第3話

 エロ本探索隊のネグラは、廃墟となった市立図書館である。

 もちろん、ほかと同様その建物もほぼ原型を留めていない。窓ガラスが粉々に砕け散り壁は穴だらけで、四階建ての三階以上は見事に破壊されていた。正面玄関付近は瓦礫だらけで足の踏み場もない。エロ本探索隊は、地下の書庫をネグラとして使用していた。

 二人は散乱する瓦礫に気をつけながら慎重に進んだ。割れたガラスが多いので、転ぶと大怪我になってしまう。それらを片づけないのは、廃墟であることがカモフラージュとなるからだ。人の生活を感知されないように、あえてそのままにしていた。

「ばあさん、帰ったぞ」

「ああ」

 返事をしたのはエロ本探索隊の在宅隊員、通称ばあさん、あるいはおばあちゃんである。 

「今日はあったんか」

「いや、収穫なしだよ」

 野犬に襲われて、木の上で干乾びそうになっていたところをこの二人に助けられてから、エロ本探索隊の一員として一緒に暮らしていた。

「おばあちゃん、フキとってきたよ」

 紀美子隊員は採ってきたフキを老婆に渡した。下ごしらえと調理は彼女の担当だ。それらをじっくりと吟味すると、フンと鼻を鳴らした。

「また赤えのばっかりだな。たまには真っ青なもの採ってこいや」

「青いフキなんてどこにもないよ。わたし見たことない」

 酸性雨の影響か土壌の汚染物質によるものなのか、植物の赤化が止まらない。どれもこれも、とくに茎の部分は赤くなってしまう。 

「まあ、いいか」

 隊長と隊員は、食卓の椅子に座ってくつろいでいた。この建物に電気はないので、照明は灯油ランプとなる。もちろん、電化製品などは皆無だ。ただ図書館だけに本だけはたくさんあった。

「フキは明日のオカズにするからな。もうメシはできとるよ」

 老婆はガチャガチャと音をたてながら、人数分の茶碗をもってきた。隊長と紀美子隊員が、ものほしそうな表情をしている。

「今晩はなんですか」

 辛抱たまらず、紀美子隊員は本日のメニューをたずねた。

「ため池にワニガメがいたからな。とっ捕まえてきたよ。ちょっとカタは小さいけど、まあ、肉はついとったな」

 今晩の献立は、図書館の裏手に溜まったドロ池にいたワニガメの鍋であった。錆だらけのポータブルガスコンロの上に、鉄の鍋がデンと置かれた。老婆がコンロのつまみを何度も回して火を点けようとしていた。回すこと十七回目で、ようやく火が点いた。ただしガスはチロチロとしか燃えない。三人は辛抱強く待った。

「野菜はそのへんのもんだよ」

 その辺の野菜とは、かろうじて食べられる雑草を意味し、それらのほとんどはタンポポだった。鍋が煮えるまで、しばしの時が経つ。

「煮えてきたな」

 ようやく沸騰したようである。老婆はお玉でアクを掬うが、灰褐色の泡が次々と湧き出してきて、とってもとってもきりがない。このままではスープがなくなってしまうと、紀美子隊員は心配していた。

「ほれ、食えや」

 スープはだいぶ目方を減らしてしまったが、ワニガメはなんとか煮えたようだ。強烈な獣臭と、ほどよく熟成された溜め池のゲオスミン臭がツンと湧き上がって、腹ペコどもの胃袋を鷲づかみにしていた。

「いただきマンモス~」

「いただきます」

 肉は久しぶりである。否が応でも二人の気分は上がっていた。

「紀美子くん、肉は全部食べきらないで、明日の分をとっておこうか」

 隊長はそんなことを提案するが、彼の唯一の部下は、さっそくワニガメの足の部分に齧りついていた。残しておこうなどという気は、さらさらないようである。

「おいしい。おばあちゃん、このお肉美味しいよ」

「それはよかった。なんせサバくのに苦労したからな」

 老婆も食卓についた。ただし肉はとらなかった。タンポポとアザミの葉っぱをスープに浸して食べていた。

「ばあさん、メシをくれ」

「あいよ」

 ここにコメはないのだが、近くの草原でカシミシという雑穀が大量にとれる。かなりアクが強くて辛いのだが、ふかせばコメのような食感となるので、エロ本探索隊の主食となっていた。

