第4話 なぜか傘がある


「……洗濯物、どうしよう」


 夜になって、乾燥が終わった洗濯機は静かになった。

 でも、俺の胸のざわめきはおさまる気配を見せない。

 茅森先輩の衣服が、俺の着替えと一緒に洗濯機の中で絡まっているのだから。


 でも、どうやって取り出す?

 目を瞑ったまま、感触で仕分ける?

 いや、無理だな。

 それに、このまま明日まで放置ってわけにもいかないだろうし。


「先輩、すみません」


 別に悪いことをしてるわけじゃないけど、さっきまで先輩が着ていた服を手に取るのはやはり抵抗があった。 

 だからこれは不可抗力。

 スカートとシャツ、それに上着くらいのものだし、そんなものでいちいち変な気を起こしたりは……。


「ん?」


 ひらりと、白い布が洗濯物の中から落ちてきた。

 これは……


「ぱ、ぱんつ!?」


 白い三角の布。

 少しひらひらがついた布。

 ハンカチではなく、パンツだ。

 ついで、ブラジャーも出てきた。


「わーっ!」


 童貞の俺には刺激が強すぎる。

 茅森先輩は、制服と一緒に下着まで洗濯してたというのか。


「え、どうしようこれ……」


 とはいっても、やはり放置するわけにもいかず。

 様々葛藤を乗り越えてようやく、俺は彼女の衣服一式を風呂場に用意した物干しにかけて、風呂場の換気扇を回す。


「ふう……」


 さすがに、この後乾いた服をたたむことまではしない。

 できない。

 それは明日、先輩自身の手で行ってもらおう。


 ……いやまてよ、ここに下着があるってことは。


「先輩、下着をつけてなかったのか?」



「う、ううん……」


 朝がきた。

 気持ちのいい寝覚めだった。

 裸のまま、彼の衣服に絡まるように眠っていたからだろう。


「おはよう、相楽君」


 彼のジャージに朝のご挨拶。

 そして、洗うどころか少し汚してしまったジャージを見ながら、私は下着をつけて制服に袖を通す。


「私の制服さんは、彼の部屋で可愛がってもらってるかな?」


 まあ、多分彼は困ってると思うけど。

 でも、万が一汚してくれてたりしたら……それならいいのになあ。


「ついでに私も……なんて、ね」



「ん……」


 朝だ。

 少し体がだるい。

 多分、昨日雨に濡れたせいだろう。


 それに、昨日はあれこれ興奮させられたせいで寝不足ってのもある。


「あ、制服……」


 起きてすぐ、歯を磨きに洗面所へ行った時に風呂場の換気扇がまわりっぱなしだったことで、中に彼女の衣服を干してあることを思い出す。

 ……あの中に彼女の着ていたものがまるごと干してあると思うと変な気分だ。

 まあ、きちんと今日中に回収してもらおう。


 制服に袖を通し、牛乳を飲んでから部屋を出る。


 今日はいい天気だ。

 さすがにもう傘はいらないだろう。

 先輩との相合傘はいい思い出だけど、昨日十分すぎるほどのお返しをいただいたし、もうあんなことはあり得ないだろうと。


 アパートの階段を降りると。


「おはよう、相楽君」


 黒い傘をさした茅森先輩が立っていた。


「え、先輩?」

「今日は日差しが強いから、日傘」

「あ、うん。じゃなくって、どうしてここに」

「迎えにきた、って言ったら迷惑?」


 きょとんとした表情は、いつものクールな彼女とのギャップもあってか愛くるしく。

 朝から胸が熱くなる。


「い、いえ。でも、どうして」

「変質者がまた出たら怖いから、一緒に学校、行ってくれない?」

「ま、まあそれはいいですけど」


 朝から不審者なんてあまり聞いたことないけど。

 あんなことがあった後だ。やっぱり一人で歩くのは怖いのだろう。

 昨日、送らなかったのは悪い事をしたかな。

 でも、そんな気の利かない俺を頼ってくれるというのなら俺もちゃんとしないと。


「じゃあ、一緒に行きますか」

「ええ。それじゃ、傘に入って」


 と、今日は晴れているのにまた、傘の中に俺を誘ってくる。


「いや、日差しは気になりませんからいいですよ」

「……嫌なの?」

「い、嫌とかじゃなくて、ですね」

「なら、入って」

「……」


 時々、茅森先輩は遠い目をする。

 しっかりとこっちを見ているようで、その先を見ているような、どこも見ていないような目をする。

 その目を向けられると、何もいえなくなる。

 直感だけの話だけど、彼女の誘いを断ると良くないことが起きそうな、そんな気分にさせられる。


「じゃあ失礼します」

「相楽君、もう少し寄って」

「え、いやこれで充分ですけど」

「寄って」

「……はい」


 俺の右肩と先輩の左肩が当たる。

 ふわりと、甘い香りが傘の中に充満する。

 この香りで酔いそうだ。

 頭がぼーっとしてくる。


「あ、そういえば洗濯物……」

「私だと思ってくれた?」

「え?」

「いえ、ほったらかしにしてごめんなさいね」

「そ、それは別にいいんですけど。あの、下着とかが、ちょっと」

「洗わない方がよかった?」

「え、いや、で、できれば、まあ」


 ある意味ラッキーな話だけど、できれば洗濯はご自宅でお願いしたい。

 

