第9話

 雨が激しくなってきた。二人はびしょ濡れになりながら橋の下までたどり着いた。

「あ」

 橋の基礎部分のコンクリートに誰かがいた。無精ひげと無精髪が汚らしい男が寝ていた。

「先客がいるな」

「先客じゃなくて、ここに住んでるのですよ」

 紀美子隊員の意見を裏付けるように、そのあたりが鍋や衣服、その他ガラクタっぽいもので溢れている。

「生活しているなあ」

「っていうか、ゴミばかりですよ」

 散乱するゴミの中に、二人が着られそうな衣服があった。くちゃくちゃになって放置されているのだが、背に腹は代えられない。

「服があります、隊長」

「そうだな、着ようか」

「勝手に着たら怒られますよ」

「うう~ん、そうだな。じゃあ、借りますって言ってきてくれ」

「え、なしてわたしが。隊長が言ってくださいよう」

「いやいや、こういうことは女性が頼んだほうが何かとカドが立たないだろう。それに、ほら、いまは素っ裸だからさあ、紀美子くんのエロお色気で頼めば、それはもうイチコロだって」

 その絶壁具合で男と間違われる可能性があるが、自分がいってトラブルに巻き込まれるよりはマシだと考えていた。

「ま、まあ、女の武器ですからな」

 カバにぶっ飛ばされてから、紀美子隊員はポシティブシンキングだった。

 その汚らしい男はまだ寝ていた。どこからどうみても橋の下のホームレスであり、世の中が滅茶苦茶になったこの世界でも、やはりホームレスなのだ。

「あ、あのうすみません」

「ああ、なんだあ」

 紀美子隊員が声をかけると、男は面倒くさそうに振り返った。

「男の娘?」

 全裸の若い女性が目の前に立っていて、一瞬ここは極楽浄土かと胸がときめいた巨乳好きホームレスであったが、よく見ると平らすぎるので癪にさわった。

「なんだ、世も末なのにケッタイのが出てくるなあ」

「いやいや、そうじゃなくて。生粋の女性ですから、って、臭っ」

 ホームレスからは猛烈な悪臭が立ちのぼっていた。汗臭いタヌキを数百倍に濃縮したような、情け容赦のない獣臭だ。

「なんだ、おまえら。オラの家で、なんでド裸になってるんだよ。ヘンタイか」

「そうじゃないんだよ。そのう、ちょっと夜族に襲われて命からがら逃げだしてきたから、服がなくてね」

 隊長もやってきた。紀美子隊員を心配したのではなく、早く服を着たかったのだ。

「ああ、あいつらに喰われかけたのか。よく生きてるなあ」

 夜族のもとから逃げてきた話をすると、ホームレスは感心したような顔をしていた。

「たいていは、捕まったら即座に喰い殺されるんだけどな」

「そうなんですよ。ひどいやつらで、あ、ここは大丈夫なんですかね ていうか、あなたはまさか夜族じゃないでしょうね」

「オラは夜族なんかじゃねえよ。あんな人喰いダニどもと一緒にするな。それにあいつらオラには手を出さんのよ。自分で言うのもなんだけど、オラ臭えからさあ」

 あまりにも不潔で臭いプンプンだと夜族が嫌がるのか、それは有効な作戦だと倉之助は思ったが、コンパネ板に磔にされている時にさんざん下痢を洩らしたのに、それでも食材になりかけたのはなぜだと考えた。このオッサンの悪臭の質はどれだけのものだと、あらためて顏を近づけて嗅いでみた。

