第8話 私の味


「洗い物、終わったよ」

 

 しばらくして、片付けを終えた先輩が部屋に戻ってきた頃には窓の外が薄暗くなっていた?

 

「すみません何から何まで」

「ううん、隅々まで堪能できたから」

「洗い物を、ですか?」

「綺麗に、洗っておいたよ」

「そ、そうですか。ありがとうございます」


 先輩は俺と話す時、いつもの凛とした表情を崩して何かに酔うようにほんのりと顔を赤らめる。

 その顔がたまらない。

 こんな綺麗な人に料理させて片付けまでさせるなんて、ほんと今となればあの犯人に感謝の気持ちすら沸いてくる。


「じゃあ、そろそろ送りますね」


 そう伝えると、先輩は少し残念そうな顔をする。

 もう少し一緒にいたいと思ってくれているってことかなと、調子に乗ったことを考えたがすぐにそんな邪念は振り払う。

 きっと、夜道が不安なのだ。

 そりゃ、あんな怖い目にあったんだからトラウマになっていてもおかしくない。

 ちゃんと、家まで送ってあげないとな。


 一緒に部屋を出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。

 街灯も少なく、店もないこの辺りは夜になると本当に不気味だ。


「大丈夫、ですか? 暗いですが」

「うん、心配してくれてありがと。あの……」

「なんですか? やっぱり怖いです?」

「うん……だから、手を繋いでもいい?」

「え、そ、それは、まあ」

「じゃ、繋いで」

「は、はい」


 彼女の小さな手は、柔らかく少し冷たい。

 俺の手はちょっと汗ばんでいたような気がして、一度手を拭こうと思ったのだけどしっかり握られてそのままに。


 いいのかな、と躊躇いつつも彼女は絶対に離さないと言わんばかりにがっちり俺の手を握る。

 よほど怖いのだろう。

 ……でも、いくら家まで送るためとは言っても手を繋いで夜道を歩くのは緊張するなあ。


「あの、俺の手、汗とか大丈夫ですか?」

「うん。相楽君の手、あったかくて大きい」

「え、ええと、先輩のおうちはこっち、でしたよね?」

「もうちょっとゆっくり、歩いてほしいな」

「あ、すみません」


 焦って早足になる俺を彼女は引っ張るようにして止める。

 緊張のあまり気遣いなんてものが全くできなくなっている。

 落ち着け、落ち着け……。


 心の中で自分を宥めながら、深呼吸して歩を緩める。

 

 そしてゆっくりと暗闇を進んでいると、やがて大きな家が見えてくる。

 

「あ、先輩の家ってたしかあれですよね」

「うん。近いよね」

「ですね。それじゃ明日、俺が家まで迎えに行きますよ。来てもらうのも悪いし」

「優しいんだね……」

「まあ、今日もご飯ご馳走になりましたし。それくらいはさせてください。ていうか、俺にできることならなんでも」

「……ご飯ご馳走したら、なんでも聞いてくれるの?」

「え、まあなんでもと言ってもできることなら、ですけど。何かありますか?」

「おかし……ううん、なんでも」

「おかし? ああ、もしかして甘いもの好きとか? じゃあ明日は俺が何かご馳走しますよ」

「……うん、食べさせて」

「はい、わかりました」


 先輩の家の前までくると、先輩はまじまじしながら何か言いたそうに俺を見て。

 でも、結局何も言わずに寂しそうに家の中へ入っていった。


 手を振りながら玄関を閉める時、先輩の口元が動いたような気もしたが、暗くてイマイチよく見えなくて、何を言ったのかも聞き取れないまま。


 先輩の姿は消えていった。



「私も、美味しいよ……」


 なんて、面と向かっては言えないまま。

 部屋に戻ると心がズンと重くなる。


 彼と繋がっていない時間。

 彼がいない時間。 

 彼が何をしているかわからない時間。


 頭がおかしくなりそう。

 もし、この後で彼が別の女の子と会ってたりしたらって思うと……。


「……相楽君、会いたい」


 さっきまで一緒にいたのに。

 もっと一緒にいたい。

 でも、一緒にいたら私、体が疼いておかしくなっちゃいそうで。

 どうしたらいいのかな……。

 お腹の辺りがキュッとなる。

 彼が、欲しい……。


「相楽、くん……」


 朝からそのままにしておいた彼のジャージは、パリパリに乾いていた。

 特に下半身の辺りがテカテカと。

 それを見るとまた、興奮してしまう。


 でも、これは洗って返さないと。

 代わりに、彼の使ったスプーンをもらってきたんだから。

 これは返さないと、相楽君も困っちゃうもの。

 だけどその前に……


 もう一度、彼のジャージに袖を通す。

 私の匂いと、彼の匂いが混じって、ちょっと独特な香りが私の鼻腔に届く。


 すんっ、すんすん……こうしていると、相楽君と一つになった気分。

 

