第20話 そして夜になる

「カレー、玉ねぎ入れるけど大丈夫?」


 少し寒いくらいに冷房の効いた店内で、先輩は俺の手をしっかり握ったまま買い物かごを手に取る。

 慌ててそれを俺が持つと、「優しい」と言って、少し握力を強める。


「相楽君、すごく優しいね」

「い、いえ。重いものを持つのは男の仕事ですから」

「重いの、大丈夫?」

「は、はい。意外と、力は自信あるんですよ」

「もう……」


 少し口をとがらせると、先輩は肩を当てて肌触りのいいスウェット生地を俺の腕に滑らせる。

 そして、体を少しよじりながら。


「私、重い?」


 と。

 でも、先輩は俺にもたれかかった時も、本当に軽くて。

 細くて、ちょっと俺より小さい。

 でも、しっかり胸なんかはあって……ってそうじゃなくて。


「いえ、全然ですよ」

「……よかった」


 これだけ細い人でも、女の人はやっぱり体重とか気にしがちなのだろう。

 そういえば、一緒にいても俺の分だけご飯作って、先輩は食べないってことも多いし。

 

「ねえ先輩、よかったらカレー、一緒に作りませんか?」


 先輩が野菜コーナーで何を買うか見ているところで、提案してみる。

 もっとも、一緒に料理するどころか、何もしないでといつも言われているので今日も断られるかもだけど。


「……私のカレーだと、不安?」

「そうじゃありませんよ。でも、先輩と一緒に何かしてみたくて。ダメ、ですかね?」

「……」


 精肉コーナーに向かいながら、先輩は少し悩んでいた。

 やっぱり、俺に料理をさせたくないってこと、だろうか。

 でも、悩んだ末に先輩は。


「……お肉、切るの手伝ってくれる?」


 と、パックに入ったお肉をこっちに向けながら、それで顔を隠すようにして目尻を下げる。


「は、はい。手伝います」

「うん。私、力がないからお肉切るの苦手で」

「そんなことならなんでも言ってくださいよ。俺、なんでもしますから」

「なん、でも……?」

「はい、先輩のお願いだったらなんだって」

「きゅん……きゅうぅぅ」


 そのまま、お肉で顔を全部隠しながら。

 先輩から、だろうか。

 きゅっと、甲高い音が鳴った。


「相楽君……なんでもしてくれるんだ」


 レジに並ぶ時、先輩はいつにも増して嬉しそうだった。

 俺が料理を手伝うと言ったことがよかったのだろうか。

 でも、これでようやく先輩の為に何かしてあげられる。

 何も買ってあげられてないし、いつもしてもらってばっかだけど今日くらいは先輩の力になりたい。


 ……それに、今度こそちゃんと、言わないと。


 先輩とずっと一緒にいたいって。

 もう、俺は先輩がいないと……。



「相楽君、お手洗い借りるね」


 部屋に戻ってすぐ、キッチンに買ったものを置くと先輩はトイレに向かう。

 その時、チラリと俺を見る。

 目で合図する。

 そこにいて、という声が、なぜか聞こえたような気がした。


「はい。じゃあ……ここにいますね」

「うん」


 先輩は多分、極度の寂しがり屋さんなのだろう。

 でも、理由はわからないが男嫌いで頼る人がいなくて。

 だけど俺という無害そうな後輩を見つけて、安心して頼ってくれてるってくらいに思っていたけど。


 だけどキスまでされたんだ。

 それも、ただ寂しくてなんて、思いたくない。

 先輩はそんなみだらな人じゃない。

 俺に好意を持ってくれてるからこそ、ああして気持ちを伝えてくれたんだ。


 カレーを食べて、時間が空いた時に俺は……。


「相楽君、出たよ」


 トイレから先輩が出てきて、洗面所で彼女は手を洗う。

 でも、水が流れる音が止まない。

 ジャーっと、しばらく強く水が流れる音がして。

 何かあったのかと思って先輩の様子を見に行くと、先輩は一生懸命に手を洗っていた。


 まるで手にこびりついた油汚れでも落とすかのように。

 ごしごしと、入念に。


「……また、汚しちゃった」

「先輩、大丈夫ですか? トイレ、もしかして汚かったとか」

「う、ううん。大丈夫、そうじゃなくて」


 声をかけると、ようやく蛇口をひねって水が止まり。

 先輩はタオルで手を拭きながら「はあ」とため息をつく。


「先輩?」

「……タオル、汚しちゃった」

「そんな。先輩の手を拭けたなら俺のタオルも本望ですって」

「優しい……うん、カレー作ろっか」

「はい」


 いつもなら、向こうに行けと言われて部屋で待つ時間だけど。

 今日は一緒に台所に並ぶ。

 使い慣れたはずのキッチンなのに、先輩といた数日何もしなかったせいか、まるで他人の家で料理をしているような気分にさせられる。


 食器や調理器具の場所も随分変わったから、だろうか。

 でも、新鮮な気分だ。

 それに先輩と一緒に料理なんて、ウキウキしないわけがない。


「先輩、お肉まず切りますね」

「うん、お願い。私、お湯沸かすから」

「あと、ついでに野菜も切りましょうか?」

「ううん、大丈夫。相楽君は、お肉担当ね」


 結局、俺がやったことは本当に肉を切っただけ。

 あとは全部、先輩がやってくれて。

 でも、料理を作る先輩の姿を横で見れて、とても幸せな気分だった。


「うん、できた」

「あ、いい匂い。先輩、俺が持っていきますね」

「ううん、ダメ」

「で、でも」

「一緒に、もっていこ?」

「……はい」


 そんなことを言われて、俺の頭の中はまた真っ白、というか真っピンクになる。

 先輩が可愛すぎる。

 カレーの味とか、おなかがすいたこととか、今はそれどころじゃなく。


 でも、体は正直なのか部屋に戻ってカレーを前にするとお腹がぐーっとなる。


「ふふっ、相楽君お腹空いてるんだ」

「す、すみません。おいしそうでつい」

「うん、食べよ」


 しかし、いざ食べる時になって肝心なことを思い出す。

 そういや、スプーンが一個しかなかったのだ。


「あ……どうしよう、スプーンが一個しかなかったんだ」

「うん、私はいいよ」

「だ、だめですよ先輩が使ってください。俺、箸でも使って食べますから」

「ううん、そうじゃなくて。一緒」

「一緒?」

「一緒に、使お?」


 先輩はスプーンを持つと、一口カレーを食べて。


「今度は相楽君の番」といって、俺にそれを渡す。

 

 もちろん、間接キスは何回も経験したし、なんならキスだって今日経験したところだから以前に比べて気まずさなんてものはなかったけど。


「……すみません、じゃあ」

「うん、一緒だね」

「は、はい。うん、うまい」

「じゃあ私にも。あーんして」

「え、あ、熱いですよ?」

「あーん」

「……あーん」


 俺が使ったスプーンで、今度は先輩の口へカレーを放り込む。

 食べると、先輩は「うん」と声を出してから頬をおさえて。


「一緒だと、いいね」と言って笑う。


 その笑顔が、蕩けるような表情が俺の心臓を躍動させる。

 全身の血を、下半身へと流していく。


 まだ、お昼だというのに。

 俺は、ベッドの方を何度も見てしまい。


 早く外が暗くなることを祈っていた。

 

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