第8話

 二人の丘サーファーは、斜面を滑り落ちるまま谷底にある川に突入し、ザバーンと勢いよく水の中に突っ込んだ。ややしばらくドロ水の中にとどまった後、潜水艦が急速浮上したように猛烈にとび出してきた。

「ぷっはー」

「なになに、なんなのこれー

 二人が貼りついたコンパネ板は、川の上にいた。ゆったりとした流れに準ずるまま、どんぶらこ~どんぶらこ~と、桃太郎伝説の桃のように流されていた。

 ただし、現代の桃は接着剤で集成されたコンパネ板へと代わり、可愛い赤ん坊であるはずの桃太郎は、全裸なうえにクソまみれの汚らしい中年男と、切断された手を乳首に付けているゲロだらけの女となっていた。

「助かった、あは、助かったよ」

 川に流されていることがわかって、倉之助隊長は喜んでいた。あの食人ホテルで夜族に喰われずに済んだからだ。

「紀美子くん、焼けた鉄の棒でアソコをグリグリされなくて済んだよ。よかったねえ」

「それはそうですけど、わたしたち、相変わらず縛られたままなんですけど」

 二人に自由がないのは不変だった。いや、それどころか溺れる危険性がある。

「なあに、心配いらないさ。そのうち川岸に流れ着くだろうから」

 倉之助は楽観的である。たとえ岸に流れ着いたとしても、手枷足枷が外れないと野犬やほかの夜族に喰われてしまう可能性がある。

 紀美子隊員は、そのことを指摘しなかった。能天気で頭の悪い隊長に言っても真剣に考えてくれないし、先のことを心配するよりも、川に流されている現状をどうにかしなければと思ったからだ。

「紀美子くん、紀美子くん」

 隊長のコンパネ板より少しばかり上流側に彼女は位置している。川の流れは不規則なのに、二人がたいして離れずにいるのは奇跡的なことだ。

「なんですかあ」

「おっきな魚がいるよ。僕の横に並んで泳いでいるんだ。これ、なんていう魚かわかるかい」

「私からは見えないですけど」

 首まで固定されているので、まったく起き上がることができない。しかしながら、流れの具合で偶然にもそれを確認できる位置まで接近した。

「隊長、これは魚じゃありませんよ」

「え、じゃあなんだ。アノマノカリスか」

 紀美子隊員は、目玉を極限まで右に寄せて凝視していた。股の間から、ちょとちょと流れ出ているのは川の水ではない。ふたたび彼女の小便だった。

「たいちょう~」

「なんだー」

「これはワニですよ~。しかも大きいですう。たぶん、人喰いワニですよ~」

「なんやて~」

 倉之助は、あらためてそれを見た。いかにも爬虫類的な目玉と目線が合ってしまった。思わず屁をこいてしまい、少しばかり中身も出してしまった。

「あわわ、こりゃあヤバい」

 慌てて逃げようとするが、縛られたままなので具体的には何もできなかった。せめて意識だけでもどこかに逃れようと必死になって歯を食いしばるが、客観的に見てその行為は意味不明だった。