「えへっ、えへへっ。明日も一緒……明日から、ずっと」


 毎日一緒だから。

 そう思うと、また、ジャージを濡らしちゃった。



「うーん」


 家に戻ってすぐ。

 先輩がくれたメモを見ながら唸る。


 連絡、したほうがいいんだよな。

 でも、俺って昔から女の子に縁がなくてラインとか、したことないからなあ。


 いっそのこと、先輩の方から連絡くれたら楽なんだけどなあとか、甘えたことを考えてみるがそうはならない状況に気づく。


 俺の連絡先は、先輩に教えていない。

 つまり、俺が彼女に連絡するしか、今彼女と連絡をとる方法がない。

 参ったな……。


 とりあえず、風呂にでも入って考えよう。

 すぐに連絡するとか言いながらチキンですみません、先輩。

 心の中で謝りながら風呂場へ。


 すると、換気扇が回っていた。


「……あ」


 風呂場には、まだ先輩の制服と下着が吊るされていた。


「……どうしよう、これ」


 昨日たたむ勇気がなかったそれを、今日は一日経ったから大丈夫とはやはりならず。

 一度風呂場から離れて部屋に戻って。


「そうだ」


 閃く。


 これを話題にして、先輩に連絡しよう。

 制服、忘れてますよって伝えてあげるのは自然なことだ。

 うん、災い転じてってやつかな。


 早速、先輩からもらったメモに書いてあるIDを入力すると、可愛い猫のアイコンと、千冬と書かれた文字が。

 ねこ、好きなのかな?

 慣れてきたらそのあたりも聞いてみよう。


『今日はありがとうございました。明日もよろしくお願いします。あと、制服忘れてますので明日はちゃんとお渡ししますね』


 少しかたいかな、なんて思いながらも思い切って送信ボタンを押す。


 すると、送ったと同時に既読の文字が。

 ……ん?


『相楽君、明日が楽しみだね』


 と、すぐに返事が来た。

 まるで待ち構えてたような早さで。

 

 でも、明日が楽しみだと言われてちょっと興奮した。

 先輩が俺と遊ぶことを楽しみにしてくれてると思うと、ワクワクして。


 そのメッセージをぼんやり眺めていると、


『ジャージ、まだ乾いてないから今度持っていくね』


 続いて彼女からメッセージが。

 やっぱり彼女、少しめんどくさがりなところがあるのかな。

 まだ乾いてないって、まだ洗濯してないってことだよなあ。

 ま、美人にも一つくらい欠点がないとな。

 付き合ったら彼女が料理してる間に俺が洗濯を……って何考えてんだよ。


『相楽君、明日はデートだね』


 変なことを考えているとまたメッセージが。

 デート。

 そのキーワードにまた、俺の胸が熱くなる。


 ……デート、なんだよな。

 男女二人でお出かけって、やっぱりそういうことなんだよな。

 これは、もしかしたらもしかする?

 ……え、なんて返したらいいのかな。


『相楽君、寝た?』


 返事に困っているとまたメッセージが。

 そして、


『相楽君、おやすみ』

『相楽君、やっぱり起きてる?』

『相楽君、もしかして誰かといる?』


 次々とメッセージが溜まっていくので、俺は焦った。

 そうだ、この間もずっと既読になり続けている。

 なのに無視なんて、それはあんまりにも失礼だ。

 ええと、何か返事しないと。

 ……


『起きてますよ。明日が楽しみで、なかなか寝れません』


 こんなことを送ってよかったのだろうか。

 いささか、調子に乗りすぎたかなと後悔しそうになったが、そんなことを考える間もなく


『じゃあ明日はおねだりしようかな』


 先輩からのメッセージが届いた。


 おねだり、か。

 確かスイーツをご馳走するんだっけ。

 うん、明日くらいは奮発して美味しいものを食べてもらおう。


 喜んでくれるといいなあ。

 

 

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