第38話 彼女の気持ちがわかるからこそ
「じゃあ、いってくるね」
「うん、いってらっしゃい」
千冬の家から、千冬に見送られながら学校へ行く。
ちょっと変な気分だったけど、結婚したらあんな感じなのかなあとか、そういう妄想はやはり尽きない。
同時に、学校に着いてからの不安もまた、尽きることはなく。
その不安は、すぐに現実のものとなる。
「おい、相楽ってやついるか?」
休み時間、知らない上級生の男子が教室にきた。
ちょっとチャラい雰囲気の人だけど、なんとなく察しはついた。
昨日、千冬にやられた男子、だろう。
「はい、俺が相楽ですけど」
奥から名乗りながら入り口へ向かうと、「ちょっとこい」といわれ、教室から踊り場の方まで連れて行かれる。
「なんですか?」
「お前、茅森の彼氏なんだってな。だからよ、代わりに慰謝料払えや」
「慰謝料、ですか? なんで俺が」
「お前の彼女に首絞められて、昨日から体の調子がおかしいんだよなあ。あーあ、先生は両成敗って感じだったけど、裁判でも起こしてやろうかなあ」
「……代わりにその件については謝罪します。本当にすみません」
「そんなのいらねえよ。誠意ってもんがいるだろ。なんだよ、バイトしてねえのか?」
「……お金はあんまり」
今がどういう状況か、それはよくわかる。
はっきりいって脅されている。
千冬のことを大袈裟に騒がれたくなければ、代わりに出すものを出せと。
こんなやつのために、千冬は今、一人でつらい思いをしてるのか……こんな奴の、ために。
「なんだよ、だったら茅森を一回貸してくれたんでもいいけどなあ」
「貸す……? おまえ、千冬をなんだと思ってんだ」
「あ? あんなの、顔がいいだけの頭おかしい女だろ」
「……殺す」
「ん、今なん、て……え?」
俺は、とっさにこぶしを握り、目の前の男の喉元めがけて振り下ろしていた。
二度と千冬のことを悪く言えないように、その喉を潰してやろうと。
その時、体が止まる。
「後輩君、ダメ!」
「ま、円佳さん?」
後ろから俺にとびかかるようにして、円佳さんが俺の手を止めた。
目の前の男は、仰け反ったあと、バランスを崩して尻餅をついていて。
おびえるように、俺を見ながらさっさとその場を去った。
「後輩君、よかった間に合って」
「……どうして円佳さんがここに?」
「菊池がこそっと教室を抜け出してたから、もしかしてって思ったけど当たってた。でも、何があったの?」
「あいつが……千冬をバカにしたんです」
自分でそう言ってから、昨日千冬がどういう気持ちでさっきのやつの首を絞めたのか、その気持ちがわかった気がした。
大切な人だからこそ、他人にバカにされたら許せなくて。
自分の大切な人を傷つける奴は許さないって。
そんな奴、死んでしまえばいいって、思っていた。
多分、千冬もそう思っていたんだと思う。
「……人のこと、言えないな俺も」
「ほんとよ。後輩君が謹慎になったら、千冬のお守りを私がしなきゃならなくなるでしょ。それは大変すぎるから勘弁してよね」
「はい、すみません。でも、あいつはなんなんですか?」
「んー、サッカー部の菊池っていって、はっきりいってかわいい子とやりたいだけのチャラ男。私も、結構注意してるんだけど治らなくてね」
「……あいつみたいなのがいるから、千冬は苦しむんだ」
そう思うと、ふつふつと怒りがこみあげてくる。
また、拳に力がこもる。
「……」
「こら、また怖い顔なってるよ。大丈夫、クラスのみんなも昨日のことは菊池が悪いってわかってるから。だから、後輩君は冷静にね。千冬が悲しむようなこと、したらダメよ」
「はい、わかってます……」
「よろしい。じゃあ、あいつみたいなのが来ても相手しないこと。わかった?」
「はい、ありがとうございます」
不安だからと、俺が教室の近くに戻るまで円佳さんは付き添ってくれた。
教室に入る時に円佳さんに頭を下げると、彼女はくすっと笑いながら「変なとこまで千冬に似ないでよね」と言って、帰っていく。
彼女がいなければと思うと、ほんとぞっとしない。
あのまま俺は、菊池ってやつをぶっさしていたのかそれともどこかで躊躇できたのか。
わからない。
わからないから、怖い。
千冬への気持ちが大きくなるほど、冷静でいられなくなる。
千冬も、きっとこういう風に悩んでいるのだろう。
……苦しいな。
辛いな、ほんと。
わかってて、自分が制御できないなんて、本当に辛い。
ずっと、こんな気持ちと戦ってたんだな、千冬は。
帰ったら、ちゃんとやさしくしてあげよう。
頑張ったねって、ほめてあげよう。
千冬、早く顔が見たいなあ……。
◇
なんの音沙汰もないまま、時間だけがゆっくり流れていってようやく放課後になる。
なんとも長い一日だった。
やっぱり、千冬がいないと正常に時間が流れないんじゃないかって心配になるほど、授業も休み時間も何もかもがいつもの倍はあるように感じた。
今日は、円佳さんの迎えはなかったけど、帰るときに偶然彼女に会った。
すると、「二日も続けて一緒に家にいったら、千冬が怒るでしょ」なんて言われて納得。
俺は一人で千冬の家に向かう。
彼女の家までの道のりは、あっという間だった。
今朝会ったばかりなのに、彼女の家の玄関の前に立つと緊張する。
チャイムを鳴らして息をのんで待っていると、ガチャリと扉が開く。
かわいい顔がのぞく。
「……斗真君?」
「千冬、ただいま」
「斗真君……うん、会いたかった」
飛び出してきて、千冬は俺に抱き着く。
彼女の恰好は、俺が以前あげたジャージだ。
でも、彼女の甘い香りしかしない。
「千冬、連絡ないから心配したよ」
「……私、我慢した。斗真君に迷惑かけないようにって。偉い?」
「うん、偉いよ」
「うん……よしよしって、して?」
「よしよし。あはは、千冬、子供みたい」
「うん、斗真君に甘やかされたい。だから、子供でいいの」
しばらく玄関先で千冬とじゃれあって。
そのあと、彼女の家にお邪魔すると千冬のお母さんがいて。
気を利かせてくれたのか「じゃあ私、ちょっと用事があるから相良君にバトンタッチ」と言って、外へ出ていった。
そのあと、しばらくは二人でいちゃいちゃした。
場所とか、時間とか関係なく千冬と一緒に絡み合う。
こういう幸せな時間も、もしかしたら今日、俺が菊池に暴力をふるっていたらなかったかもしれない。
千冬が、もっと寂しい思いをしていたかもしれない。
だから止めてもらって本当によかった。
円佳さんには、また一つ借りができてしまった。
もう、二度と感情に身を任せるのはやめようと。
そう、思えるようになった。
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