「なんで日本にワニがいるんだよ」

 それはもちろん、かつて動物園などで飼っていた個体が、混沌と混乱のドサクサで逃げだして野生化してしまったからだ。

「あひゃあ」

 巨大ワニは倉之助との距離を徐々に絞ってきた。彼をあきらかにエサと認定しているようである。

「紀美子くん、すぐに乳を投げて」

「え、なんですって」

「だから君のヒンヌーを、いや、君の乳を掴んでいる手をワニに向かって投げるんだよ」

「そんなことして、どうなるんですか」

「決まってるじゃないか。その手を食べたワニが腹いっぱいになって、どこかに休憩しに行くはずだからさ」

「アホですか。だいいち、どうやってこの手を投げればいいんですか。私もがんじがらめに縛られているんですよ」

「そこは、オッパイを左右に思いっきり揺らせるんだよ。まあ、質量的にムリっぽいけど」

「だから動けないって言ってるっしょ、クソが」

 イラッとした紀美子隊員が、ヒステリックになった時だった。

「おひゃあっ」

 ワニが倉之助のコンパネ板にガブリと齧りついた。

「あ、あぶねえ」

 幸運にも、ワニはコンパネ板の脇のほうを齧り取っただけで、隊長の身体にまでは届かなかった。

「あひゃあ、うひゃあ、どひゃあ」

 だがワニは間髪を入れずに襲い続けた。倉之助がくっ付いているコンパネ板は、外周をほとんど齧り取られてしまい、あとは本人が縛りつけられている人型の部分しか残っていなかった。

「ぷひゃあ、く、くるしい。沈む、じずんでしまうよう」

 多くの面積を失ったコンパネ板は浮力を失っていた。流れが強い個所では、何度も沈んでしまうのだ。

「きゃあー、こっちにくるう」

 ワニは、浮き沈みが激しい倉之助に興味を失い、その先にいる紀美子隊員に目を付けた。というより、乳をつまんでいる千切れた手から、美味しそうな血の匂いが出ていたのだ。

「くるなくるな、アッチへいけ、シッシ、ハウスっ」

 ほとんど動かないバストをブルンブルン振って追い払おうと努力していたが、ワニ目線からすると、血汁が滴る美味しそうな肉が、こっちだよこっちだよと手招きしているように見えた。

 ワニは、当然のように大きく口を開いて齧りついた。一撃目は倉之助の場合と同じようにコンパネ板だけをえぐり取り、二撃目も同じく、三口目でようやく、乳に付いている手をかすめとっていった。

「あきゃあ、おっぱいを食べられた」

 紀美子隊員は顔中を口にして喚くが、じつは給仕の手を喰われただけで、彼女の乳には傷一つなかった。

「おひゃあ、うっひょー」

 いっぽう浮力が減衰した倉之助隊長は、波乱万丈な人生のように、激しい浮き沈みを繰り返していた。流れの渦に度々沈められるが、浮かび上がってくるたびに全力で息をする。

「ぷっはー、どべっ」

 そしてまた沈む、を繰り返していた。

 給仕の手を堪能したワニは、さらなる食欲を満足させるために貧乳の女に的を絞った。いましがた学習したので、今度はコンパネ板の上にのって人間を喰おうと企んだ。

「オー、ジーザス」

 横目でワニの接近を認めた紀美子隊員は、目を閉じて観念した。ワニに喰われるのはイヤだが、夜族たちの食卓に寝かされて、生きたままアソコに焼けた鉄の棒をつっ込まれてグリグリやられるよりは幾分マシだろうと思った。今度生まれ変わる時は、絶対にエロ本探索隊には加わらないことをかたく誓った。