「うげえ、おええ、なんじゃこの臭いは。これはキビシイぞ」

 未知なる激臭に、倉之助隊長は涙目になっていた。糞便とはベクトルの異なる臭気だった。これはさすがの夜族も避けるであろうと納得した。

「それよか、なんか着ろや」

 ホームレスは、そのへんに散らばった衣服を指さして言った。相手のほうから服を提供する意思を見せてもらって、倉之助は超ラッキーと心の中で小躍りした。

「では、遠慮なく」

「ほら、紀美子くんも遠慮せずに」

 隊長はズボンと上着を選んで着込んだ。さすがに下着類はなかったし、あっても気持ち悪くて身に付けることはしなかっただろう。

 紀美子隊員もシミだらけの汚いジーパンを履いてシャツを羽織ったが、女性にとって重要なモノが足りないのかしきりに辺りを探っている。胸を格納するものを欲していたのだ。

「あのう、ブラはありませんか」

「すったらものねえよ。つか、ブラジャーするようなパイオツかよ。砂かけとけよ、砂」

 河原の砂を指さして言った。

「砂かけ婆じゃないんだからね。わたし、これでも年頃の女の子なんだから」

 憤慨する紀美子隊員にかまわず、ホームレスの男が言う。

「ところで、甘いお菓子が食いたいんだけど、持ってないか。砂糖でもいいんだけど」

「ごらんのとおり、夜族から逃げ出すのが精一杯で、食べ物はかっぱらってこれなかったよ」

「まあ、そうみたいだな。考えてみれば、あんたらが喰い物になりかけたんだもんな」

「そうなんだよ。しかも生きたまま、解剖学的に喰われるとこだった」

「そいつは豪気だのう」

 ホームレスと倉之助は、しみじみと語り合っていた。まるでお互いが旧知のように、自然に会話を進める。

「んで、これからどうすんだ。なんなら今晩泊っていくか」

「いや、それは」

 魅力的なお誘いであったが、倉之助は断ることにした。胸を張って首を振るのは理由があった。 

「僕たちには重要な任務があるから、ゆっくりしているヒマはないんだ。これは人類の未来にかかわるミッションだから」

「あんたら、地球防衛軍なのか」

 ホームレスは突然、気をつけの姿勢になり敬礼をした。

「いやいや、それほどたいしたものでもないんだけど」

 倉之助の態度や言動には、ビタ一ミリとも尊敬に値するものがないのだが、ホームレスは地球防衛軍にあこがれていた。

「それで、防衛軍はなにをどうするんですか」

「僕たちはエロ本を集める部隊なんだ。文明の至宝、人類の奇跡であるエロ本を後世に引き継ぐために、命がけで蒐集を続けているんだよ」

「・・・」

 ホームレスは沈黙している。紀美子隊員は、エロ本探索隊以外の人間に自分たちの理念が理解されることはないと思っていた。

「たいちょう、言ってもムダですよ」

 小声で耳打ちするが、隊長は演説を止めなかった。

「危険を顧みず、夜族を恐れず、エロ本のためなら野を越え山を越え、死地に活路を見出す。そう、ぼくらはエロ本探索の特殊部隊なのさ」

「・・・」

 ホームレスの沈黙はまだ続いている。紀美子隊員は大きなため息をついて首を振る。これは相当呆れられてしまっただろうと確信していた。

「素晴らしいであります、上官どの」

 だがしかし、彼は涙を流して感動していた。直立不動の姿勢を維持したまましっかりと敬礼を続けていた。

「え、ええーっ」

 紀美子隊員は驚いた。まさか、自分たちに同感する者などいるはずがないと思っていたからだ。

「上官どの。エロ本ならここにもあります」

「なに、本当か」

「オラの寝床に敷きつめております」

「貴様あ、よくやったー。二階級特進だー」

 ホームレスは自分の寝床に走って行き、そして数冊のエロ本をもってきた。

「おおー、これはパツキンものではないか。バター臭い金髪のお姉さんたちのハ~ドコアーな逸品だよ」

「やはり、和ものでないとダメでありますか、上官どの」

「いやいや、そうでもないぞ、工藤。これはもろうたで。これで異国文化が我が国のエロ本にいかに影響を与えたのか、その証左となるからな。海外の貴重な参照例として、我がアーカイブの末席を汚すことになるだろう」

「光栄であります。さらにさらにさ~らに、こういうものもありますが、どうでつか」

 次にホームレスが披露したのは、女子高生緊縛地獄というSMの写真集だった。

「これは凄いぞ。緊縛ものは滅多にお目にかかれないのに、女子高生とはなおさら希少価値が高い」

 倉之助はひったくるようにそのエロ本を奪い取ると、猛然と閲覧し始めた。

「隊長、未成年ものはご法度にしたんじゃないですか。焼却処分にしたほうがいいですよ」

 紀美子隊員がクギを刺した。

「だまれ、この男乳。こういうのは女子高生の制服を着たビミョーな大人がモデルなんだ。モノホンの女子高生が出てるわけないだろう。喝だー」

 エロ本のことになると、倉之助隊長の目の色が変わる。ヒラの隊員ごときの意見具申など、一蹴されてしまう。

「上官どの、オラもエロ本探索隊に加わりたいのであります。一緒に暮らしたいのであります」

 ホームレスがとんでもないことを言い出した。すごく迷惑顔な紀美子隊員は、ないないと首を横に振った。

「許可する」

「えーっ」

 だが倉之助隊長は、彼の入隊を許可した。

「階級は紀美子くんの一つ上だ」

 しかも、古参の隊員よりもヒエラルキーが上になってしまった。女子高生の緊縛写真集が効いていたとはいえ、普段から身近にいて役に立っている人間を軽く扱うのは、ダメな指揮官にありがちの判断だ。

