第16話 つけないほうがいい?


「コンビニ、行かない?」


 洗い物を終えた先輩は部屋に戻ると俺にそう言った。

 まだ、さっきのことがあったせいで先輩の目をちゃんと見れない俺は目を泳がせながら「ええ」と生返事をして。


 一緒に部屋を出た。


「……」


 夜道で、気まずい空気が流れる。

 一体、どういうつもりで俺の指を舐めてきたのか。

 しかも美味しそうに、味わうようにしゃぶるその姿は、あまりに強烈に俺の網膜に焼き付いている。

 勝手に、指ではなく俺のあそこを舐める先輩の姿なんかも想像してしまう。

 いけない妄想だけど、止まらない。

 これ以上何かされたら、俺の理性が吹っ飛んでしまう。


「……相楽君、どうしたの?」

「い、いえ別に……夜、暗いなって」

「そうだね。怖いから、手、繋いでもいい?」

「……はい」


 ちょっとためらった。

 この状況で手を繋がれたりしたら、果たして俺は獣になってしまわないかと。

 心配になったが、そっと彼女が俺の手を握ると、ひんやりした彼女の体温で心が落ち着く。

 体を寄せてくると、甘い香りが鼻孔をくすぐる。

 ムラッとしないわけではないけど、我慢できない範囲じゃない。

 むしろ、ずっとこうしていたいとすら、思わせられる。


「先輩って、手、冷たいですよね」

「冷え性、なのかな。嫌?」

「いえ、俺は結構体温高いので気持ちいいです」

「気持ちいいの、好き?」

「え、それは、まあ」

「気持ちいいこと、したい?」

「え、あの……ひっ」


 先輩が、俺の指に自分の指を絡めてきた。

 細い指が俺の指の間にスルッと入り込む感触に、思わず変な声を出してしまう。

 恋人繋ぎってやつ、だよなこれ。

 なにこれ……感じたことのない感覚だ。

 気持ちいい、というか満たされる感じというか。

 

「……先輩、さすがにこれは」

「離れないように、しっかり握ってないと」

「そ、それはそう、なんですけど」

「嫌?」

「い、嫌なわけないですよ」

「じゃあ、うん」


 少し手に力がこもる。

 先輩の指は、とても細くてサラサラしている。

 強く握ったら折れてしまいそうだ。

 手汗が、止まらない。


 早くコンビニについてくれと願いながら暗い道を進んでいると、ようやく道路の角に明かりが見える。

 

 街灯が少ないこの辺りで、唯一の明かりともいえるコンビニ。

 なんかいつもよりここに来るまでの道のりが随分長く感じたけど。

 先輩といると、時間がゆっくり流れるようになってるのだろうか。


「先輩、この辺りは明るくて安心ですね」

「そうだね」

「ええと、何を買う予定なんですか? やっぱり、甘いものとか」

「……うん」


 そのまま、店内へ。

 もう暗がりではないはずなのに、先輩は手を離さない。

 うっかりしているのだろうか。

 でも、振りほどく理由もないし……なるべく意識しないように。

 店員以外誰もいない静かな店の中でまず先輩は、角にあるデザートコーナーに目を向ける。


 しかしすぐに別の場所へ行こうとする。

 目当てのものがなかったのだろうか。


「先輩、食べたいのがなかったですか?」

「うん、食べたいものはあれじゃないかな」

「そうですか。じゃあお菓子でも買います?」

「……相楽君は、つけない方がいい?」

「?」


 何の話だろうと首をかしげだが、先輩がジャージの袖をスンスンと嗅ぐ仕草を見てピンとくる。

 香水のこと、かな?

 すごくいい香りだけど、香水って嫌いな人もいるみたいだから気を遣ってくれてるんだな、きっと。


「すっごくいい香りですよ。俺、先輩の甘い香り、好きですね」

「す、好きなんだ……きゅうぅ」

「あ、いえすみません……でも、ほんといい香りですから」

「……そうじゃないのに」

「?」

「ううん、やっぱりシュークリーム、買ってくれる?」

「は、はい。いいですよ」


 結局店内をプラプラして、シュークリームを二つ買って店を出る。

 会計の時も絶対に手を離さない先輩を見て、店員の女性は少し微笑んでいた。

 カップル、にしか見えないよなあ。

 でも、手をつなぐのって好きじゃない異性に対してもできることなんだろうか?