「どっひゃー」

 水面から勢いよく浮上してきた倉之助隊長が空を舞った。そして潜水艦の水中発射式のミサイルみたいに垂直に上がっていた。

 彼は着地した。いや、着水した。そこはちょうど紀美子隊員に喰らいつこうとしていたワニの頭部だった。

 ワニがいい具合に齧り取ったコンパネの鋭い角が、そのワニの脳天に突き刺さった。しかも、倉之助隊長の全体重と重力加速度が追加されていたので、致命的な衝撃となった。

 一匹と隊長は一気に川底まで沈んだ。脳天をかち割られた爬虫類はさすがに動けなかったが、倉之助はその意志がどうであろうと、ただ物理的法則に従うだけだ。

「ウゴオオーー」

 川の複雑な流れにきりもみしながら水面まで上がってきた時には、コンパネ板を背負っていなかった。手足の枷も外れていて、自由の身になっていた。

「紀美子くん、紀美子くん」

 隊長は紀美子隊員のコンパネ板につかまった。正確には、すがりついたと言っていい。なぜなら、彼は泳げないからだ。

「たす、助けて」

 溺れる者は貧乳にもすがる。あっぷあっぷしながら、彼は紀美子隊員につかまろうとしていた。

「た、隊長、どうして外れてるんですか。あ、さわらないでください」

「よくわからん。なんか、水の下から突き上げられたんだ」

「てか、私の板にのらないでください。沈んじゃいますって」

 紀美子隊員の板だけでは、二人分の浮力をまかなうには少しばかり小さかった。

「そんなこと言ったって、僕はカナヅチなんだよ」

 倉之助隊長は、誰が何といってもしがみ付くのだった。

「隊長隊長」

「なんだ」

「ひょっとして、隊長を突き上げたのって、あれじゃないですか」

「え」倉之助は後ろを見た。

 そこには巨大なものがあった。岩かと思ったが目と目が合ったので、それは違うだろうと考え直した。そして、自らの貧弱なアーカイブから該当するものを探り当てた。

「ええーっと、カバ?」

 カバである。ワニと同じように動物園から脱走して、たくましく野生化していた。

「カバだーっ」

 紀美子隊員の絶叫だった。それが合図であるかのように、その猛獣は突進してきた。

 一度水面下に潜ったカバは二人の真下から急速に浮上し、そのカバ力でもって力のかぎり突き上げた。 

「あひょーん」

「きょいーん」

 二人はしばらく滞空してから着地した。川岸へとぶっ飛ばされてしまったが、運が良いことに、そこはやわらかな砂地であった。

 しかしながら落下の衝撃は相当のもので、紀美子隊員のコンパネ板は真っ二つに割れてしまった。そのはずみで手足を固定していた枷が外れて、彼女も桎梏から解放されることとなった。

「いたたた、腰が」 

「あいたた、腰が」

 全裸の男女が川岸で腰を押さえながら呻いていた。カバの姿は見えない。どこかに行ってしまったようだ。

「隊長~、どうやら助かったみたいですよ~」

「腰が、腰が折れたんじゃないのか。これ、絶対折れてるよ」

 倉之助は腰を押さえながら歩き回っていた。

「ここどこですかね」

「どっかの河原だろう」

 二人は辺りを見回した。知らない場所だった。

「なんかあ、雨降ってきましたよ」

「そういえば、ちょっと寒いか」

 雨が降ってきた。カバが生息できるほどの気温だが、全裸に雨はさすがに寒く感じた。

「お、見ろよ、紀美子くん。あそこに橋があるじゃないか」

「虐殺橋ですかあ」

 数百メートルほど下流に橋が架かっていた。比較的大きな斜張橋である。

「残念ながら、虐殺ではないねえ。そのかわり、いい雨宿りになるよ。衣服の類も落ちているかもしれないし、やっぱり我々には橋の下があってるよ」

「エロ本があるかもしれませんよ」

 この期に及んで紀美子隊員は、俄然エロ本探索隊の使命を思い出したようだ。

「隊長、SMモノがあるといいですね」

 すっ裸の女がVサインを見せながら言う。

「ブイ、ブイ、ですよ。隊長」

 今度はシコを踏んだ格好で、両手でVサインを見せた。

 ああ、これはカバに放り投げられた際にヘンなところを打ってしまったのだと、倉之助は悲しい気持ちになった。

 絶壁のようなバストにくわえ、アフロヘアのようなモジャモジャな陰毛が、彼女の女としてのエロチシズムを九割ほど損なっていた。これはトラウマレベルだと、隊長はできるだけ見ないようにした。

「隊長、先に行きますよう、るんるん」

 紀美子隊員は、上機嫌で先に歩きだした。大きなヒップを振ってスキップなどしている。

「尻はイケるか」

 その尻はボリュームと張りがあった。これはありかもしれないと、若干前かがみになりながら彼女の後ろを歩く倉之助であった。

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