「光栄であります。さっそく荷造りをします」

「よし、そこの寝床にあるエロ本は全部持ってくるんだぞ」

「了解であります」

 ホームレスは、嬉々としてエロ本をかき集めていた。

「隊長っ、正気ですか、うちに人を増やす余裕なんてありませんよ。しかも、めっちゃ汚いホームレスですよ。あんなのと一緒に暮らすなんてあり得ませんって」

「これだけの希少品を蒐集するとは、やつは見上げた根性の持ち主だ。利用価値がある」

「わたしはイヤですよ。おばあちゃんだってイヤなはずです。隊長は勝手すぎます」

 このリクルートにはさすがに納得できないのか、紀美子隊員は隊長に食ってかかった。

「紀美子くん、そんなに心配しなくていい。あいつはエロ本探索時の捨てごまだよ。役に立たなくなったら捨てればいいだけさ。それにあのニオイ、夜族除けにもなるしな」

「そんなにうまくいきませんよ。逆に寄生されますって」

「ははは、この猛獣使いの倉之助にまかせなさい。大船に乗った気持ちでいいからね」

 大船どころか、ドロ船かちり紙船でしょう、と紀美子隊員は軽蔑の眼差しだった。自らを猛獣使いとうそぶく能天気な男を、今日ほど疎ましく思ったことはなかった。

「おい、さっさと支度をしないとおいていくぞ」

「はっ、ちょっと待ってください上官殿、河の中にカゴを仕掛けているので、とってきます。ザリガニがとれるんですよ」

「なにー、本当か。すぐに回収してこい、いま回収してこい、すぐ回収してこい」

 ホームレスは、大量のエロ本でパツンパツンになったリュックサックを背負って、川のなかへと入っていった。

「紀美子くん、思いもかけずザリガニにありつけたよ。な、バカとハサミは使いようだろう」

 あのホームレスだってバカに言われたくないだろうと思ったが、紀美子隊員は黙っていた。

「新鮮なザリガニの刺身が食えるよ。脳ミソをちゅちゅっと啜ると美味いんだろうなあ」

「隊長は生で食べる気なんですか」

「なにを言ってるんだよ、紀美子くん、当然じゃないか。食通は生がデフォだろう。火を通しちゃったら、食材の持ち味を殺してしまうんだよ。夜族をみならいたまえ」

 生のザリガニを食うと、もれなく肺吸虫などの人体にとって極めて有害な寄生虫が体内に取り込まれるのだが、倉之助は知らないようだ。紀美子隊員も、あえて教えるようなことはしなかった。こんな馬鹿は寄生虫にでもたかられてしまえと、心の口が叫んでいた。

「お~い、早くもってこいよ。こっちは腹へってんだから」

 倉之助が大声を張り上げて催促すると、すでにふともも辺りまで水の中に入っているホームレスは、手を振ってからピースサインをした。

「あっ」

 その時、紀美子隊員は発見してしまった。彼のすぐそばに忍び寄る邪悪な影を。

「あぶな」と言いかけた瞬間だった。

 水中からワニが猛然とジャンプして、ホームレスの頭部に齧りついた。そして、そのまま巨体をローリングさせながら彼を水中に引き込んだ。水面に赤い液体が浮かんで、ゆったりとした流れにのって拡散してゆく。さっき二人を襲ったのとは別のワニだ。

「あ、エロ本が」

 巨大ワニがホームレスの身体をグルグル回しているので、リュックの中身が散乱し、中のエロ本がバラバラに破れて流されてしまった。

「紀美子くん、エロ本が」倉之助が叫んだ。

「隊長、危ないです、とりに行ってはダメですよ」

「うん、だから君がとってきてくれないか。せめて女子高生の緊縛ものでも」

「テメエがいけや、ボケがーっ」

「あっひー」

 紀美子隊員が力のかぎり蹴り上げた。倉之助は尻を手で押さえながら川原を走っていった。

「おっひゃあ」

 そこに突如としてカバが上陸してきた。目の前を動き回る男が目障りなのか、大きな口を開けて追いかけていた。

「あ、ばか、こっちくんな」

 隊長は、助けてくれーと涙目で叫びながら紀美子隊員のほうに走ってきた。

「イヤー」

 当然、紀美子隊員も走ることになる。全力疾走であった。

「むおおおー」

「あやややー」

 二人平行に並んでの疾走だった。カバはバッフバッフ唸りながら猛然と迫っている。追いつかれたら最後、そのありあまる獣力で惨殺されることは確実であった。

 元動物園で飼われていたとしても、カバは立派な猛獣である。人間が全速力で走ったとしてもすぐに追いつかれるはずなのだが、カバは一定の距離をとりながら追跡していた。どうやら、途中から遊んでやろうかという気持ちになったようだ。

