第32話 離れる時間が切なくて
「千冬、今日はバイトの面接が決まったよ」
ドロドロに溶け合った昨晩は、結局夜遅くまで千冬と肌を重ねて求め合った。
その快楽の夢からは、翌朝目が覚めてからもずっと覚めることはなく。
学校へ行ってからもずっと。
夢の中に俺はいた。
しかし、ふと円佳さんの言葉を思い出してようやく目が覚めた俺は、休み時間にアルバイトの応募を何件かやって。
連絡が返ってきたのは、近くのスーパーだ。
夕方から夜にかけて、数時間程度だけどすぐに入れそうとあって、早速面接を希望した。
親に千冬とのことを相談したら、まずはお金を貯めろってことだったのから、早く引っ越しできるだけのお金を貯めて一緒に住むための第一歩を踏み出したというわけ。
で、その報告を昼食を一緒に食べながら千冬に。
「うん、よかったね。えと、どこ?」
「いつもいくスーパーだよ。女性がいないっていうのは難しいけど、主婦の人ばかりだから同世代の人はいないよ」
「……斗真君、年上好きなんでしょ」
「親子ほど離れた人はさすがに……じゃなくて千冬以外は誰でも一緒だって」
「うん。じゃあ毎日買い物にいく。斗真君の仕事見に行く」
「そうだね。仕事終わりに千冬の作ってくれたご飯が待ってるなんて、贅沢だよほんと」
「ご飯だけ?」
「千冬がいるのが一番だって」
「うん……大好き」
千冬も、千冬なりに我慢する努力をしようとしてくれている。
四六時中一緒にはいられない。
だから離れる時間もあるけど、それもこれもずっと一緒にいるために必要なことなんだって。
理解しようと頑張ってくれてる千冬と一緒にいるためにも。
今日の面接、頑張らないとな。
◇
「斗真君、迎えにきたよ」
千冬が放課後に俺のところにくることは、すっかり恒例行事になった。
最初は僻んでガミガミと噛み付いてきてた連中も、すっかり何も言わなくなって。
千冬と一緒に教室を出てから今日はそのままスーパーへ向かう。
「面接はすぐ終わると思うけど、先に帰っとく?」
「ううん、待ちたい。ダメ?」
「千冬がいいならいいよ。じゃあ、その間に買い物でもしておく?」
「うん」
いつものスーパーに着くと、まず俺は奥にある事務所を訪ねる。
千冬は扉の向こうで、悲しそうな顔をしながら俺を見送る。
すぐに戻るよと伝えると、「買い物して待ってるね」と。
ふり絞るようにそう話す千冬の姿を見て、少し胸が痛かった。
事務所の中に入ると、そこで待っていたのは大柄の女性。
いかにもおばちゃんって感じのパーマを当てた人がジャージで座っていた。
「あら、面接の人?」
「え、ええ。相良と申します。よろしくお願いします」
「うん、採用」
「……え?」
「いやさ、人が足りてなくって。入りたいだけ入っていいからよろしくね。あ、私はここの店長の田中。よろしく」
「は、はい」
なんかあっさりというより拍子抜けするほど早く採用されてしまった。
まあ、理由はどうあれ仕事が決まったことにほっとして、田中さんとラインの交換をしたところで面接は終了。
シフトや、細かい説明はラインでやり取りするそうだ。
「では、失礼します」
すぐに事務所を出る。
千冬が待ってるだろうからと、慌てて扉をあけると、
「斗真君!」
目の前に千冬が立っていた。
「あ、千冬? 買い物は?」
「まだ。斗真君、待ってたの」
「そんな、ぶらぶらしててよかったのに」
「ううん、買い物も斗真君と一緒がいい、から」
寂しかったのだろう。
今にも泣きそうな様子で俺のそばに来て、すぐに手をつないでくる。
そして下を向いたまま「ごめんなさい、困るよね」と。
「困らないよ。でも、これからはバイトの時だけ我慢してもらうけど、家でちゃんと待っててくれる?」
「うん。お引越しがすぐにできるように、お片付けとかしておく」
一緒にいると、千冬の表情は明るくて。
買い物をしている時も、時々笑ったりしながら楽しそうで。
俺がいないとダメなんだろうって、はっきりそうわかる。
俺も、千冬がいないともうダメだ。
ずっとそばにいたい。
バイトの採用が決まったのに、行きたいとすら思えない。
それがだめなことだって、頭ではわかっているのに。
◇
「斗真君、ごはんできたよ」
半同棲生活もずいぶんと板についてきた。
毎朝毎晩千冬がおいしいご飯を作ってくれて、ちょっと俺は太り気味だ。
でも、少し贅肉が付きかけたおなかを気にしていると、「斗真君は太ってもかわいいから、いいの。大好き」って言って千冬は俺のおなかをなめるように触る。
そして自分のお腹のあたりをさすってから、「今日は当たりの日、だよ?」と言って俺を誘う。
ただ、ちゃんと着けるものは着けている。
円佳さんの忠告を、俺はかたくなに守っている。
多分、後先考えず欲望に負けることは楽なんだろうけど。
それじゃダメだって教えてくれた人がいるんだから、そのアドバイスは大切にしたい。
千冬はいつも残念そうにするけど。
まだ高校生の俺たちに万が一のことがあったらそれこそ一緒にいられなくなると。
そう話すと、いつも最後は千冬もわかってくれる。
「うん、おいしい。千冬、今日はアルバイト初日だけど三時間だけだから。待てる?」
「……頑張る。円佳にずっと電話して待つ」
「あはは、あんまり困らせたら円佳さんも大変だよ」
「斗真君は円佳の心配をするの?」
「そ、そうじゃないって」
「寂しい……私、ちゃんと待てるか不安」
「うん……大丈夫、終わったらすぐ帰るから」
「待ってる。頑張るね、私」
シフトは、月曜、水曜の夕方と日曜の昼間。
それぞれ三時間ずつだけ。
まずは千冬が、俺のいない時間に慣れるところから。
でも、ちょっとでもお金を稼いで貯めて。
そうすればこそこそとせず、堂々と千冬と暮らせる。
「じゃあ、行ってくるね」
「お見送りしたら、ダメ?」
「そうしてもらいたいけど、帰り一人になっちゃうから。そのほうが心配だし」
「……うん、わかった」
玄関を閉めるその時まで、彼女は俺に手を振り続けていた。
玄関が閉まって千冬の姿が見えなくなると、俺も葉を食いしばってアパートを出る。
悲しそうな彼女を置いて仕事に出かけることがこんなにも心苦しいなんて、思いもしなかった。
早く帰って彼女を抱きしめたい。
まだ、始まってもいない仕事が終わった後のことばかり考えながら、俺は重い足を必死に前に出してスーパーへ向かった。
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