第3話

 私は悪い冗談だと、友人の言葉を一蹴したかった。

 私だけではない、恐らくほとんどの人間がそうしたいはずだ。

 

 だが私は、目の前にいる友人がそういった類の、人を無闇やたらに傷つけるような冗談を言うような男には見えなかったし、学生時代もそういう事を言うイメージはなかった。

 何よりわざわざ人を呼び出しておいて、十何年も昔の話を茶化すような真似をする人間はそうはいないはずだ。


「大丈夫か?」


 私は大丈夫とだけ言い、話を続けていいと伝えた。

 

「じゃあ……続けるぞ。あれは俺たちが高校二年の時だった……」


 話を始めた友人の言葉一つ一つが、私の中にある菊池祥子の記憶を呼び起こした。



 菊池祥子がいなくなったのは、冬休みの中頃だった。

 彼女は塾へ行ってくると言い、昼頃に家を出た。

 そしていつもなら十七時頃には家に帰ってくるはずが、十八時を過ぎても帰ってこず、家人が塾へ連絡すると彼女はすでに家へ帰ったと伝えられた。


 それからは学校や警察、地域を巻き込んだ大掛かりな捜索が始まった。

 だが今よりも何もかもが未熟な時代だったせいもあり、彼女の行方は一週間経っても分からなかった。


 そして失踪から一週間と少しして、彼女は山中で遺体となって発見された。

  

 死因は絞殺、死後三日は経っていたらしい。

 だが幸か不幸か、彼女の死体は雪深く寒い気候のおかげで損傷が少なく、発見した老人曰く、雪の上で眠っているようだったという。


 すぐに菊池祥子の遺体は、警察の手によって詳しく調べられた。

 首を絞められた痕以外には手足を縛られていた形跡も見受けられ、彼女はどこかに監禁されていたという事が分かった。

 だがそれ以外には目立った外傷は無く、また辱めを受けた様子もなかった。


 それは娘を奪われた家族にとっては、唯一の救いとも言える事実だった。


 それからすぐに犯人捜しが始まったが、結局犯人は捕まらなかった。

 私は捜査の進展を、噂好きのクラスメイト達からしか仕入れる事ができなかった。

 元々犯罪などがほとんど起きない地域柄もあって、家の人間や地域の人間は昔話の鬼が出たとでも言わんばかりの怯えようだった。


 そのため私も夜遅くなったら出かけるなだとか、一人で出歩くなと口酸っぱく言われ続け、また家庭内では事件についての話を両親や祖父母がこそこそとしていたが、私を家族はその話に参加させてくれなかったのだ。


「菊池が塾に通っていたのは知っていたから、待ち伏せするのは簡単だった。最初は暴れたけど、どうにか大人しくさせて、近くの山の中にある小屋に連れていったんだ。ほら、お前も見た事あったろ? 俺の死んだ爺さんが建てたあの小屋さ」


 友人は、私が驚くほど饒舌に捲し立てた。

 先ほどの言いづらそうな様子から一変し、決壊した川のような勢いで言葉を並べた。

 その様子は、まるで子供のような無邪気さがあり、言葉にならない薄気味悪さがあった。


「それで小屋の中にあった椅子に菊池を縛ってさ、どうしたと思う?」


 それは確かに気になるところだ、彼女は殺されこそすれ辱めを受けた様子はなかったらしい。

 とりあえず友人の凶行の動機が、彼女に対する思いが暴走したとした場合それは少し妙だった。


「ずっと見てたんだ、縛られた菊池の前に椅子をもう一つ置いてずぅーっと見てた。騒ぐのも、泣くのも、誰も助けが来ないと知って自分の行く末に絶望した顔も全部見てたんだ」