 紀美子隊員は、鍋から肉の塊を取り出すと老婆の取り皿に滑りこませた。こうしなければ、彼女が肉を口にしようとしないからだ。

「ワニガメって、美味いなあ」

 隊長は能天気だった。久しぶりに肉を食えたので上機嫌だった。

「おめえたち、明日はどこへ行くんだい。この辺はもう探しつくしたんだろう。そんで、見つけたのは二、三冊だけか」

 老婆の言い方は、少しばかり辛辣だった。

「他のどうでもいい書籍と違って、エロ本はそう簡単には見つからないさ。希少価値が高いからね」

「わたしは瓦礫の丘近辺に行きたいんですけど」

「だからね、あのヘンは危険度が高いんだって。それに大きな橋もないし、やっぱり橋の下じゃないとたいした収穫は望めないよ」

 エロ本探索隊の隊長は、探索隊のくせして冒険心には富んでいない。元来小心者であり、だから、けして危険な場所には行こうとしない。

「お、だれかきたぞ」

 老婆が箸をおいた。天井のほうを見て、音と気配を聞き逃すまいと気持ちを集中させている。

 彼らのネグラに侵入者が来たようだ。その場の空気が凍りついていた。

「紀美子くん、入る時に痕跡を残してきたんじゃないだろうね」

「それは絶対にありません」

「シッ、静かにせい」

 老婆は静寂を要求した。もちろん、隊長も紀美子隊員も異議はない。

 この廃墟図書館が三人のネグラであると発覚しないように、建物への出入りの際には細心の注意をはらっている。人の気配を察知した盗人や獣がうろつき始めたら厄介だし、まして夜族にでも悟られたら、それこそ一巻の終わりだからだ。

「なんか探してるようだな」

 階上からガタンゴトンと音が落ちている。誰かが一階部分を物色しているようだ。老婆の眼が油断なく天井を見据えていた。

「な、なあに、またアナグマだよ。はは、はははは」

 顔面を引きつらせながら、隊長は力なく笑った。もしアナグマであるならば、老婆が嬉々として狩りにいくだろう。

「いんや、この動きは人だな」

 人生の経験値を積んでいるだけ、老婆は慎重だった。

「夜族だったら、たいへんだわ」

「いや、それはないだろう。あいつらは建物の中まで入ってこないよ」

 隊長は即座に否定した。いや、否定したかったのだ。

「もしも、っちゅうこともあるで。なんせ人間の生肉が大好きな連中だ。生きたままハラワタを喰うって話だからな」

「それ知ってる。腸の中に詰まったものをチューチュー吸うって」

 紀美子隊員が煽るようなことを言うと、隊長の食欲がどんよりとフェードアウトしてゆく。顔色も存分に青ざめていた。

「まあ、あいつらがここにくることはないだろうて。まだ真夜中じゃないからな」

 上の気配が立ち去るまで三人は待つことにした。しかし、ガタガタ音は消えなかった。

「それにしてもまだいるのかいな」

「きっと食べ物がないかを探してるんじゃない」

「上にはなんにもないよ。よっぽど腹空かしてるのかいな」

「きっと浮浪児じゃないですか。この前もあったし」


 一週間ほど前に、姉と弟の浮浪児がうろついていたことがあった。その時は三人ともカシミシを採っていたのだが、ネグラに入ろうとして、図書館のロビーでウロウロしている浮浪児を発見したのだ。

 瓦礫の陰に隠れて様子を見ていた。ひどく痩せてボロを纏った姉弟は、食べ物はないかと力なく視線を這わせていた。可哀そうに思った紀美子隊員が出ていこうとしたが、老婆が彼女を引き留めた。

「他人を食わせる余裕はねえぞ」

 隊長も首を振っていた。紀美子隊員はしばし迷ったが、結局姉弟に姿を見せることはなかった。

 姉弟は暗くなる前に図書館を出ていった。夜になる前にネグラへと戻るためだ。二人は、老婆や紀美子隊員が隠れているすぐそばを通りすぎた。弟のほうはランニングシャツとパンツだけの姿だった。しかもそのパンツは糞便で汚れていて、数メートル離れていてもニオイがプンと鼻をついた。

 図書館の敷地を出る間際、姉は偶然にもデンデンマイマイを捕まえることができた。それはとても巨大なカタツムリで、看板にへばり付いていたのを毟るように引き剥がした。

 デンデンマイマイは煮ても焼いても最高に美味い。しかしながら、生で食すのは危険だった。人には致命的な寄生虫が高確率でいるからだ。発症したら、脳みそが寄生虫だらけになって狂い死ぬことになる。