「おおー、見ろ紀美子くん」

 大仰に足をあげて走りながら、倉之助は前方を指さして大声で叫んだ。

「あそこにボートがある」

「ありますよっ、隊長―、ウンウン」

 川原の行き止まりに、一艘の手漕ぎボートが放置されていた。その昔、公園の池でカップルなどがイチャつくのに使用された安い料金のボートである。

「オレに乗って逃げるんだー」

「え、隊長に乗るんですかー、アレじゃなくてですかー」

「オレじゃない。オレに乗るんだ」

「だから、アレですよね」

「もう、アレだって言ってるじゃないか、オレだって」

 ただでさえ頭が悪いのに、カバに喰われてしまうとパニックに陥っているので、言っていることの順序が滅茶苦茶になっていた。

「もう、わけわかんない。とにかく乗りますよっ」

「ラジャーっ」

 二人はボートに飛び乗った。具合のいいことに、二本のオールはしっかりと装備されている。倉之助が漕ぎ手となり、その対面に紀美子隊員が座った。

「えっさほっさ、えっさほっさ」

 鬼のような形相で、倉之助がわしゃわしゃと漕ぎ始める。ボートの縁をしっかりと掴んだ紀美子隊員も同じような表情をしていた。隊長と隊員が危機感をシンクロさせながら、凶悪な猛獣から必死になって逃れようとしている。

「たいちょうー」

「なんだー、紀美子くんう。いまは忙しいー、あとにしろ」

 全身を使ってオールを漕ぎまくる倉之助は、やや怒り気味に言った。男の仕事を邪魔するなといった態度だ。

「ですが、まったく進んでいません」

「なにーっ」

 彼らが乗り込んだボートは川原の上にあったので、そのまま乗り込んでしまっても進むことはできない。いったん降りて川に浮かべるしかない。

「降りますかー」

「そんな暇はない。カバが目と鼻の先だ」

 たしかにカバはボートから十メートルほどの距離にいたが、この二人にはすっかりと興味を失ってしまったのか、川の中に半分ほど浸かってのんびりとしている。紀美子隊員が振り返って様子をうかがう。

「なんか、のんびりしてますよ。これは大丈夫じゃないですか。いまのうちに岸に上がって逃げましょう。さすがに陸地までこないでしょう」

「甘いなあ。あれは僕たちを油断させようとする演技だよ。油断してボートを降りた瞬間、襲ってきて食べてしまうんだ。なんてったって、バカはカバだからな」

「でも隊長、カバは基本的に草食ですよ。もしその気なら、このボートごと粉々にされてますけど。カバとバカの順序が逆ですし」

「甘い甘い、ノンノン。紀美子くんはそんなに意味もなく楽観的だから、夜族に捕まってしまうんだよ」

 それはお前だろうと紀美子隊員はムッとしたが、言っても無駄なので黙っていた。

「ここはしばらく様子を見て、これからのことを考えたほうがいいと思うんだ」

「はあ?」

 さすがに、その吞気さにあきれ果ててしまった。紀美子隊員は自分一人ででもネグラに帰ろうと、ボートから降りようとした。

「あ、あれえ、水がきてる」

 いつの間にか、ボートの周りには水が張っていた。そこは、つい今しがたまで石の川原だったのだ。紀美子隊員があらためて周囲を見渡すと、川の水がみるみる増水していることに気がついた。

