第42話 この気持ちを形にする
「……怖い」
夏休みも少し経った今日、千冬と二人で電車に乗って俺の実家に向かっている。
隣で、千冬は不安そうに俺の手を握って震えている。
「電車、苦手?」
「ううん、それもあるけど……斗真君のご両親に会うの、やっぱり緊張するの」
「もし仮に俺たちのことを反対するような親なら仲良くしなくていい。俺は千冬の味方だから」
「で、でも」
「大丈夫。千冬は、誰から見ても素敵な女の子だから」
「……うん」
もしかしたら、俺の親に会うって以前に他人の大人と会うことが怖いのかとも思って。
俺は千冬に何度も励ましの言葉をかけた。
大丈夫だよって、心配ないよって。
そう話すたびに千冬は俺の手を強く握る。
やがて、緊張して疲れたのか眠ってしまった千冬を支えながら電車は俺たちを乗せてさらに田舎へ。
しばらくして最寄り駅までついたところで千冬を起こして一緒に下車した。
「んー、代り映えしないとこだなあ」
「空気、きれい。いいところだね」
「そうかな。何もないところだけど」
「それがいいの。何もないところで、斗真君と二人っきりになりたい」
「あはは、それじゃ今度は別の田舎に旅行だね。楽しそう」
駅は改札もなく駅員さんが切符を切ってくれるような小さな場所。
そこから五分くらい歩けば実家がある。
住宅街の、なんてことはない家だ。
「あ、見えてきた。あの茶色い屋根がうちだよ」
「斗真君の、実家……」
また、千冬が緊張した様子で表情を強張らせる。
俺も、彼女を実家に連れて帰るってことに何も緊張しないわけじゃない。
むしろ気まずいというか、恥ずかしさで結構まいっている。
ただ、今日はちゃんと千冬を親に合わせたかった。
ちゃんと、話もしておきたかった。
「ただいまー」
昼間は鍵もかけていない引き戸をあけると、奥からトトトっと足音が。
「あら、おかえり斗真。その子が電話で言ってた千冬さん?」
「ただいま。うん、そうだよ」
高校入学以来だから、数か月ぶりの実家と母親だけど、まったくなつかしさはない。
砂壁の前に大きな靴箱とその上によくわからない置物が並んだ薄暗い玄関も、いつものようにラフなジャージ姿で俺を出迎える少し大柄な母も。
「あ、はじめ、まして……茅森、千冬です……」
「はじめまして、斗真の母です。どしたの斗真、こんなきれいな子、どうやって捕まえたのよ」
「い、いやまあ。それより、早く座らせてよ」
「ああそうだった。千冬さん、ゆっくりしていってね」
母は慌ただしく奥へ戻る。
どうやら夕食の準備をしているのだろう、カレーのにおいが廊下にまで漂ってきている。
俺は手前の客間に千冬を案内して、奥のソファに並んで座る。
「ふう……」
千冬が思わず息を吐く。
やっぱり他人の実家は居心地が悪いものか。
俺も、いまだに千冬の実家に行くとちょっと緊張するもんな。
「大丈夫? 母さん、ああいう人だから気遣わないでいいよ」
「うん……でも、いい人ってわかる。私、もっと仲良くなりたい」
「いい人かどうかはわかんないけど」
「ううん、斗真君のお母さんだから。きっと、いい人」
笑顔だけど、その奥にちょっと複雑な感情が混じっているのが伝わってくる。
千冬のトラウマ。父親のことを少し思い出しているのだろうか。
「……まあ、仲良くしてくれたら母さんも喜ぶよ」
「うん。私、お料理手伝おうかな。いい、かな?」
「じゃあ一緒に言いに行こうか」
「うん」
奥でお茶やお菓子を用意してくれていた母のところに一緒に行って、「千冬が夕食の支度、手伝いたいって」と伝えると母は、
「うれしい。うち、娘がいないからそういうのやってみたかったのよー」
と、年甲斐もなくはしゃいで早速千冬をキッチンに案内していた。
俺と離されて、ちょっと不安そうな表情になった千冬を心配したけど、キッチンの奥からこっちににこりと笑顔を向ける千冬を見て、大丈夫かなと。
俺はもう一度奥の客間にひっこんで、テレビを見て待つことになった。
◇
「斗真君、ごはんできたよ」
一時間くらいして、千冬が俺を呼びにきた。
「お疲れ様。大丈夫だった?」
「うん、お母さんすごくしゃべってくれて。楽しかった」
「そっか。うん、ならよかったよ」
「うちは、お母さんが働いてばっかりでああいうことなかったから。なんか、楽しい」
ほんのり、笑顔になる千冬を見てなんと声をかけたらいいか迷っていると、「冷めるから早くきなさいよ斗真」と、母の声。
二人でキッチンのある部屋に行くと、テーブルにはカレーが四つ。