 姉弟がそのことを知っていてほしいと、紀美子隊員は心底から願った。


「ちょっくら見てくるべか」

 いつまでたっても消えない気配に業を煮やしたのか、老婆が上へ行こうとしていた。

「ばあさん、危ないって。夜族だったらどうするんだよ」

「あいつらはこんなに早く動きださんって、おまえさんが言ってただろうが。なあに、ワシだけでいってくるから、おまえたちはここを動くなよ。なにがあっても、上さ出てくるんじゃないよ」

 老婆は行ってしまった。

「もう、ばあさんは無謀すぎるよ」

 隊長は気が気ではない。分娩室の前で赤ん坊の誕生を待つ父親みたいに、老婆が昇って行った階段の前をウロウロしていた。

 隊長と紀美子隊員は黙って待っていた。いまここで大きな物音でもしたら、一メートルはとび上がるだろう。

 なんらかの騒動があるだろうと、気弱な隊長は胃が痛くなっていたが、上は静かだった。ものがぶつかる音や悲鳴、嗚咽の類は一切なかった。 

 しばらくして老婆が降りてきた。怪我をしている様子は見当たらない。無事な姿に二人はホッとしたが、彼女の後から降りてくる人物がいるのを知ってギョッとした。

「ああ、大丈夫大丈夫、心配しなくてもいいぞ。ナンシーだった」

 老婆がナンシーと呼んだのは中年の女だ。このご時世にしてはめずらしく太っていて、ムチムチとしている。

「こん、チ、わー。ハローハロー、んげき、げんき、してる、かー」

 たどたどしい日本語だった。

「ナンシーはフィリピンからの移民さんだよ。このあいだカメをさがしてたら一緒になってな、意気投合したんだよ」

 図書館からさほど遠くない廃工場跡に、フィリピン人たちのコミュニティーがある。女子供、年寄りが多くて男があまりいない。ほかの移民たちとは違い、彼らはそれほど日本人を敵対視していなかった。

 しかし、隊長は不安だった。以前、フィリピン人のチンピラに追われて、命からがら逃げきったことがあったからだ。実際は日本人もベトナム人もいたのだが、彼にとっては同じことだった。

「あ、した、いっしょ、にタニシ、いかないか。たくさん、っぱいいるよ」

 廃工場近くの貯水池にジャンボタニシが異常発生しているので一緒に獲ろうと、彼女は老婆を誘いにきたのだ。

「そりゃあいいね。みんなで行くかい」

 老婆の顔が、ぱっと明るくなった。近場での食い物探しが、彼女の最大の仕事であり喜びでもあった。

「僕と紀美子くんは探索があるから、そのう、いけないよ」

 だがしかし、隊長はエロ本探索を優先したい考えだった。

 エロ本探索隊の矜持がそうさせていた。エロ本探索は崇高な使命なのである。タニシごときに話題をさらわれたくないのだ。 

「ん、なんさがしてるう?」

 ナンシーが訊ねた。 

「エロ本だよ」

 老婆がすぐに答えた。

「えろ、ほん?」

「女の裸がぎょうさん写っているスケベな本だよ」

 老婆の言い方は、同居人の生業に対する嘲りを多少なりとも含んでいた。

「おおー、ポルノ」

「そうそう」 

「なんで」

 ナンシーは当然の疑問を呈する。

「なんでって、それが大切なものだからだよ。エロ本は古き良き時代の遺産なんだ。ものが豊かで、女の人が裸を見せても安全に暮らせる最高の時代だったんだよ。自由で平等な社会の象徴がエロ本で、繁栄と安寧を約束する貴重な文化財なんだ。これは僕たちがやり遂げなければならない使命であって、先輩方の栄光を次の世代に引き継ぐんだ」

 倉之助の言っていることを大まかに理解できたナンシーだが、その内容にはおおいに首をかしげていた。秩序も文明も崩壊した世界で、ポルノ雑誌の蒐集をタニシ獲りよりも優先していることが納得できなかった。

「ジャパニーズ、チョット、クレージー、・・・」

 その後の言葉は早口のタガログ語で、彼女以外のものには理解不能だった。おそらくネチネチと嘲笑されているのだと、紀美子隊員は思った。それは隊長も同じで、ナンシーのほうをできるだけ見ないようにしていた。

