第9話 そこで彼女は何をしているのか

 先輩とのメッセージの送り合いは、深夜まで続いた。

 他愛もない話ばかりで、最後は俺が風呂も忘れて寝落ちしてしまっていて。


 翌朝早くに目が覚めてスマホを見ると、先輩が俺を心配してか、十件ほどメッセージを残していた。


「やばっ、連絡しないと」


 件数の多さもそうだが、最後のメッセージに『相楽君が心配だからそっちいこうかな』って書いていて、そんなことをさせるわけにはいかないと慌てて連絡を入れた。

 まあ、今更だし来てるわけもないだろうけど。


『おはようございます、すみません寝落ちしてました』


 そう返信すると、すぐに既読になった。

 起きてる?

 と、思った矢先。


 インターホンが鳴る。


「はーい?」


 こんな朝早くに誰が? 

 急いで玄関を開けると、そこには。


「あ、おはよう……相楽君」


 淡いピンクのスウェットを着た茅森先輩が立っていた。


「え……なんで?」

「……来ちゃったら、いけなかった?」

「い、いえ、そんなことは。でも」


 今はまだ朝の六時だ。

 こんな時間になんで先輩が?

 まさか、連絡を返さなかったから本当に来たのか?


「あの、先輩もしかして」

「ち、違うの……朝、散歩してたついでに寄ったから。ずっと外になんて、いなかったよ?」


 もじもじしながら、手を前でこまねく先輩の姿はとてもいじらしく。

 俺は思わず見蕩れてしまう。

 可愛い……なんだこの人、可愛い。


「……あ、すみません。いや、でもまだ朝は薄暗いし。一人でウロウロしない方がいいんじゃないですか?」

「そう、だね。うん、それじゃ……部屋、あがってもいい?」

「は、はい。どうぞ」


 早朝から、先輩が部屋にやってきた。

 先輩が部屋に入った瞬間、辺りが甘い香りに包まれる。

 香水? シャンプー? なんだろう、とにかくいい香りだ。

 それにスウェット姿って、いいな。

 無防備というか、そんな恰好で俺の部屋にいると先輩が俺の部屋に寝泊まりしたような錯覚をおこす。


「……先輩、そういえば制服」

「うん、忘れてたね。片付けてくれたの?」

「い、いえ。すみませんそのままにしてて」

「そっか……」


 ちょっと残念そうにする先輩をみると、こっちも申し訳なくなる。

 やっぱりちゃんと折りたたんであげておいた方がよかったのかな。

 でも、なあ。女の人の下着をたたむなんて……俺にはハードル高いよ。


「相楽君、朝ご飯食べた?」

「い、いえ。朝はあんまり食べなくて」

「いけない。朝ご飯食べないと元気でないから」


 先輩はそのまま、キッチンに立つとやかんにお水を入れて火にかける。

 そのあと、冷蔵庫から卵を二つ取り出して、「待ってて」とだけ。

 どうやら朝食を作ってくれるようだ。


「俺も、今日こそ手伝いますよ」

「ううん、いいの。相楽君は部屋でゆっくりしてて」

「で、でも」

「私の料理、心配?」


 少し目に涙がにじむ。

 まるで捨てられた子犬のように、絶望した顔をこちらに向けてくる。


「ダメなの? 私のご飯だったら……満足しない?」

「そ、そんなわけないですよ。俺、先輩のご飯、好きですから」

「……ほんとに?」

「え、ええ。だから、うん、お任せします」

「そっか。うん、わかった」


 なんかこれ以上ここにいたらまずいような気がして。

 さっさと料理を始める先輩が気になりながらも部屋に戻る。

 

 キッチンから、念を押すように「こっちに来ないでね」と。

 そう言われると、逆に気になってくるのが人間というもの。

 

 まるで鶴の恩返しみたいだ。

 扉一枚向こうで、先輩は一体何をしているのだろう。

 いや、多分朝飯を作ってるのだろうけど。


 ……。


 いけないこととわかりつつも、俺はこっそり部屋の扉を開けて、隙間から廊下を覗く。


 すると、先輩はコンロの前に立ってフライパンで何かを焼いている。

 よかった、鶴じゃなかった。


 なんてくだらないことを考えていると、先輩はスプーンを取り出して。


 ペロッと舐めた。

 味見? でも、どうしてスプーンの裏側を?


 そしてうっとりする。

 ほんのり顔を赤くしながら、スプーンをじいっと見つめて。


「相楽君……」


 なぜか俺の名前を呟く。

 もしかして気づかれたのではと、警戒して俺は慌てて扉を閉じる。

 のぞき見はここまで。

 なんか、とてもいけないものを見てしまったような気になった。


 先輩が時々浮かべる酔ったような表情。

 あれを見ていると、胸が破裂しそうになる。

 ドキドキ、なんて生易しいものじゃない。

 息をすることも忘れてしまいそうな、そんな魅力がある。

 

 ベッドに座り直した今も、まだ呼吸が荒い。

 

「できたよ」


 そんな俺が平常心を取り戻す前に、先輩が朝食を持って部屋に戻ってくる。

 で、なぜか先輩も、


「はあ、はあ……相楽君、ご飯だよ」


 息が荒い。

 朝食作るのってそんなにハードな作業だったっけ?


