第2話

 友人の部屋は思ったよりも小奇麗だった。

 私は彼の風貌から、もっと荒れた、ごちゃごちゃとした部屋を想像していたのだ。


 だがどうだ、彼の六畳一間くらいの部屋は服や雑誌が散乱しているとか、ゴミ袋が異臭を放ちながら横たわってはいない。

 

 私は促され、小さなテーブルの前に座った。


「何か飲むか?」


 私は友人の変貌による衝撃から抜け出せておらず、喉が渇いているにも関わらずついその申し出を断ってしまった。

 だが友人は嫌な顔一つせず、喉が渇いたら言ってくれと言い、私の前に座った。


 それから私たちの間には、長い沈黙が訪れた。

 時間にしてしまえば十分かそこらだろうが、それでも私にとっては途方もなく長い時間に感じられた。


 友人の方もうつむいたまま何も言わない、呼び出しておきながら何も言わないというのはどういう事なのか、私の心に少しだけ怒りの感情が湧いた。

 私の方から声をかけても良かったのだが、それはどうにも決まりが悪い。あくまで私は呼ばれて来ただけだ、何か言いたい事があるのなら向こうから話をするべきだろう。


「すまないな、わざわざ来てくれたのに」


 満を辞して友人の口から出た言葉は、謝罪の言葉だった。

 彼は本当に申し訳なさそうな表情と声でそう呟くと、私に向かって頭を下げる。


 私はさっきまで彼に対して怒りを抱いていた自分が、ひどく矮小で卑怯だと感じた。

 お互いに会うのは十数年ぶり、しかもそこまで深い友人だったわけでもない。となれば、いくら話があると言って私を呼んだとしても、どう話題を切り出せばいいか分からないのは当然の事だ。


 友人とて、何も好き好んで私と沈黙の中にいたくは無かったはずだ。

 本来なら、もっと早く話を切り出したかっただろう。


 だが私は友人の風貌や住んでいる場所、そしてここを訪れた理由から無意識の内に彼を下に見てしまっていた。

 そういった空気は相手に伝わるものらしい、話の切り口である飲み物を断られた友人は私に謝る事で、どうにか私の機嫌を取り、話を始めたかったようだった。


 私は友人に気を使わせたことを素直に恥じ、彼に自分が怒りや侮蔑の感情を抱いていない事を伝えようと考え、自分が何も気にしていない事、しばらく会っていなかったのだから何を話せばいいのか分からないのは当然だという事をできる限り明るく伝えると、友人は小さく笑った。

 そのお陰で、私たちの間にあった沈黙は目に見えて晴れたのだった。


「それで……その……今回お前を呼んだ理由なんだけどさ……」


 昔の話を少しした所で、意を決したように友人は切りだした。

 私を呼んだ理由を話すつもりなのだろうが、どうにも歯切れが悪い。


 友人と昔の話をして、晴れやかだった私の心に少しばかり雲がかかった。

 私は確かに呼ばれたが、一体彼が私に何の用があるのかを知らない。


 もしかしたら金を貸してくれとか、あるいはマルチ商法だとか、投資の話を持ち掛けられるかもしれない。

 現に、私にそういった話を持ってきた同級生は何人かいた。


「少し……聞いて欲しい話があるんだ。言っとくけど金を貸せとか、株みたいな話じゃない。俺の個人的な話だ」


 友人は、私の心情を察したように喋った。

 心の中を覗き見られたような薄気味悪さはあったが、そういった類の話でないのなら少しは安心できる。

 私が静かに頷くと、友人はぽつぽつと喋りだした。


「それじゃあ今から話すけど、お前はただ聞いてくれるだけでいい。ただそこにいて、俺の話を聞いてくれればそれでいいんだ」


 かさかさとした、紙を擦り合わせるような声で友人はそう言った。

 

 妙な言い回しだが、とりあえず話を聞いて欲しいという事は伝わった。

 私は分かったとだけ伝えると、彼は口元を少し撫でた。


「お前は…菊池祥子きくちしょうこって覚えてるか?」


 その名前には聞き覚えがあった。

 記憶が正しければ、高校二年の時に同じクラスだったはずだ。

 文武両道が服を着ているような人間で、家は金持ち、本人も相当な美人と文句の付け所のない存在だった。

 更に男だろうと女だろうと、分け隔てなく接するその姿勢から学校内外を問わず、多くの人間に愛されていた。


 まさに、完璧な人間だった。


「綺麗だったよな、本当に。あの人を好きな人間はごまんといた、かくいうお前もお熱だったんじゃないか?」


 私は少し照れながら笑い、頷いた。

 だが私のような人間はそれこそごまんといただろう、あの年代の男ならば彼女に一度は憧れていたはずだ。


 だが私の中の菊池祥子の記憶は、高校二年で終わっている。


 彼女は高校二年の冬に死んだのだ。


 それも事故や病気ではない。


 誰かに殺されて死んだのだ。


 私が彼女の死を思い出し、少し憂鬱な気持ちになったのに友人は気付いたらしい。

 私を少しだけ気遣うような素振りを見せ、少しだけ時間を空けてから話を再開した。


「それでさ、菊池の死についてどうしてもお前に聞いて欲しい事があるんだ」


 菊池祥子が死んだのは、十年以上も前の話だ。

 今更いったい何を話すというのか、私には皆目見当がつかない。

 

「落ち着いて聞いてくれ、菊池を……菊池祥子を殺したのは……俺なんだ」


 私は金を貸してくれといった話や、投資の話の方が良い事もあるのだなと思っていた。

 友人は何も言わずに話を聞いてくれればいいと言っていた。

 その言葉の意味がようやく分かった。


 私の喉はからからで、言葉一つまともに発する事ができそうになかった。

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