第14話 傘があっても濡れるから


「……」

 

 さっき傷口を舐められた感触が、まだ頭から離れない。

 そのせいで帰り道はずっと無言。

 何かしゃべらないとって思うけど、彼女の顔が見れない。

 恥ずかしいってのもあるけど。

 彼女を見ると、変な気分になってしまう。

 いやらしい気持ちに。

 ちょっと距離感が近いというか、手を繋いだり間接キスをしたりすることに抵抗のない彼女にはずっとドキドキさせられっぱなしだけど。

 だからといっていきなり彼女を抱きしめたり、それこそ押し倒したりなんてして、男性への恐怖心をあおってしまったのでは俺もあの変質者と同じになってしまう。

 

 そういうことはちゃんとしてから、と思うけど。

 どうやってちゃんとすればいいのか、経験がなさすぎてわからない。

 こういう時、女性との交際歴があるかないかってすごく大事なんだなと身に染みて思う。

 モテる奴はやっぱり慣れてるから女性の扱いがうまいというか、いつ何をすればいいかのタイミングがわかっているのだろう。

 うーん、彼女の心の声でも聴けたらなあ。

 先輩もずっと無言だけど、何を考えているんだろう。



 相楽君、相楽君、相楽君、相楽君、相楽君……好き。


 照れてしまったのかずっと無言だけど、彼がチラチラと送ってくる視線を私は敏感に察知して、その度に胸や、色んな所がきゅんとする。

 買い物をしてる途中で倒れちゃいそう。

 もう一度、トイレに行っておいた方がいいかな。

 

 ううん、何度もいってたらおかしく思われちゃう。

 我慢しないと……でも、我慢すると余計に彼が欲しくなる。

 触ってほしい。

 弄ってほしい。

 舐めてほしい。

 挿れてほしい。


 ……ヤダ、私ったら。

 もう、彼のことしか考えられない。

 彼にいやらしいことをされる想像ばかりが頭に浮かぶ。

 今日はハンバーグ作らないと、なのに。

 お肉、こねないといけないのに。

 それまで、指を汚したらダメだから。

 もうちょっと、我慢。



「あ、スーパーが見えましたよ」


 色々と考えを巡らせながら、しっかり自制心を持とうと決めたあたりで家の近くまで戻ってきた。

 スーパーが見えた。

 だからなんだと言われそうだが、何か言葉を発しないとこのまま気まずさで押しつぶされそうで。

 

「うん。ハンバーグの具材、買わないとだね」


 ようやく先輩も口を開いてくれてホッと一息だ。

 息がつまりそうな緊迫感とはようやくおさらばできて、俺たちはスーパーの中に入った。


「さてと、まずは何買います?」

「ミンチと、玉ねぎかな」

「なんか昼間もハンバーグ食べたのに、すっかりどんな味か忘れちゃいましたね」

「……忘れられなくしてあげる」

「え、は、はい。期待してます」

「うん」


 一度食べたら忘れられなくなる味。 

 そんなことを言われたら、今から先輩の作るハンバーグとやらが楽しみで仕方なくなってくる。

 料理は二回ほど作ってもらったけどどれも美味しかったし。

 ハンバーグもきっと上手なんだろうなあ。

 俺も自炊するからわかるけど、家の機材だけでどうやってあんなうまいものができるんだろ?


