第34話 これで正しいのか

「おつかれさまでした」


 ほかのレジの人たちに挨拶をして、待ってくれている千冬のもとへ走る。


「お待たせ千冬。円佳さんもありがとうございます」

「後輩君も大変ね。ま、私もだけど」

「斗真君……」


 千冬はすぐに俺のそばに寄ってきて、腕に絡まるように引っ付いてくる。

 その様子を見て円佳さんはちょっと笑いながら、「頼んだよ後輩君」とだけ。


 さっさと、行ってしまった。


「……円佳さんが来てくれてよかったね」

「うん、いなかったら寂しくて死んでた」

「でも、ちゃんと待てたわけだし。きっと慣れるよ」

「……うん、でも」


 アパートが見えてきたあたりで、千冬は足を止めて俺に抱き着く。

 そのまま、動かなくなって少ししてから。

 うるんだ目で俺を見上げてくる。


「寂しかった……今日はいっぱい、して?」

「……うん、ごめんね」


 震える肩を支えながら、その場で思わずキスをしてしまう。

 さっきまで太陽が照っていたのに、空は次第に暗くなって。


 やがて雨が降り始める。

 でも、千冬は俺から離れない。 

 俺も、千冬から離れられない。

 サーっと雨の音を聞きながら体が徐々に濡れていく。


 やがて、その雨が強くなるまでずっと。

 アパートの前で千冬を抱きしめていた。



「……濡れちゃったね」

「うん、濡れちゃった。ごめんね斗真君」


 キスに夢中だったせいで気づかなかったが、体はずいぶんと濡れていた。

 部屋に上がると玄関には水が滴る。


「お風呂、入ろっか」


 そのまま脱衣所に行って濡れた服を洗濯機へ放り込む。

 裸のまま、互いの服が洗濯される様子を少し見ていると千冬が笑う。


「斗真君の服と私の服、いつも一緒」

「うん、初めて家に来た時もそうだったっけ」

「私も、ずっと斗真君と一緒」

「うん……一緒にお風呂入ろっか」

「……ここでしよ?」

「うん……」


 脱衣所でそのまま。

 雨で互いに冷えた体が触れ合うと、冷たいのにその奥にあるぬくもりを感じて。

 ガタガタと揺れる洗濯機の音だけが響くこの空間で、互いを求めあって。

 体を重ねた。



「……夜ごはん、どうしよっか」


 脱衣所で、風呂で、そして上がってからも。

 目を合わすたびに互いを求めてしまう俺たちの時間はあっという間に過ぎていく。

 気が付けば夜だ。

 飯を食うことも忘れて千冬の体を貪って、満たされて。

 それでもやっぱり腹は減る。


「今日は今からあるもので作るね。明日はサバの味噌煮にしようかな」

「うん、おいしそう。俺も手伝うよ」

「ううん、私がする。斗真君、お仕事で疲れてるから」


 確かに俺は、結構疲れていた。

 ただ、それはバイトのせい、というより何度も千冬を抱いたせい、だ。

 男はいろいろと消耗する。

 いくら若くてもそう何度もエッチをしていてはやはり限界はくるってもんで。

 

 そうなると、俺の気分は落ち着くのだけど千冬はどうだろう。

 多分俺が無限に枯れない泉なら、ずっと湧水を飲み続けているに違いない。

 俺を求めてくれるのはうれしいけど、さすがに毎日こうだとなあって。

 思ったりするのは多分、自分が今さっきすっきりしたばかりだから。


 まだ、俺は千冬を満たせてあげられていない。

 だから不安なんだろう。

 不満なんだろう。


 そう思うと、もっと彼女のために頑張ってあげないとって、そんなことばかり考えて、また、迷路にはまる。


「……できたよ。ピザにしてみた」


 千冬の食べるものはなんでもおいしくて。

 千冬はなんでもおいしそうに食べる。


「ん……おいひい。斗真君、うまくできてるよ」

「うん、おいしい。あ、千冬。口にチーズついてる」

「じゃあ、とって」

「うん。ええと、ティッシュは」

「そのまま、食べて」

「え、う、うん」

「ん……」

「んっ……」


 ただれた生活、というのはこういうことなのだろう。

 あれこれ考えても、結局彼女とキスをしたら全部考えていたことが吹っ飛んでいく。

 溶けていく。

 チーズと溶け合った甘酸っぱい彼女の味とともに、俺はまた夜に落ちていく。



「ふあ……眠い」


 最近、寝起きがつらい。

 毎日、毎晩、ずっと千冬と過ごす時間が楽しすぎて。

 寝不足だ。

 それに、体もだるい。


「おはよう斗真君。朝ごはん、できてるよ」


 まあ、しかし遅刻の心配はない。

 いつも千冬が起こしてくれる。


 一緒にいるときはなんでもしてくれる。

 尽くしてくれる。

 もちろん甘えてばかりじゃダメってわかってるけど、つい彼女のやさしさに甘えてしまう。


「うん、ありがとう。千冬、そういえば最近家に帰ってないけど大丈夫?」

「うん、お母さんとは連絡してるから。帰ったほうがいい?」

「ち、違うよ。俺は、帰ってほしくないから」

「……うん。好き、大好き」


 学校へ向かう時も、最近だと千冬は俺の手を握って離さない。

 見られている、というよりは見せつけている感じで、もう俺と千冬の関係を知らない生徒はいない。


 皆、千冬のことはあきらめてくれたようだ。

 ただ、それでいろいろ落ち着いたのは落ち着いたんだけど。



『斗真君、授業何?』

『斗真君、寝てる?』

「斗真君、ひとり?』


 学校で、ずっとラインがくるようになった。

 授業中も、会えない休み時間も。

 なんなら昼休みに会う直前にまで『もうすぐ着くからね』とラインが来る。


 授業中でも、返事をしなければずっと向こうから連絡がくるので、なんとか先生の目を盗んで返信してはいるけど。


 さすがにそれはどうなんだろうと。

 多分円佳さんなら、はっきりと「やめなさい」って言えるんだろうけど。

 俺は、彼女のダメな部分を受け入れるべきなのか正すべきなのか。


 そんなことでずっと悩みながら。

 鳴りやまないスマホのバイブの振動を先生に悟られないようにしながら、学校での一日を終えた。

 

 

 

 

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