第7話 彼の味


「はい、できたわ」


 夕方のつまらないニュースを見ながら気を紛らせていると、先輩が部屋に戻ってきた。

 鍋つかみを装着して、ぐつぐつ煮える鍋を持って。


「雑誌、敷いてくれる?」

「は、はい」


 その辺に転がっていた雑誌を一冊、机に置くと。

 その上に先輩がゆっくり鍋を降ろす。


 ぐつぐつと音を立てながら、いい匂いが部屋中に広がっていく。


「ビーフシチューですか。うわ、いい匂い」

「お腹、空いた?」

「ええ、とても。俺、器とスプーン持ってきますね」


 うまそうな料理に少しテンションが上がる。

 しかも美人な先輩が俺の為だけに作ってくれたものであればその喜びは何倍にも跳ね上がる。

 

「はい、どうぞ」


 少し深めの器が、ちょうど二つあった。

 でも、残念というかスプーンが一つしかない。

 確か、母親が来た時に何個か置いていってくれたような気がしたんだけど。

 持って帰ったのかな。


「先輩、スプーン使ってください」

「相楽くんのは?」

「いえ、それが一本しかなくて。俺は冷ましながらなんとかいただきますので」


 とはいってもお箸でスープは飲めないし、直接皿を持って飲むしかない、か。

 マナーとしては最低だけど、せっかく作ってくれた料理を食べないよりはマシだろう。

 それに、先輩にそんな下品な真似をさせるわけにも……。


「じゃあ……あーんとかは?」

「あ、あーん、ですか?」

「私がほら、こうやって君に……あーん」


 スプーンで一口具材と一緒にシチューを掬うと、先輩は俺にそれを差し出してくる。

 大きな肉の塊から湯気が立ち込めている。


「い、いや、それは」

「嫌?」

「……恥ずかしい、かなと」

「こういうの、初めて?」

「あ、当たり前ですよ……誰かにしてもらうことなんて」

「じゃあ、私が君の初めて」

「え、ちょっ、あ」


 先輩は俺の口に半ば強引にスプーンを突っ込む。

 その瞬間、煮込まれた肉のいい香りと、口いっぱいに広がる熱で。


「あっつ!」


 口の中をやけどした。

 しかしそのまま放り込まれたシチューや具材を吐き出すわけにもいかず、無理やり飲みこむ。


「ぐっ……はあ、はあ」

「ご、ごめんなさい……ええと、大丈夫?」

「え、ええなんとか……でも、まだ熱いからやっぱりこれはちょっと……」

「そ、そうね。うん、ごめんなさい。じゃあ、スプーンは私が使うね」

「え、でも」

「使わせて?」

「……はい」


 さっき俺が口をつけてしまったスプーンを、彼女が使う。

 間接キス、なんてものくらいでいちいち大騒ぎするほどガキじゃないけど、やっぱり使用済みの食器を客人に使わせることには抵抗がある。

 だけど、


「美味しい……」


 とか言いながら俺の使ったスプーンをぺろりと舐める彼女を見ていると、言葉が出てこない。

 あんなんで味、わかるのか?


「あのー」

「あ、ごめんなさい、つい……」

「い、いえ……い、いただきます」


 スプーンを舐める彼女があまりに色っぽいせいで、ちょっと気まずくなりながら俺は器を持って流し込むように注がれたシチューをいただく。


 さっきは熱すぎて味がわからなかったが、ゆっくりいただくとこれはまた絶品だった。

 うまい、なんて言葉で片付けたら失礼なほど。

 市販のルーを使ってるはずなのに、なぜここまでうまいのか。

 

「先輩、めちゃくちゃうまいですよこれ」

「そう? 気に入ってもらえてよかった」

「料理、作るの好きなんですか?」

「作るの好き。作りたい……」

「え、まあ今日はもう作ってもらってますし」

「……相楽君、ほしい」

「え?」


 物欲しそうに、頬を紅潮させて先輩が俺を見てくる。

 欲しいって何がだろうと、ちょっとドキッとさせられたところで彼女の器が空になっていることに気づく。

 慌てて、彼女の器にシチューを足す。

 気の利かないどころか変な勘違いまでするところだった。 

 何を考えたるんだ俺は……。


「ごめんなさい先輩、気が利かなくて」

「意地悪……」

「え? あ、いや、お肉たくさん入れたつもりですけど」

「もう……ううん、優しいね相楽君」

「いや、そんな……先輩にこんなによくしてもらってるんですから当然ですよ」


 先輩に笑いかけると、向こうも俺を見てニコッと。

 その優しい笑顔に癒される。

 なんて綺麗なんだろう。

 このまま、この人の胸に溺れたくなる。


「……あ、ごめんなさいボーッとしてました」

「相楽君、明日は学校お休みだよね」

「え、ええ。週末ですからね」

「予定は、あるの?」

「いえ、特には。部活もしてませんし、バイトもまだ見つかってなくて」

「そ。うん、わかった」


 コクリと頷いた先輩は、そのあとなぜかスプーンをぺろりと舐めてから「はあ……」とため息をついて。


 また、俺を見る。


「ねえ、明日お出かけしない?」

「お出かけ? 俺が、先輩と?」

「私、まだ一人で出歩くのは不安だから。ダメ?」

「そ、そういうことなら。はい、俺でよければ」

「きゅん……」

「?」


 なんか変な音がしたけど、先輩の声?

 なんて思って先輩をみていると、みるみる顔が赤くなる。


「はしたない……私、いけない子……」

「先輩?」

「う、ううん大丈夫。今日はまだ、大丈夫」

「はあ。でも、あんまりゆっくりしてたら暗くなりますし、その前に送っていきましょうか?」

「……」

「せん、ぱい?」

「……うん、でもその前に一ついい?」


 先輩は制服の胸ポケットから何かを取り出した。

 紙? 


「これ、私の連絡先。よかったら登録して」

「い、いいんですか? 先輩の連絡先なんてそんな」

「ちゃんと連絡、くれる?」

「も、もちろんですよ。すぐ連絡します」

「よかった。じゃあ、片付けしてくるね」

「い、いえ片付けくらい俺が」

「ダメ。相楽君は部屋にいて」

「でも……」

「部屋からでたら怒る。いい?」

「そこまで言うなら……わかりました」


 先輩は食器と鍋をもって、廊下にある台所へ向かう。

 扉を閉める時、「来ちゃダメ」と念を押されたので俺は部屋でテレビを見て待つことに。

 俺に気を遣わせないため、なんだろうか。

 先輩ってほんとにいい人だな。

 付き合ったら尽くしてくれるタイプとか……いや、俺が茅森先輩と付き合えるなんて、あり得ないって。


 でもまあ、人助けはしてみるもんだ。

 うん、なんか最近いいことばっかりだな。



 相楽君の使ってた食器……ペロッ。

 

 彼の味がする。

 美味しい。

 持って帰ったら、ダメかなあ……。

 でも、あんまり持って帰ってたら彼も困っちゃうだろうし、今日はスプーンだけにしておこう。


 はあ……帰りたくない。

 でも、今日も随分と濡らしちゃったし、いきなり泊めてなんて、はしたない女と思われちゃうかもだから。

 それに明日は彼とデートだし。

 もっと仲良くなれたらいいなあ。

 買い物して、お散歩して、公園とか行って。

 公園でそのまま……やだ、また濡れちゃう。


 でも……ちゃんと連絡してくれるかな。

 してくれるよね? 

 してくれないと、困っちゃう。


 だって。


「連絡くれるまで、ずっと起きてないといけないもん」

 

 

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