「ナンシーも食っていくか。ちょうどカメを食っていたんだ」

「サンキュー」

 老婆はナンシーを食事に誘った。隊長は露骨にイヤそうな顔をしたが、もちろん、彼女に遠慮する気持ちなどなく、ガツガツと食い始めた。

「ああ、それ僕の分」

 彼女は鍋の中の最も大きい肉塊をとった。隊長としては、それを明日の夕食にとっておきたいと考えていたのだ。

「ポルノ、くさん、ある」

 ワニガメの固い皮の部分を食い千切りながら、ナンシーが言った。

「え、マジか」

 倉之助の表情が、クワっとなった。たくさんのポルノと聞いて、彼のエロ心に火が点いたのだ。

「どこ、どこよ、それ」

「うま、い、」

 彼女はくちゃくちゃと、いつまでもカメの皮を噛み続けている。隊長は話の続きを聞きたくてうずうずしていた。

 ずずっとスープを一飲みしてから、ナンシーは意味ありげに視線を流して言った 

「ジュノサイドブリッジ、くさん、あるよ」

「え、ジュノサイドって、ひょっとして虐殺橋か」

 ジュノサイドブリッジとは、隣り街にあるアーチ橋のことだ。

そこは移民のギャング同士が激しい抗争の果てに、敵方の人々の首にロープを巻き付けて、一斉に橋から突き落としたことで有名だった。五十体以上の人間が橋の欄干から吊るされた光景は、それを見た者の心に焼き付いて離れなかった。通称、虐殺橋とか民族浄化橋とか呼ばれている。

「ブリッジ、した、あるある。ポルノポルノ、ブック、あるね、あるね」

 ナンシーは自分の豊満すぎる胸を両手で揉みほぐしながら、エロ本がいっぱいあることをアピールしていた。その仕草に少しばかり欲情してしまった倉之助は、鼻の下を存分に伸ばしていた。

「ぎゃっほん」

 紀美子隊員がわざとらしく咳をすると、彼は弾かれたように真顔へ戻った。

「明日さっそく行ってみよう。紀美子くん、準備をしといてくれ」

「明日ですか。タニシ獲りはどうするんですか」

「タニシごとき、エロ本探索隊の仕事と比べるまでもないだろう」

 隊長は真剣であった。

「でも、虐殺橋は遠いですよ。日帰りでは無理ですし、途中に危ないところがたくさんあるし。瓦礫の丘に行くほうがぜんぜん楽じゃないですか」

 紀美子隊員は、タニシ獲りのほうを優先したいと考えていた。エロ本がなくても命に別状はないが、食料が尽きると、そもそも生きることができない。

「歴史的な発見には困難がつきまとうのだよ。シュリーマンを知らないのか」

「シュウマイがなんですって」

 やれやれと、倉之助は紀美子隊員の無学さを嘲るような態度をとった。これには、普段は従順な紀美子隊員もムッとした。

「わかりました。虐殺橋の下でエロ本を探しましょう。泊まりになるのでテントやその他の炊事道具をもっていきます。ちなみに、どこのルートを通っていきますか、隊長」

 彼女はきっぱりと言った。どうやら、本気モードになったようだ。

「そんじゃあ、ワシはナンシーとタニシ獲ってくるけん。あんたらはエロ本を探しに行きな。それにしても楽しみだなあ。タニシのつぼ焼きはうまいからなあ、へへへ」

 タニシをたき火で炙り、ちょっと塩を振りかけて食うと、旨味が凝縮したダシがあふれ出してきて、それがまた脳天を突きぬけるほど美味い。

「あ、そうか。つぼ焼きがあったか」

 倉之助はタニシのつぼ焼きを頭の中で想像してしまい、やっぱりそっちを優先しようかと心が動いた。

「エロ本探索はタニシ獲りのあとでも・・・」

「川を下るルートはどうですか隊長。虐殺橋にはもっとも近いですよ」

 だが、侮辱されたことで少々頭にきていた紀美子隊員は、わき道に逸れようとする隊長の軌道を強引に戻すのだった。

「あ、うん」

 いまさらタニシ獲りにいくとは言えない空気だった。倉之助隊長は二度ほど咳払いをすると、あらためてエロ本探索をすることを宣言した。


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