第10話 お出かけの時間


「はあ……」


 外の空気を浴びながらあてもなく散歩していると、自然とため息がこぼれてきた。

 まあ、このため息は嫌なことに悩むという感じではなく、むしろ最近の自分の幸運さ加減に不安を覚えてのもの。


 美人な先輩を助けたことで学校では友人たちから英雄扱いされて、その上、あの茅森先輩が毎日俺の為に毎日ご飯作ってくれて今日はこの後デートまで。


 なんか怖くなるな。

 とんでもないしっぺ返しとか、ないよな。


 それこそ、俺が先輩にのめり込んだタイミングでフラれるとか。

 うう、考えただけでゾッとしない。

 

「そろそろ、戻るかな」


 小一時間ほど、その辺をブラブラしてから部屋に戻ることに。

 まだ、先輩は寝てるだろうか。


「ただいま」


 廊下の電気は消えたまま。

 部屋に戻ると、先輩はベッドの中にいた。


「……まだ寝てるのか」


 そう呟いた瞬間、ごそごそと布団が動いた。


「……先輩?」

「……相楽君?」


 ひょこっと布団から、可愛い顔がのぞく。

 

「あ、起きたんですね。ゆっくり寝れました?」

「……うん」


 ゆっくり布団から先輩が出てくると、また甘い香りがあたりに漂う。

 先輩の顔が少し赤い。


「あの、さっき起きたんだけど、汗かいちゃったから。ごめんなさい、布団、濡れちゃって」

「い、いいですよ別に。洗濯、しておきますから」

「しちゃうの?」

「え?」

「ううん、私も着替えたい。お風呂場の制服に、着替えてくるね」


 そのまま先輩が部屋を出て行く。

 制服、置いてあってよかったな。


 このまま、着替えたら出かけるのだろうか。

 だったら俺も、私服に着替えておこう。


 ジャージを脱ぎ捨てて、私服に袖を通す。

 そして寝巻と一緒に洗濯しようと思ってさっき寝巻を置いた場所を見ると。


「あれ?」

 

 そこに置いたはずの服がない。

 片付けたっけ? いや、さっき確かにここにたたんで置いた気がするんだけど。


「相楽君、着替えだよ」


 狐につままれたような、不思議な感覚に首をひねっていると制服姿の先輩が。

 制服はしわだらけだ。

 

「あ、すみません。先輩、ここに俺の寝巻置いてなかったですか?」

「うん、あったから今、洗濯機に入れたよ」

「あ、そうですか。ええと、もしかして先輩のスウェットも」

「一緒に洗ったよ」

「あ、そうなんですね……」


 また、先輩の服が俺の服と一緒に洗濯機で回っている。

 ということはまた、先輩の服を俺が干すことに……いや、今日は自分でやってもらおう。

 

