世界だということだろうか。


「私、わりかし本気だったのよ。あの世界で燐太郎とずっと一緒にいてもいいと本気で思っていたんだからね。淫魔王リリム様も許してくださっていたの」

咲夜ちゃんはさらに言う。


確かにあの世界での咲夜ちゃんは真剣に僕のことを思い、愛してくれていた。

あの世界に今でも戻りたいとおもわせるほどの。

なにかの順番が違ったらあのような世界になっていたのかもしれない。

でも、僕は麗華を好きになり、この世界にやってきた。

もう、僕はこのアヴァロンの世界の人々を裏切れない。


「ごめんね、咲夜ちゃん。僕はこの世界でやらなければいけないことがあるんだ」

僕は咲夜ちゃんの頬をなでる。

もう一つの世界で何度も感じたことのある感触だ。柔らかで心地よい。


「いいのよ。燐太郎がそっちを選ぶなら私は淫魔王リリム様の使いとしてあなたたちに話たいことがあるの」

咲夜ちゃんは言う。


「それはなんなの?」

麗華が問う。

そういえば、あの貧民街で最初にあったときも咲夜ちゃんはそう言っていたな。


「それはね、ある条件を飲んでもらえれば淫魔王リリム様は王国軍に降伏してもいいとおっしゃっているの。歓楽の街モードレッドをアヴァロン王国に返還しても良いとリリム様は言われたわ」

咲夜ちゃんはそう言い、氷の浮く水を一口飲んだ。

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