第35話 行き過ぎた気持ちの末に

「千冬、連絡はうれしいけどちょっと控えたほうがいいよ」


 放課後、一緒に帰りながら千冬に俺はそんなことを言った。

 かなり悩んだ末に、だけど。

 連絡をくれるのは嬉しいんだけど。

 先生に見つかったらいけないし、ある程度は授業も聞かないとって、付け加えて。


「……嫌、だよね」

「嫌じゃないよ。でも、ほら、わかるでしょ」

「うん……私、斗真君の負担になってるよね。ごめんなさい、我慢するから、だから嫌いにならないで」


 心底絶望したような顔で。

 まるで命乞いでもするかのように、俺にすがる。


 千冬にとって、俺に注意されることと円佳さんに怒られることとでは意味が全く違うようだ。


「だ、大丈夫だから。俺、絶対に千冬のこと嫌いにならないから。だから、ね、泣かないで」

「うん……うん、ごめんなさい」


 このあと千冬を慰めることに随分と時間がかかってしまい、一時間くらい路上で泣き止まない彼女が落ち着いてから、泣かせてしまったお詫びも兼ねて二人で寄り道をすることに。


 駅前にある屋台で、たい焼きを買うことにした。


「千冬、甘いの好きだもんね」

「うん、大好き。斗真君と、円佳の次くらいに」

「でも、今は安いものしか買ってあげられないけど、働いてお金稼いで、千冬にもっと美味しいものご馳走したりいいものを買ってあげたい。だから働くんだよ、俺は」

「うん……斗真君が私のために頑張ってくれてるの、わかってる。ごめんなさい、私がわがままだから」

 

 たい焼き屋の列に並ぶ間、そんな話をした。

 千冬も、徐々に色々とわかってくれてきている。

 そんな彼女を俺は、支えたい。

 彼女と向き合っていくこと、それが今俺にできることだから。


 ほどなくして、たい焼きを二つ買う。

 ここは俺の奢り。

 ってほど大した金額のものでもないけど、やっぱり大好きな子のために何でもしてあげたいっていう気持ちはある。

 もっとちゃんと、色々してあげたい。

 もっと、頑張らないとな。


「ほら、アツアツだよ。千冬、冷めないうちにそこで食べよっか」

「うん」


 そばにあるベンチで、並んでたい焼きをいただく。

 熱くて持つのも躊躇うほどなのに、千冬は平気な顔でそれをパクリ。


「熱くない?」

「うん、大丈夫。斗真君の買ってくれたものなら、毒でも飲めちゃう」

「でも、無理したらダメだよ。ほら、唇が赤くなってる」

「……冷ましてくれる?」

「うん」


 あんこのついた彼女の唇は甘く、そしてあたたかい。

 キスをすると、彼女の体は震えが止まる。


「……もう大丈夫?」

「うん。斗真君のお口、甘い」

「あんこのせいだよ。千冬のも甘かったよ」

「美味しかった?」

「うん。千冬って、美味しい」

「えへへっ。斗真君に、もっと味わってほしい」

「俺も。千冬をもっと、味わいたい」


 たい焼きなんて忘れて。

 周りの視線なんて、忘れて。

 暗くなるのも忘れて。


 ベンチで、唇を重ねる。

 彼女といる時間はいつも早く過ぎていく。

 今日が終わればまた学校で。

 バイトもあって離れる時間もくる。

 どうして好きな人とずっと一緒にいられないんだろうって。

 千冬みたいなことを俺も考えてしまいながら。

 やがて辺りは真っ暗になっていた。


 もう、たい焼きはすっかり冷めていた。



「じゃあね、千冬」

「うん、また後でね」


 翌日の学校にて。

 今日は教室まで送らなくていいと、千冬の方からそう言ってきた。


 これも我慢する練習だからって。

 寂しそうにしながらも笑顔でそう話す千冬の意思を尊重して、今日は靴箱のところで千冬を見送る。


 彼女は日々頑張っている。

 だから俺も頑張らないと。

 そう思わせてくれる彼女の存在は俺にとって、本当にかけがえのないものだ。


 ……もうすぐ誕生日なんだっけ。

 どんなものが欲しいのかな。



「おすー千冬。今日は一人なんてどうしたの?」

「斗真君にね、迷惑かけないように努力」

「おー、偉いねえ。どんな心境の変化?」

「……斗真君が、私のことだけをみてくれてるって、わかるから」

「そっかそっか。じゃあ、今日のバイト中はもう私いらないかな?」

「いる。円佳、放課後は帰さない」

「こわー」


 ちょっとだけ、斗真君がいない時間に慣れてきた。

 今でもソワソワして、彼のことが頭をよぎると息が苦しくなるけど。

 我慢できないほどじゃない。

 円佳のおかげもあるのかな。


 こうして朝の教室で、斗真君がいない時間を過ごしていても私は……。


「おい茅森、お前男が嫌いだって言ってたよなあ?」


 静かだった朝の教室に、ちょっと下品な声が響く。

 気安く、私の名前を呼ぶ。


「ちょっと菊池、今私と千冬が話してるのに割り込まないでよ」

「うるせえ円佳は黙ってろ。おい茅森、お前、俺に言ったことは嘘だったのか?」

「……誰?」

「だ、誰って……クラスメイトの名前くらい覚えとけよ。菊池だよ、お前を先月誘っただろ?」

「……知らない」


 知らない人が私の穏やかな時間を壊す。

 気持ち悪い顔してる。

 

「知らない、だと? お前、ちょっと可愛いからって調子乗るなよ」

「菊池、もういいからやめてあげて。この子今、彼氏いるんだし」

「それが気に入らねえんだよ。男に興味ないフリして、ちゃっかり彼氏作ってるところとかがよ!」

「……」

「それに、お前の彼氏なんてどうせ尽くさせてポイだろ? 年下のガキ捕まえてよくやるよ」

「年下の、ガキ……それ、斗真君の、こと?」

「ち、ちょっと千冬?」


 私の穏やかな心がぐちゃぐちゃになる。

 斗真君のことを何も知らないやつが、彼のことを悪く言った。

 あんなに素敵な斗真君のことを、年下のガキとか、言った。


「な、なんだよ……やるってのかよ」

「ゆる、さない……死ね」

「え……がっ、があ……」

「しんじゃえ……お前なんか、しんじゃえ」


 触れたくはなかったけど、なぜか目の前の男の首を両手で掴む。

 本気で、死んで欲しいって思った。


 もう、その首をへし折って、二度と彼の悪口が言えないようにしてやろうって。


「やめて千冬! やめなさい!」


 そのあとのことはよく覚えていなかった。

 円佳に必死に引き離されて、目の前で苦しむ男子が一人、私のことを化け物を見るような目で見てきてて。

 クラスのみんなも、私のことをまるでおかしなやつみたいに見てて。


 やがて先生が騒ぎを聞きつけてやってきて。


 私は職員室へ連れていかれた。

 

 

 

 

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