第5話
「隊長、この辺ずいぶんと寂しくないですか」
「ま、まあ、そうだね」
「日も暮れてきますよ」
赤子の血しぶきを筆で書き流したような不気味な夕陽が、山向こうに見えていた
「あのう、君、この道であってるのかい。なんだか今にも夜族が出てきそうな雰囲気があるよ」
道案内の少年に導かれた倉之助隊長と紀美子隊員は、不安になってきた。三人は住宅地を離れて山道を登っている。
「今日は俺のネグラに泊まっていくよ。虐殺橋はまだまだ先だし、夜になってウロチョロしてると、ホントにヤバいからな」
「そうなのか。ええっと、でも僕たちがお邪魔していいのかい」
「もちろんさ。俺はお客さんが大好きなんだよ」
紀美子隊員が隊長を引っぱって、少しばかり少年から距離をとった。
「隊長、大丈夫なんですか。見知らぬ人の家に泊まるなんて」
「紀美子くんは心配性だな。彼は純真で素直な子だよ。なんも問題はないさ。第一、少年一人で僕らをどうこうできないよ」
「一人じゃないかもしれないですよ」
隊長は、?とした表情になった。そのことを考えていなかったのだ。すぐに少年のもとへ行き訊ねた。
「ちなみに、君のネグラには、ほかに誰かいるのかい」
「そんなのいるはずねえじゃん」
その答えをきいて隊長は満足していた。どうだと言わんばかりの得意顏で紀美子隊員を見る。「ドヤ」
「食いものもあるよ」
「ほんとか」
「肉があるよ」
「まじか」
肉が食えると思い、隊長は興奮する。
「さっそく行こう、いますぐ行こう。うんうん」
倉之助は意気揚々と歩きだした。
「あ、隊長、ちょっと待ってくださいよ」当然のように紀美子隊員も続いた。
少年は暗がりに意味深な笑みを浮かべながら、彼らを導くのだった。周囲は木々が鬱蒼と茂った森になっている。紀美子隊員は辺りをキョロキョロ見回して不安そうだ。隊長は食える草でもないかと、地面ばかり見ていた。肉を食う時の付け合わせになればと、のん気に考えていた。
「ここだよ、俺のネグラは」
「はれ~、これはでかいなあ」
「もとはホテルかなにかだったんじゃないんですか」
森の中の中にポツンと大きな建物があった。めずらしく、ほとんど損傷していない。見た目は紀美子隊員の感想通り、ホテルといったところだろう。
「あの大地震でもビクともしなかったんだ。すんごいお金をかけてつくったんだって」
「へえ、それはすごいなあ」
大地震、暴動、紛争、疫病、異常気象。この国を襲った災禍は甚大だった。ほとんどの建築物が無傷ではいられなかった。頑丈に造られていたとはいえ、これだけの威厳を残している建物は珍しい。
「ここに一人で住んでるのか。もったいないなあ」
倉之助隊長は素直にうらやましいと思った。少年がどこか旅に出たら、婆さんを連れてきて引っ越そうと考えていた。
「中に入ってよ」
さすがに正面玄関のガラスは割れているので、そこにはコンパネのような板が貼り付けられている。したがって、出入口のドアもその板を切って取っ手が付けられた簡素なものだ。
少年が先に入る。迷うことなく隊長も続く。ウキウキと子どものような顔をしていた。
「紀美子くんも早く早く。肉が食えるんだよ」
「でも」
存分に戸惑っている紀美子隊員をちょいちょいと手招きする。女の感は時として鋭敏であり彼女の身を守ることが往々にしてあるが、能天気なバカ男が、その効力を無効にすることも多々ある。
二人が建物内に入ると、あの少年の姿はなぜか消えていた。玄関は観光ホテルのロビーほどの広さがあり、調度品などが瓦礫に埋もれることもなく整然と配置されている。本革張りのソファーや椅子が埃をかぶることなく置かれ、床もきれいだった。あきらかに何者かに手入れされているのがわかる。
「あれえ、あいつどこ行っちゃたんだ」
「隊長、これはおかしいですよ」
紀美子隊員はイヤな予感をおぼえていた。倉之助隊長は、相変わらず何らの危機感をおぼえるわけでもなく、傍にあったソファーにどっぷりと身体を沈め、足をガラス製の机に投げ出して鼻歌まじりだった。
「隊長、やっぱり変です。すぐここを出ましょう」
「何をそんなに焦ってるんだよ、紀美子くん。ここはやっぱりホテルだねえ。ひょっとすると、エロビデオの類があるかもしれないよ。電気があればいいんだけどなあ」
とことんのん気な隊長だった。紀美子隊員の不安は急上昇している。この男を置き去りにしてまでも出なければならないと決心した時だった。
「痛っ、く、首になんか刺さった。蚊か」
「隊長、それは・・・」
と言った紀美子隊員がバタリと崩れ落ちた。ソファーに座っていた倉之助隊長も、そのまま横になって意識を失った。二人の首には針が刺さっていた。それらは危険な動物をおとなしくさせるための麻酔針であった。
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