「先輩、今度料理教えてくださいよ」

「どうして?」

「え、まあ一人の時にもせっかくなら美味しいもの作って食べたいし」


 それに、先輩に料理を教えてもらうというシチュエーションもちょっと萌える。

 だから是非、とお願いしたのだけど。


「……やだ」

「え?」

「教えたら、一人で食べちゃうんでしょ?」

「え、まあ特に振る舞う人もいないしそんな腕もないから」

「じゃあ……ダメ。教えない」

「そ、そうですか」

「うん。相楽君は作らなくていいの」

「はあ」


 なぜかわからないが断られた。

 俺の下心が見抜かれたのだろうか。

 変な顔とか、してなかったと思うけど調子に乗りすぎたかな……。


 ちょっとがっかりしながら食材をかごに放り込んで、レジへ。

 お金を払おうとすると、先輩が財布を取り出して俺の前にくる。


「せ、先輩ここは俺が」

「いいの、私が出すから」

「さすがにそれは悪いですよ」

「そうしたいの。いけない?」

「……いえ、それじゃあ」


 先輩に食材を買わせて料理までさせる。

 ちょっとどころかだいぶ悪い気持ちになる。

 何かお礼をしないとな、ほんとに。

 先輩が欲しがっていた植物の種、こっそり買ってプレゼントでもしようかな。


「じゃあ、帰ろっか」


 買い物袋を俺が持って、一緒にスーパーを出る。

 すると、


「雨……」


 外は雨が降っていた。

 さっきまでは日差しが強いくらいの晴れた天気だったのに、ほんとこの時期は天気が変わりやすくて嫌になる。


「どうしましょう、雨ですね」

「日傘ならあるから」

「あ、そっか。やっぱり傘があってよかったですね」

「うん、一緒に入ろ」

「はい」


 今は雨が降っていたから、先輩の傘に便乗することへの抵抗はなかった。

 なるべく先輩を濡らさないように傘を持ちながら、ゆっくり歩いて俺の家に。

 アパートに着く頃には更に雨足が強まっていて、先輩を助けたあの日のように土砂降りの雨が地面を叩きつけていた。


「すごい雨ですね、ほんと」

「うん、傘があってよかった」


 一緒に部屋に戻ると、外が暗くなっているせいか廊下も薄暗い。

 急いで灯りをつけてから靴を脱いで。

 先輩も靴を脱ごうとしていると、そこでまたバランスを崩した。


「あ」


 ポスっと、先輩の軽い身体を受け止める。

 すると、先輩は俺の腰に腕を回す。


「だ、大丈夫ですか?」

「……相楽君、受け止めてくれた」

「や、やっぱり疲れてるんじゃ……料理は無理しなくても」

「ううん、大丈夫。でも、また濡れちゃった」

「え、濡れちゃいました? ごめんなさい、もっと先輩の方に傘を」

「いいの。でも、濡れちゃったからシャワー、借りていい?」

「も、もちろんいいですよ。俺、部屋にいますから」

「うん」


 俺にしがみついたままの先輩を支えながら、風呂場まで案内する。

 そしてタオルを出してから俺は部屋にもどる。


 結局また、先輩が俺の部屋でシャワーを浴びている。

 雨の悪戯、とでもいうべきか。

 今日は着替えとかもないのに大丈夫なのかな。


 ……でも、どこが濡れてたんだろう。

 さっき先輩を支えた時、どこも濡れてなかったような気がしたんだけど……。



 サーっと流れるシャワーの前で。

 私は裸の自分の姿を鏡で見ながら、


「あ……相楽、くん……」


 濡れた部分を撫でる。

 今からハンバーグを作らないといけないのに。

 彼のおうちなのに。

 いけないことだとわかってても、おさまらない。


 くちゅっと音がする。

 その後、糸を引いた指先をシャワーで洗い流す。


「相楽君……抱いてほしい……ほしい」


 このまま、裸で出て行こうかな。

 そんなことしたら嫌われる、かな。

 それとも、喜んでくれるのかな。


 彼は優しいから。

 多分怒ったりしないのだろうけど。


 ……それよりハンバーグ、美味しく作らないと。

 そうしないと、彼があの店に通っちゃう。

 若い女がたくさんいる店に、行かせたくない。

 あの子たちが作る料理、食べさせたくない。


 私が作った料理だけ、食べてほしい。

 私だけ、食べてほしい。

 私のことだけ、見てほしい。

 

 ……ちゃんと、体も綺麗にしておかないと。

 ハンバーグを食べてもらった後は、デザートが必要だから。


 甘いの、好きみたいだし。

 甘い香水、つけておこうかな。

 

「相楽君……今日は帰らないから」

 

 


 

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