 それともやっぱり俺のことを……。


「相楽君」


 店を出てすぐ。

 角を曲がってまた暗い道に出たところで先輩が俺を呼ぶ。


「ど、どうしました?」

「相楽君、私の匂い、好きなんだ」

「え、そ、そうですね。俺、女性の香水とか慣れてないからですけど、先輩みたいないい香りする人は初めてです」

「他の人の匂い、嗅いだことあるの?」

「え? いてっ」


 彼女が、手に力を込めて。

 そのあと、ギリッと奥歯をかみしめる。

 怒ってる、ようだ。

 でも、どうして? 俺もまた、他の男子連中のように女子の匂いに反応するえっちなことに興味津々なやつと思われたから?


「ち、違いますよ。そんな、においを感じるほど誰かの傍にいることなんて、なかったですし」

「……じゃあ、うん」

 

 締め付けられた俺の指は、ゆっくり解放される。

 よかった、誤解されずに済んだ。 

 でも、怒った先輩はちょっと怖かった。

 下手なことは言えないなと、その後は口籠ってしまい。


 部屋に着くまでの間は互いに黙ったままだった。


 ようやくアパートに帰ってくると、時刻は夜の九時を過ぎていた。

 一旦部屋に案内したものの、もうすぐ先輩を送っていかないといけない時間が来る。

 今は一緒にベッドに腰かけてシュークリームを食べようとしてるところ。


「先輩、デザート食べたら遅くなる前に送っていきますよ」

「……でも、今日着てた服も洗っちゃったし」

「また洗っちゃったんですか? まあ、そのジャージでよければ貸しておきますけど」

「着て帰っていいの?」

「え、ええ。洗ってたスウェットもしわくちゃですし」

「……」


 顎に手をあてて、先輩は考え込む。

 何をそんなに悩むことがあるのだろうかと不思議になるほど、うーんと声を漏らしながら悩んでいて。

 その後、「ううん、やっぱりダメ」と言って俺の案は却下された。


「これ以上借りて帰ったら、相楽君の服がなくなるから」

「まあ、それもそうですね。でも、着替え乾くまで待ってたらそれこそ」

「朝には、乾くよね?」

「そ、そりゃ朝には乾きますけど」

「……じゃあ、朝までここにいてもいい?」

「え?」


 先輩は横目で俺をちらりと見てから、大きなシュークリームを小さな口で少しかじる。

 にゅるっと、クリームが割れ目から飛び出して先輩の鼻の下につくと、それをペロッと舐めながら「おいしいよ?」と。

 もちろん俺はシュークリームどころではなく。


「あ、朝までって……でも、それはさすがに」

「相楽君は、迷惑?」

「め、迷惑なんてそんな……ただ、布団も一つしかないし」

「やっぱり、迷惑なんだ……」

「そ、そうじゃありませんって。ええと……いいんですか?」


 朝まで待つ、ということはつまり俺の部屋に泊まるってことだ。

 そんなことをされたら、さすがの俺だって我慢できる確証はない。

 どころか、勘違いして暴走して先輩を襲ってしまうまである。

 俺もただの男子高校生。性欲だって旺盛だ。

 今こうしている時間ですら、理性を保つのに必死だってのに。


「……相楽君に訊いてるの。嫌?」

「俺は……嫌なわけないですけど」

「じゃあ、待たせて? 私は、いいから」

「ごくっ……」


 また一口、小さな口でシュークリームをかじる先輩を見ながら生唾を飲む。

 もしかして、誘われてるんじゃないかと。

 いや、もしかしなくてもこれは誘われてるんだと。

 そう思うと、汗が止まらない。

 先輩を、俺が……。


「シュークリーム、食べないの?」

「え、ああそうですね。せっかくなんで、いただきます」

「うん。でも慌てないで。夜、長いから」

「ごくり……」


 手を震わせながら、袋を開ける。

 そして大きなシュークリームを手に取って、クリームを零さないようにかじる。

 先輩は、先にそれを食べ終えると手に着いたクリームをペロッと舐めてから。 


「手、洗ってくるね」と言って、部屋から出て行った。

 


 

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