「隊長、川が増水してます」

「なにーっ」

 倉之助もボートの縁から身を乗り出した。手を伸ばし、実際に川の水の感触を味わっている。雨が降っていたので増水しているのだ。

「これ、早くボートから下りないと流されちゃいますよ」

「いや、このままボートに乗って虐殺橋まで行けば楽ちんだよ」

 倉之助にしてはいい判断だった。危険を冒して陸路を進むよりも、流れにまかせて川を下ったほうが時間と手間が節約できる。

「そうですけど、大丈夫ですか。ワニとかいるんですよ」

「カバは危険だけど、ボートに乗っているかぎり、ワニぐらいだったら問題ないよ」

「まあ、そうですけど」

 そうこうしているうちに、二人が乗ったボートがグラッと浮かんだ。

「いい水深になったようだね。いままでは苦労をかけたけど、ここからは紀美子くんに楽をさせてあげるからね。そこに座って昼寝でもしててくれ」

 倉之助隊長は上機嫌で漕ぎだした。川遊びがよほどいい気分なのか、シブい演歌など口ずさんでいた。

 いままでのことを考えると、隊長にまかせてはロクなことにならないと紀美子隊員は考えていたが、川のゆったりとした流れが気持ちよくて、ウトウトと寝てしまった。

「紀美子くん、紀美子くん」

 紀美子隊員がまどろみの川を漂っていると、どこからか聞きなれた声がした。ハッとして目を醒まし、ここがボートの上であることを思いだした。

「どうしました隊長、橋につきましたか」

「いや、そのう、オールがね」

「オールがどうしましたか」

「ははは、金具が外れちゃってさあ、流されちゃった」

「ええーっ」

 左右のオールはすでになかった。金具はそれほど劣化していたわけではないのだが、倉之助がガチャガチャと乱暴に振り回したので外れてしまい、ついでにオール本体も流してしまった。

「ちょっとう、大丈夫なんですか」

「それがだねえ、あのカーブがヤバそうなんだけど」

 川は大きく左に曲がっている。かなりの水深があるので渓流下りのような難所はないのだが、そのカーブの外側には、流れで岸辺が削られないように無数の消波ブロックが設置されていた。二人が乗ったボートは、舵が効かぬままそのコンクリートの堤防へと引き込まれている。

「ぶつかりますよ、隊長。このままだったらぶつかりますって」

「はは、そうだね、ははは、ははは」

 ドッカーンとぶつかった。

 しっかりとボートの縁に掴まっていたのだが、川の流れが予想以上に早くて衝撃が強烈だった。二人は放り投げられるように入水し、グラスファイバー製のボートは割れてしまった。

「ぷっはぷっは」

「あひーあひー」

 消波ブロックに激突しなかったのは幸いだったが、水の抵抗が大きくて危機的な状況は継続中であった。

「たす、たすけて、ぶは」

「あ、こら、やめて」

 もがき苦しむ倉之助が紀美子隊員にしがみ付いた。

「クソが、クソが。もう、なんなのよ」

 紀美子隊員はラッコの母親のように隊長をお腹の上におきながら、背面泳ぎでなんとか川岸までたどり着くことができた。これだけの距離と重荷を抱えて泳ぎきったのは、生まれて初めてだった。

「死ぬかと思った」

「それは私のセリフです」

「神様仏様、ありがとう」

「なんまんだぶつですね」

 溺死しなかったことを神や仏に感謝して、二人はホッと胸をなでおろす。

「あれえ、あそこって虐殺橋じゃないか」

「え」

 隊長に言われて、紀美子隊員は辺りを見回した。少し先に橋があるのは知っていたが、それが目指していた橋であるとは気づかなかった。

「あれまあ、ほんとだ。虐殺橋ですね」

 エロ本探索隊は、流れにまかせるまま虐殺橋に辿り着いていた。紀美子隊員も倉之助隊も虐殺橋に来るのは久しぶりである。橋の欄干からたくさんのロープが垂れ下がり、死体が吊るされていたが、カラスやトンビに喰い散らかされて、すでに白骨化していた。

「この辺は抗争地ですから、極力目立たないほうがいいです」

「紀美子くん、その通りだよ。さっさとエロ本を回収して帰ろう」

 虐殺橋の真下にやってきた。噂通り、基部のコンクリート台座の部分に、たくさんのエロ本が散乱しているのを発見した。百冊以上はありそうだ。

「・・・」

「・・・」

 だが、それらはエロ本探検隊の蒐集物とはならなかった。

 なぜなら、どのエロ本にも血がべったりと付着していたからだ。しかも破れたりページが散乱していたり、満足な状態なのは一冊もなかった。エロい妄想をかき立てるというよりも、ホラーな状況をまざまざと見せつけていた。

 この橋の下で凄惨なリンチと虐殺が行われたのだった。生きたままチェーンソーで切り刻んだりバットで撲殺したりと、家畜を屠殺するように人殺しが平然と行われた。見るからに呪わしい場所であった。霊感や第六感がまったくなくても、怨霊たちの怨嗟が凝縮されていると認識できるだろう。

「帰ろうか、紀美子くん」

「そうしましょう」

 虐殺橋の血塗られたエロ本たちは、エロ本探索隊の使命感をぽっきりと折ってしまった。二人はひどく重い足取りで虐殺橋を後にした。

 帰路は夜族や他の危険な集団に出会わないように、慎重にも慎重を期して這うように進んだ。全身に草を縛りつけて、まるで忍者かレンジャー部隊の兵士のようだった。昼間はなるべく動かないか、背の高い草むらの中を匍匐前進した。棘と蚊とブヨに散々刺されて、 やっとのことで図書館に着いた時には、空腹と疲労で一歩も歩けない状態まで衰弱していた。

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