 私は目の前の人間が、私の知る友人か分からなくなってきた。

 百歩譲って、彼女の身体を思うがまま、自分勝手に弄びたいというのならまだ、まだ分かる。

 私は思わず、そういった事をどうしてしなかったのかと聞いてしまった。


「そんな事できるわけないだろう!」


 友人は目を見開き、アパートの薄い壁を突き抜けてしまうほどの声を出した。


「お前も知ってるだろ? 菊池は……菊池祥子は完璧だったんだ。あの芸術品のような美しさを覚えているだろう? 俺みたいなのが犯してはいけない存在だったんだ、俺は間近で彼女を見て、同じ空間で同じ時を過ごせるならそれで良かったんだ」


 私が膝の上に置いていた手は、気づけば静かに震えていた。

 私はクラスメイト達と彼女の葬式を訪れ、手を合わせている。

 その中に彼の姿もあったはずだ、そして彼はその時たしかに泣いていたはずだ。

 

 あの涙はなんだったのか、彼は菊池祥子を殺しておきながら善良なクラスメイトを演じていたのか。

 これほどの狂気を内に秘め、私たちと同じように過ごし、そして今日まで生きてきたという恐ろしい事実が私を震わせた。


 私は震えた声で、なぜ彼女を殺したのかと彼に聞いた。

 その言葉を聞いた彼は、静かにうつむくとやがてぼろぼろと泣き出した。


「殺すつもりはなかった……確かにあの時間が永遠に続けばいいとは思ったが、それが叶わない事だとは分かっていた。だから俺は、彼女を解放するつもりだった。その結果として罪に問われても構わない、あの時間の思い出だけあれば俺は生きていけるはずだった」


 私はそこまで聞いて、友人の中にあったひどく屈折したどろどろとした熱情を少しは理解できた。

 自分にはまだないことだが、どうしようもなく人を好きになってしまうというのはこういう事なのかもしれない。


 だがそれでも他にやり方はなかったのか、と私は彼に聞いてしまった。


「そうだな、他にいくつか方法もあっただろうな。でも俺を見てくれ、特別な容姿もない、何か人に勝る才能があるわけでもない。俺が彼女に思いを伝えた所でどうにもならないんだ、だから俺が一番近くで彼女を感じ、彼女が俺を感じてくれるにはあの方法しかなかったんだよ」


 友人はそう言い終えると立ち上がり、水を一杯飲んで戻って来た。

 彼はもう私に何か飲むかとは聞いてくれなかった。


「それで最後の日、俺は彼女の縄を解こうと体に触れたんだ。それできっと、自分が犯されるとでも勘違いしたんだろうな。彼女の乱れぶりは凄まじかった、見た事もないような顔で俺を罵るんだ。そしてそのままの勢いで自分の人生を嘆いていたよ、どうしてこんな事になったんだ、あれだけ頑張っていたのにーってな」


 私はそれが引き金となり、友人は菊池祥子を殺したのだと思った。

 自分の中にある美しい偶像を守るために、殺してしまったのだと。


「最初にその姿を見た時は本当に驚いた、でも段々と嬉しくなってきたんだ。だってそれは、俺しか知らない菊池の姿だったんだぜ? あの完璧な女性が、可能なかぎり残酷で汚らしい言葉で俺を罵ってるんだ。本当に鬼みたいな顔で……彼女は言ってたよ、常に完璧である事を望まれてそれを必死に演じ続けてきたってな。まあ喚き散らすのも分かるよ、頑張って頑張ってそれが幸せに繋がると信じて周りが望む姿を演じ続けてきたのに、俺みたいなのにどうにかされそうになったらさ」


 私は自分の精神が、少し限界に来ている事に気付いた。

 友人の言葉をどうにか拾えてはいるが、頭がくらくらとする。


「俺はそのまま彼女の首を絞めた、彼女が命乞いをして口から泡を吹いても締め続けた。あの素のままの菊池を誰にも見せたくなかった、小奇麗な仮面を脱ぎ捨てた彼女を永遠に自分のものにしたくなったんだよ」


 そう言い終えると友人は、粘つくような笑みを浮かべた。


「本当に……本当に綺麗だったなあ」


 そう呟く彼の目は、私が知るあの輝いていた頃の、学生時代のままの美しい目をしていた。

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