「い、いただきます。あ、オムレツですか」

「うん。卵料理得意なの」

「そうなんですね。美味しそう」


 オムレツだけでなく、味噌汁やサラダもついた朝食は色鮮やかに俺の部屋の狭いテーブルを埋め尽くす。

 まさかこんな日がくるなんて想像もしなかった。

 可愛い先輩が朝食を作ってスウェット姿で俺の部屋にいる。

 ようやく日が昇る頃だというのに、ムラムラしてしまう。

 ……いや、今は美味しく朝食をいただこう。


「うん、おいしいです。やっぱり先輩のご飯は最高ですね」

「よかった。ね、ご飯作ってあげたらなんでもお願い聞いてくれるんだったよね?」

「え、ああそんな話しましたね。まあ、俺にできることならなんでも言ってください」

「じゃあ……ジャージ」

「ジャージ?」

「あ、うん。あの、借りてるジャージ、着心地がよくって。よかったらあれ、もらってもいいかな?」

「え、そんなことでいいんですか? 全然いいですけど」

「ほんと? じゃあ、もう返さないね」

「は、はい。ええと、それだけでいいんですか?」

「まだいいの?」

「ま、まあ。なんかここまでよくしてもらってて、俺のお古のジャージ一つってのもなって」

「……じゃあ」


 先輩は、視線をベッドの方へ向ける。

 そして、ゆっくり立ち上がるとなぜかそのベッドに横たわる。


「え?」

「ここで、少し寝させて。ちょっと、寝不足なの」

「い、いいですけど、さっきまで俺が寝てたとこだし布団変えますよ」

「いいの、このまま。このままじゃないと、ダメ」

「は、はあ」


 しかしなんだ、スウェット姿で自室のベッドに横になる美人な先輩と話していると、まるでピロートークでもしているような気分になる。

 童貞だから知らないけど。

 こんな感じなのかな、きっと。


「……あの、布団かけましょうか?」

「うん、お願い。お昼になったら、起こしてね」

「は、はい」


 そっと布団をかけてあげると、先輩は目元だけが見えるくらいにまで潜ってしまい、すうっと大きく息を吸い込んだと思うとそのまま目を閉じて。


「すー、すー」


 寝てしまった。

 よほど眠たかったのだろうか。

 だというのにわざわざ俺の為に朝食を作りにきてくれるなんて。


 ……やばい、本気で好きになりそうだ。

 でも、俺と先輩では全く釣り合ってないというか。

 ただ、ここまでされたらさすがの俺だって勘違いしそうになる。


 気持ちよさそうに寝てる。

 このまま、彼女を……いや、ダメだ。

 彼女は俺を信用して、ここにいるんだ。

 俺までが獣みたいなことをしたんじゃ、先輩の男性不信がひどくなるだけだし、事件のことをまた思い出させるかもしれないし。


 そっとしておこう。

 うん、そういや先輩は朝の散歩がてら、うちに寄ったって言ってたっけ。

 俺も、散歩してくるか。

 ちゃんと鍵は、かけておかないとな。


「先輩、ちょっと出てきますね」

「……」


 ま、寝てるから聞こえないか。


 俺は寝巻からジャージに着替えて、そのまま部屋を出た。

 先輩を一人、部屋に置いて。



 ……相楽君の匂いに包まれてる。

 幸せ、もうこのまま布団の一部になりたい。

 眠れない。

 眠気なんて、どっかに消えちゃった。


「先輩、ちょっと出てきますね」

「……」


 出て行っちゃうんだ。

 彼の布団の香りを楽しんでるのがバレたくなくて寝たふりなんてしちゃったけど。

 添い寝とかも、お願いしたらよかったな。


 がちゃりと、玄関の扉が閉まる音がして。

 私は布団から顔を覗かせる。

 すると、


「……相楽君の抜け殻だ」


 さっきまで相楽君が着ていた寝巻が、たたんで部屋の隅に置いてあった。

 私はもちろん、すぐに布団からでてそれを手に取る。

 抱きしめる。


「相楽君……好き、全部好き」


 彼の部屋で、彼の使ったものに囲まれて、彼が見に纏っていた服を抱きしめて彼の匂いに包まれる。


 もう、私にはそれだけで幸せすぎて。

 でも、幸せだからこそ、不安が襲ってくる。


 もし、相楽君が私のことを好きじゃなかったら。

 もし、相楽君が私以外の人を好きだったら。

 

 そんなことを考えると、また気が狂いそうになる。

 昨晩もそう。

 彼から連絡が途絶えただけで、不安に押しつぶされそうになって。

 結局、彼が起きるまでずっと。

 部屋の前にいたなんて、言えないよね。


「相楽君……早くもどってきて」


 布団にもぐりこみたくて、眠たいなんて嘘をつくんじゃなかったと後悔する。

 彼のいない、彼の部屋。

 そこは私にとって楽園であって、地獄でもある。

 

 早く、早く帰ってきて。

 じゃないと、私。


「いっぱい、汚しちゃう……」



 

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