第20話 前提として、元の世界に帰りたいか

「父さん、僕たちはこれからどうすればよいのじゃ?」


 トクが言った。にゃん太の手によって人間の姿に変えられたゴン太である。


「わからん。ただ、にゃん太様のお仕置きに逆らうと、さらに酷いお仕置きを食らうことになると聞いたことがある。このお仕置きを実直に受け入れ、心を改めるしかないだろう」


 アツシが毛深い腕を組んで言った。こちらはゴン蔵である。


 一時的に人間の姿に変身されられたトクとアツシは、白の世界で騒がしい群衆に紛れていた。

 謝音が雄叫びを上げ、トムが温かい笑顔で頷き、周囲の群衆が目をぱちくりさせて状況の把握に困っている。そんなカオスな環境に、トクとアツシは放り込まれている。


「とりあえず、この混乱を鎮めることが僕たちのミッションじゃったの。さて、どうしたものかの……」

「うむ……」


 二人は考え込んだ。

 そんななか、群衆のやり取りが進行する。


「さて、皆の衆」トムが話し始める。「このただ白いだけの奇妙な世界は、実は神様のしわざだということがわかった。そこで提案だが、外の世界、もといた世界に帰るために、皆で神様に祈るというのはどうだろう」

「そ、そんなことで、本当に神様に俺たちの気持ちが通じるのかよ」


 先ほど謝音の拳をみぞおちに受け、うずくまっていたスキンヘッドが、横目で謝音を気にしながら言った。謝音に刺激を与える発言を慎重に避けるように、言葉をゆっくり確かめながら話しているのが、その様子からわかる。


「わからん。しかし、相手が神様となると、それくらいしか我々にできることはなかろう」


 トムが言う。


「あ、あの……」


 そんななか、ひとりの女性が声を上げた。20代後半くらいで、眼鏡をかけた地味な風貌の女性だ。


「まず、前提として、皆さん元の世界に帰りたいですか? わ、私は帰らなくても、いいかな……。ここ、なんだかんだで居心地いいんですよね。皆さんも馴染みやすいですし。元の世界だと、なんか、周囲の人たちに溶け込みにくかった、気がしますし、場合によってはちょっと苛められたりしてたような……」


 女性はそこで言葉を切り、俯いた。

 皆が黙った。女性に反論する者はなかなか現れず、ただ沈黙が流れた。

 次第に群衆は口々に言い始めた。


「確かに、そうだよな。ここにずっといるのも悪くない」

「あの子の言うとおりだ。元の世界に、いいことなんて何もなかった気がする」

「私も、元の世界って、なんかヤだった、気がする! みんな同じような顔して、同じようなこと喋って、そんな気持ち悪い世界だった気がする!」

「ちょっと変わってると、仲間外れにされる」

「どうにか馴染んでたけど、どこか虚しかった」

「ここは、変わってる人に優しい!」

「自分の変わってるところを気にしなくて良いなんて初めてだ」

「うん。何もわざわざ元の世界に帰ることないよ」


 変人の群衆は、元いた世界の記憶をまったく失っているわけではなさそうであった。群衆は思い思いに、探り当てた記憶の断片を口にしながら、ひとつの結論に至ろうとしていた。

 アツシとトクは、その様子をただ呆然と眺めていた。


「これは、放っておいても、落ち着くのではないか?」


 トクが言った。


「うむ。そのようだな。わざわざワシらが手をさしのべるまでもなさそうだ」


 神様親子が楽観的にやり取りをしていると、突如、群衆の中から大声を上げる男が現れた。健人だ。


「おい、お前ら! 頭、どうかしてんじゃねぇか!?」


 群衆たちは静まり、皆が一斉に健人の方を見た。


「お前らさぁ、むかつかねぇのか?」


 群衆は健人の言うことがわからないという風に沈黙した。

 しばらくして、トムが口を開く。


「はは、犬の健人くんじゃないか。私はわけあって今はトムと名乗っているよ」

「知ってるよ。話聞いてたからな。ほんとめんどくせぇやつだ!」


 健人が顔をしかめながら言う。もはや犬呼ばわりされたことへは突っ込まない。


「して、むかつくとは、何にだね?」


 トムは黒縁眼鏡の奥の目に力を込めて、健人を見据えた。


「神様にだよ」


 健人の発言に反応して、群衆たちの間にたちどころに緊張が走った。さきほど、神様を否定したら面倒くさいことになると忠告したのは健人本人だ。

 群衆に紛れて様子見をしているアツシとトクは、そろって眉をぴくりと反応させる。しかし、まだ何も行動には移さず、様子見を続行した。

 謝音が健人を睨みつける。


「健人くん。それは、どういう意味だい? きみはもう僕の大切な友達だけど、返答によっては見過ごすわけにはいかないよ」


 しかし健人はそれには答えず、無言で謝音に歩み寄る。

 ついに、お互いの鼻先が触れそうなくらいまで近づいた。


「な、何だい? 健と……」


 瞬間、健人の拳が謝音のみぞおちにのめり込んだ。

 謝音は白目をむき、その場に崩れ落ちる。動かない。気絶したのだ。

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