「それより先輩、制服がしわだらけですよ。着替え取りに帰ります?」

「うん。相楽君、優しいね」

「そ、そんな。俺は別に優しくなんか」

「ううん、優しい……」


 ガタガタと洗濯機の音が響く部屋の廊下で。

 先輩はしわくちゃの制服に裸足という格好のまま、自分の人差し指を咥えて俺を見ている。

 その光景が、何かいけないことをしているように感じさせられて。


 俺は口籠る。

 ガタガタと、廊下が少し揺れる。


「……相楽君、いいよ?」

「へ? い、いいって、何がですか?」

「……なんでも、いいのに」

「なん、でも?」

「ううん、ごめんなさい。まだお昼にもなってないもんね。いこっか」


 一体彼女は何を言いたかったのか。

 所々で言葉が途切れるので先輩の言いたかったことはわからずじまい。


 そのまま一緒に部屋を出て、向かったのはすぐそこにある先輩の家。


 何か話題を探そうと思っている間に、到着してしまった。


「じゃあ、俺は待ってますので」

「え、ダメ。外で待たせるのは悪いから」

「いや、でも着替えだけなら」

「ダメ。お茶でも飲んでいって」


 先輩の目が少し怖い。

 そこまで睨まなくてもと言いたくなるほど、ジッと俺を見てくる。

 うん、と。首を縦に振るしかなかった。


「じゃあ、いこっか」

「は、はい」


 先輩の家は大きな一軒家だ。

 庭もある。

 この辺りでは一番立派な家なんじゃないだろうか。


「大きいですね、やっぱり」

「母の実家なの。おじいちゃんが、結構お金持ちだったみたいで」

「へえ、そうなんですね」

「じゃあ着替えてくるから。相楽君も部屋、来る?」

「え、いやいや着替えるのにそれはできませんよ」

「……もう」

「?」


 なんて話をされながら、先輩は少し暗い顔をして俺をリビングへと案内してくれる。

 今日は誰もいないそうだ。

 実家とはいえ、初めて女の人の家にお邪魔した。

 ちょっと緊張するなあ。


「じゃあ、待ってて」


 先輩がいなくなると、広いリビングで一人ぽつんと取り残されてそわそわする。

 きょろきょろと部屋を見渡してみても、特にこれといったものはない。

 テレビや家具だけのシンプルな部屋。

 趣味とかはないのかな。



 相楽君が、相楽君がうちにいる……。

 どうしよう、このまま押し倒してもいいのかな。

 だ、だめ……そんなこと考えてたらまた濡れちゃう。

 はしたない女だって、思われちゃう。


 どうしよう、何を着ていけばいいかな。

 今日の彼は、黒いTシャツにデニム。

 私も、お揃いにしようかな。

 ペアルックにしたら、私の気持ちも気づいてもらえるかな。


 ……あ、彼のジャージがそのままだ。

 でも、これはもう私のものだから。


 すんすん……うん、いい匂い。

 えへへっ、相楽君がうちに来てくれた。

 このまま、私の部屋にもきてくれたらいいのに。

 そうしたら私……やだ、体が熱い。


 ……濡れてもわかりにくいように、スカートにしよっかな。



「お待たせ」


 しばらく携帯を触って待っていると先輩が戻ってきた。

 黒のシャツに長めのスカート姿。

 可愛い。いや、この人の場合何を着ても似合う。


「どう、かな?」

「すごくおしゃれですよ。やっぱりモデルがいいと服も映えますね」

「嬉しい……きゅん」

「?」


 なんか時々変な音がするけど、先輩のお腹が鳴ってるのかな?

 そういや、朝ご飯も俺だけが食べてたし。お腹が空いたのかもしれない。


「じゃあ行きましょう。早速ですけど、何か食べます?」

「え、早速食べてくれるの?」

「ま、まあ付き合いますけど」

「……うん、食べたい。食べられたい」

「はあ」


 よほどお腹が空いてるのか。

 よかった、そういう細かい気遣いができる人間で。

 先輩といると見蕩れてしまってうっかりしてることが多いからなあ。

 

 今日はそんなことがないようにと、気を引き締めながら先輩の家を出る。

 すると先輩は、玄関に立てかけてあった大きな黒い傘を広げる。


「入って」


 大きな黒い瞳で俺を見ながら、彼女は俺を傘に誘う。

 日傘をさしてデート、というのもなんかちょっと変な感じだけど、彼女がそういうスタンスなら付き合うしかないだろう。

 そっと彼女の横に立つと、ニコッと笑う。

 そして目が合うと彼女の頬が紅くなり、下を向いてしまう。

 また、甘い香りが傘の中に充満する。


「……いきましょ」


 ゆっくりと敷地から道路へ出る。

 そのまま足並みをそろえて歩いていると、しばらく無言だった先輩がようやく口を開く。


「今日、お母さんは仕事の後で飲み会で帰ってこないって」

「そうなんですね。結構一人のこと、多いんですか?」

「うん。家でいつも一人」

「それもちょっと寂しいですね。ま、俺も一人ですけど」

「……一緒に」

「え?」

「う、ううん。洗濯物、一緒に回ってるね」

「あ、そういえば。帰ったら乾燥終わってますかね」

「うん、そうだね」


 なんで今になって洗濯物の話なんかしたんだろうと、彼女の方を不思議そうに見るとまた、頬を赤くして目線を下げていた。


 照れた様子の横顔も可愛い。

 こんな人と今日はデートだなんて、ほんと人助けってやってみるもんだなと。


 そのまま、店が密集する駅前にまず向かうこととなった。

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