第15話 肉汁がたっぷり


「相楽君、ちょっといい?」


 シャワーの音が止まると、部屋の扉のむこうから先輩の声がする。


「は、はい。なんでしょうか」

「着替え、やっぱり貸してもらえない、かな?」

「あ、ああそうですね。はい、用意します」

「うん、それじゃお風呂、もう一回入ってくるね」

 

 先輩の足音がしなくなって、シャワーの音が聞こえたのを確認してから俺は部屋を出てさっさと廊下に自分のジャージを置く。


 そしてしばらくテレビを見ながら待っていると、先輩が「おまたせ」と言って、髪を拭きながら部屋に入ってくる。


 濡れた髪で、またしても俺のジャージを着た先輩が。

 ていうかさっき扉の向こうで先輩、裸だったのかな……。

 なんか、色々とアウトだよなこれ……。


「……」

「どうしたの、相楽君?」

「あ、すみません……やっぱり大きいですかね」

「うん。でも、これってこの前着てたやつ、だよね」

「そ、そうですけど」

「ふふっ、よかった」

「?」

 

 今日一番の笑みをこぼす彼女は、タオルを肩にかけたまま部屋に置いてあった買い物袋から食材を出して。 

 その後なぜか袖口をスンスンと嗅ぐ。

 ……やっぱりにおうのか?


「相楽君、ハンバーグ作るね」

「は、はい。ええと、今日はちなみにお手伝いは」

「来ちゃだめ」

「ですよね……」


 頑なに俺が手伝うことを拒む理由は一体なんなのか。

 もしかして、料理が下手だと思われてるとか。

 うーん、一度彼女に俺の料理を食べてみてもらいたいけど。


「相楽君は、料理しちゃダメ」


 そう言い残して扉の向こうに消える先輩に、どうやって料理を振る舞ったらいいものやら。

 今度こっそり弁当でも作って……うーん、それを渡すのってハードル高いなあ。


 段々と自分の自炊能力に自信をなくしつつ、テレビを見て気分を紛らわせる。

 しばらくすると、肉の焼けるいい匂いが廊下の方から漂ってくる。

 ハンバーグ、もう少しで完成か。

 楽しみだな。



 愛情をたっぷり混ぜたハンバーグをフライパンの上で焼いている。

 ちょっと汚れた手でこねたお肉だけど、私がたっぷり入ってるそれを彼が食べてくれるって思うとちょっと興奮する。

 ……やだ、またいやらしいことを考えてる。

 彼が料理を口に運ぶ時の仕草、とても興奮するの。

 彼が使ったストローをしがみながら、また少し体を火照らせる。


 彼のジャージ、今日の方が彼の匂いが濃い。

 えへへっ、今日もこのまま帰っちゃおうかな。

 今日の人質は私のお気に入りのスウェットにして。

 また、この子ももらったりできないかなあ……。


 ううん、今日は帰らないんだった。

 だからこの子を連れて帰るのは明日だった。

 今日は帰らない。

 今日は逃がさない。

 

「一滴も、零さないからね……」



「できたよ」


 先輩の声がして扉を開けると、お皿に盛られたハンバーグが美味しそうな匂いをさせながら運ばれてきた。

 それにスープも。

 インスタントではなく、野菜を溶かしたようなドロッとしたスープ。

 これもいい匂いがする。


「かぼちゃとピーマンでスープ作ってみたの。あと、ハンバーグは丁寧にこねたから、お口に合うといいなって」

「へえ、すごい。先輩って、ほんとになんでも作れるんですね」


 早速一口。

 スプーンで一掬いして啜るように口に運ぶと、ふわっとかぼちゃの甘味が広がる。

 そして少し癖のある苦みがして、そのバランスが驚くほどちょうどいい。


「うまっ!」

「よかった、喜んでくれて」

「これめちゃくちゃ好きな味ですよ。ハンバーグも、いただいていいですか?」

「全部食べて」

「はい……うまい。これ、昼間の店よりうまい」


 スーパーで買ったミンチ肉がこんな風に化けるなんて。

 

「よかった。いっぱい食べてね」

「はい。でも、どうやったらこんなに肉汁たっぷりなのが作れるんですか?」

「……お汁、好き?」

「はい、美味しいですよね」

「美味しいなんて……えっち」

「?」


 なんか先輩が急に照れていた。

 褒めすぎて照れくさかったのだろうか。

 でも、それくらい称賛しても足りないくらいに、先輩の料理のクオリティは飛びぬけている。


 これは毎日食べたい。

 それに、忘れられなくなる味だった。

 

「ご馳走様です。いや、ほんとに美味しかったです」

「よかった。ねえ、食後にデザートっている?」

「え、あるんですか?」

「……うん」


 ゆっくり頷くと、先輩は俺の隣にきて「召し上がれ」と小さく呟く。

 でも、何も持っていない。


「……ええと、先輩?」

「食べないの?」

「え、あの、だから何を?」

「……じゃあ、私が食べちゃう」


 一体どういう状況なのかと戸惑っていると、先輩は俺の手をそっともって、指を。

 咥えた。


「はむ……」

「ちょ、ちょっと先輩!?」

「ん、ちゅっ……んん」

「く、くすぐったいですって」

「……はあ、おいしい」


 ぺろぺろと指を舐めまわした後、先輩はまるで酒でも飲んだかのように頬を紅潮させながら俺を見てくる。


 その姿と、手に残る先輩の唇の感触のせいで俺は頭が働かない。

 

「……え、えと」

「相楽君……今日はもう少しここにいてもいい?」

「そ、それはもちろん、大丈夫ですけど」

「よかった。食器片づけてくるね」

「は、はい」


 机の上の食器をまとめ、先輩はさっさとキッチンの方へ。

 俺は、さっきまで先輩に舐めまわされた自分の指を見つめ、頭の中が真っ白になっていた。

 


 やだ、相楽君の指、舐めちゃった。

 我慢しようと思ってたのに、できない。

 少し硬くて、しょっぱい、相楽君の指。

 

 でも、食後のデザートはまだ食べてくれないんだ。

 ちょっと、回りくどい言い方だったかな。

 

 ……まだここにいてもいいんだ。

 この後、何しようかな。

 何、してもらおうかな。


 さっき彼を堪能した私の唇を、指でそっとなぞる。

 まだ、彼の味が。感触が残ってる。

 大好き。

 めちゃくちゃにしたい。

 されたい。

 

「……私も肉汁たっぷり、だよ」

 

 

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