「お父さんも、もう帰ってくるから。今日は早くあがったってさっき連絡あったわよ」
「そうなんだ。でも、なんで?」
「そりゃあ息子が彼女連れて帰ってくるのに挨拶なしってわけにもいかないでしょ」
「まあ、それもそうか」
なんて言いながら千冬と並んで席について。
向かいに母さんが座って、先にいただきますと。
実家のカレーの味は久しぶりだった。
千冬の料理ほど洗練されたような感じはないけど、代わりになんとも言えない懐かしさがある。
落ち着く、というべきか。実家の味ってどうしてこうもうまく感じるんだろう。
「おいしい……お母さん、おいしいです」
「あらそう? 千冬さん、すごく野菜切るのも上手だし、うちの斗真にはもったいないくらいね」
「そんな……斗真君にはいつもお世話になってばかりです」
一口カレーを食べた後、母と会話して頭を下げる千冬は、先ほどまでの重苦しい空気をまとってはいなかった。
「斗真、千冬さんからも聞いたけど一緒に住みたいんでしょ? だったらちょっとお金出してあげるから引っ越してもいいわよ」
「え、いいの?」
「千冬さん、いい人だし男の一人暮らしは私も不安だし。ちゃんと毎日料理作ってくれてるんでしょ? こんな子、絶対離したらダメよ」
そう言って笑う母さんがカレーをパクリと頬張ったところで、ガラガラと玄関が開く音が。
「ただいまー」
父が帰ってきたようだ。
すぐに母が出迎える。
「おかえりお父さん、斗真の彼女さん、来てるわよ」
「おお、そうか。先に挨拶しないとな」
父さんの声がして、やがてその姿が見えると「おお、斗真おかえり。隣の子が、そうか。こんばんは」と。
営業マンらしく、にこりと笑って挨拶する、少しくたびれた細身の中年が俺の父。
千冬はそんな父に「いつもお世話になってます、茅森千冬です」と立ち上がって丁寧にあいさつする。
「そうか、斗真をよろしく頼むよ。斗真、千冬さんもずっとここだと気を遣うだろうから部屋にでも案内してあげなさい」
そう言って、空気を読んでか父は先に風呂場へ向かおうとする。
でも、その前にみんなの前で話しておきたいことがあった。
「あの、ちょっといいかな」
呼び止めると父は「どうした、怖い顔して」と笑う。
母も席に着きながら心配そうな顔でこっちを見る。
千冬も。
一体何を話すつもりなのだろうと、おびえる顔をする。
そういう顔を、もうさせたくないんだ。
子供がほしい、なんて言われてさすがにそれはできなかったけど。
そうやって俺のことだけを見てくれる千冬へのプレゼントって何がいいかなってさんざん悩んだけど。
明日の誕生日を待つ前に、だけど。
これがいいかなって。
「とうさん、かあさん。俺……卒業したら千冬と結婚したいと思ってる」
自分の口から、そう伝えることに意味があるかなと。
千冬に夢物語のように話すのではなく。
親の前で、ちゃんと決意表明して、安心させてあげたかった。
「斗真、君……」
「進学なら同棲から、だけど。でも、ちゃんと働いてちゃんと勉強もするから」
別に親の許しを請うため、という話でもない。
反対されたらされたで多分言うことなんてきかないんだろうけど。
でも、ちゃんと俺の気持ちの強さを千冬にわかってほしかった。
「そう。ならもっと勉強しないとね。ちゃんと進学していいとこ勤めて千冬さんを安心させてあげなさい」
「斗真、よかったじゃないか。千冬さんも、もしこんな息子でいいならよろしく頼むよ」
まあ、うちの両親はこういう人だから。
わかってて言ってるとこもあるけれど。
それを聞いて千冬は少し笑う。
テーブルの下から、俺の手をそっと握って。
「プレゼント、もらっちゃった」
そう呟いてから、両親にお辞儀する。
俺も一緒に頭を下げる。
そのあと、父は「じゃあ今度はお祝いしないとだな」って言って風呂へ向かう。
母は、「斗真、頑張りなさいよ」とだけ。
そのまま、洗い物をしにキッチンへ行って、静かになる。
「斗真君……嬉しい」
「千冬、絶対に離れないから。だから安心して」
「うん……大好き」
この後、俺の実家の部屋に戻る。
中学校当時のまま放置された部屋は、しかしちゃんと掃除をしてくれていたのだろう、埃ひとつなく。
ちょっと懐かしいその部屋に、今日は千冬がいて。
古本やゲームしかない男の部屋に甘い香りが漂う。
そのまま、二人で一緒にベッドに入った。
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