「そう。じゃあ次からはそのままにしておく」

「そ、そのまま?」

「あと、ジャージなんだけど。まだ乾いてないの」

「いえ、急ぎませんから全然いつでも」

「いつでも……ほんと?」

「え、ええ、まあ」


 別に代わりのジャージなら他にあるし特にお気に入りってわけでもないからいいんだけど。

 几帳面そうに見えて結構めんどくさがり屋なのかな。

 それに、下着をつけずに着ていたあのジャージをそのまま返してもらうのもちょっと、変な感じだし。


「学校、見えてきたね」


 茅森先輩と日傘での相合傘、それに加えて昨日の出来事を思い出しながらとあって終始気まずいまま歩いていると、学校に到着した。

 特に早く着いたわけでもなく、同じく登校中の生徒たちは当然俺たちの方を振り返る。


「やっぱり、晴れの日に傘は目立ちますね……」

「でも、男の人が寄ってこない。相楽君がいてくれるから」

「男の人、苦手なんですか?」

「……ええ」


 声色が変わる。

 さっきまでの澄んだ声から一転して、暗い声で返事をして、先輩は続ける。


「男なんて、汚らわしいもの」

「……俺も男ですけど」

「相楽くんはいいの。むしろ相楽くんだけ、いいの」

「は、はあ」


 やはり先輩の男嫌いの噂は本当だったようだ。

 でも、俺はどうやら許されているらしい。

 まあ、それもこれも命の恩人だからってやつだろうけど。

 もしかして今の状況も、虫よけ代わりに使われてる? いや、そうなのだろう。

 まあ、こんな美人の隣を歩けるのであれば役得ともいえるけど。


「じゃあ、私はここで。相楽君、また放課後」

「ええ。それではまた」


 校舎に入り、靴箱で上履きに履き替えたところで先輩は二年生の教室がある校舎の方へ消えていく。

 その時も何か言ったような気がしたけど、既に結構遠くに行ってしまってて、やっぱり聞こえなかった。



 相楽君に犯されたい。

 侵されたい。

 過ちを冒したい。


 ああ、今日も彼はかっこいい。

 あの日、私の心は完全に彼のものになった。

 命がけで助けてくれて、その上で見返り一つ求めない素敵な私だけの騎士knight

 相楽君……。


「相楽君……」

「声出てるよ、千冬」

「あ、円佳。うん、漏れちゃうの、色々と」

「あ、そ。で、告ったの、彼に」

「ううん、まだ。昨日は料理をしてあげたの」

「ふーん、メンヘラって尽くすタイプが多いっていうけど本当なのね」

「私はメンヘラじゃないわ、病気よ」

「そっちの方が嫌じゃね?」


 そう言って笑う円佳は、私がちょっと普通の女の子と違うことを知ってて、変わらぬ態度でいつづけてくれるから好きだ。

 昨日私に、「もし千冬の好きな彼を私が寝取ったらどうする?」と訊いてきた時、即答で「死んでもらう」と答えても「でしょうね」と言ってくれるような子。

 そんなことになれば私が本気で友人を殺しかねない人物だとわかってて友人でいてくれるのだから、彼女にはなんでも相談したい。


「私、彼を見ると体がうずうずするの」

「まあ、好きってそういうもんでしょ。そいや千冬、初恋?」

「当たり前よ。男なんて汚らわしくて、好きになったことなんてない」

「でも、彼は好きなんだ。ま、遠目でみたけど優しそうだしね」

「円佳もそう思う? 実際、とても優しいの」

「へえ、いい男なんだ」

「あ、でも興味もったらダメ。私、円佳を燃やしちゃう」

「いや、殺すなら楽な方法にしてよ」


 多分無理。

 私の大切な人を奪うようなことをしたら、一番苦しむ方法で殺す。

 そんなことを思いながらも、すぐに私の思考回路は彼のことで埋め尽くされていく。


 雨に濡れた私を心配そうに見つめる彼。

 私が作った特製オムライスを美味しそうに頬張る彼。

 恥ずかしそうに日傘に入ってくる彼。


 相楽君。

 相楽君……相楽君、相楽君。


「大好き……」


 

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