第17話 人間にだけは死んでもなりたくない

「父さん、下界がちと騒がしいようじゃが」


 ゴン太はキャラメルフラペチーノの上に乗っているクリームを、スプーンで大事そうにすくいながら言った。天界にも神様が経営するスターバックス(スタバ)があるのだ。もちろん、ルーツは下界の人間が作ったスタバである。要するに、人間のアイデアを、神様たちがパクったのだ。


「なに? どうした。また、人間どもが戦争でも始めたか?」


 ゴン太の父はスナック菓子をほおばりながら言った。ゴン太の父は、ゴン太とは対照的に背が高く、背筋がピシッとしており、筋骨隆々、太い眉の下には丸々目玉、横に広がった大きな鼻、顎髭をたっぷりたくわえた、いかつい顔をしており、まさかこのふたりが親子とはとても思えない。


「いや、騒がしいのは白の世界の方じゃ。今まで仲良く会話をしておったのに、少々、軋轢あつれきが生まれておる様子じゃ」


 ゴン太は皺だらけの顔を歪めて言った。


「そうか。だが、ちょっと意見が食い違う程度であれば、あの世界の人間どもは問題ないだろう。お互いがとびきりの変人であることは了解済み。じき、収まるだろう」


 ゴン太の父は口に物を入れたまま喋るせいで、口からスナック菓子のカスを飛び散らせている。ゴン太はその様子を見て、嫌悪をあらわにさらに顔を歪める。すると、目や鼻、口などの顔のパーツのほとんどが、無数の皺の中に埋もれ、もはや顔とは呼べぬ代物となった。

 相変わらず非生産的な会話を繰り広げる親子は、音もなく忍び寄る影に気付かない。


「ゴン蔵は相変わらずばっちいにゃあ」


 突然聞こえた声に弾かれるように、ゴン太とゴン太の父(ゴン蔵である)の肩がビクッと跳ねる。瞬間、二人は声のした方を向き、目と口を思いっきり開いたのち、すかさず真顔に戻り、その場にひざまずいた。


「「にゃん太様!」」


 ふたりの声が絶妙に重なり合う。ふたりは顔面を地面に押し付け、土下座していた。


「ど、どうしてにゃん太様がこのような、しょ、庶民の住む区域に来られたのですか」


 震え、裏返るゴン蔵の声が、にゃん太の存在の偉大さを物語っている。

 にゃん太は自身の頬に生える幾本かのヒゲを、指先でいじりながら言った。


「まず顔を上げるにゃん。僕、そういうの嫌いだって、いつも言ってるにゃん。誰かがこう言ったにゃん。天は人の上に人を造らず。人の下に人を造らず」

「そ、それは福沢諭吉という、人間の中ではまあまあ偉い方らしい人物が、著書の中で述べた言葉でございます」


 ゴン蔵が依然として顔を上げずに言った。


「僕たちは人ではなく、神であろう」


 土下座の姿勢のまま、横目でゴン蔵をみやり、ゴン太が小声で言った。しかし、にゃん太には聞こえなかったようだ。ゴン蔵が顔を伏せたまま隣のゴン太をにらみつけると、ゴン太は口を引き結んで大人しくなった。


「さすがゴン蔵。博学だにゃん。僕よりも物事をよく知っている。僕よりも偉いにゃん。だから顔を上げるにゃん」

「め、めっそうもございません、にゃん太様。わ、ワシが、上位神であらせられるにゃん太様より偉いだなんて……」

「だぁかぁらぁ! その上位だの下位だのっていうのが、嫌いなのにゃん」


 にゃん太は困り顔で口を尖らせた。


「顔を上げないと、お前たち人間にしてしまうぞにゃん!」


 ゴン太はすかさず顔を上げた。皺だらけの顔が真っ青に染まる。ゴン蔵も大きな目を更に大きく見開き、顔面の浅黒い肌からは冷や汗を滲ませていた。二人は想像をはるかに超えた恐怖を目の当たりにしているかのような怯えようだった。


「にゃ、にゃん太様ぁ、それだけは辞めておくれ。僕はあんな寿命が2桁しかなく、ちょっとしたことで病気になって死んでしまう人間なんかにはなりとうない。常に死の恐怖に怯えて生活するなんて嫌じゃ」

「こ、こいつの言うとおりです、にゃん太様! ワシらは人間にだけは死んでもなりたくないのです。些末なことに異常にこだわって人生を不必要にややこしくし、毎日眉間に皺を寄せて生活しているような、せせこましい生物にはなりたくないのです!」


 ゴン太とゴン蔵はとにかく必死に訴えかける。

 それを聞いたにゃん太は苦笑いを浮かべて、「はははは……」と力なく笑った。

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