第9話 お尻ペンペン出血するまで
「な、何だって!?」
健人は顎が外れんばかりに口を開いた。
「お前、それでも神様か!」
すると、神様は鋭い目つきで健人を睨んだ。健人は
「じゃから、それが間違った認識だと言っておろう。この世に完全なものなど存在せんのじゃ。神様も含めて、あらゆる生命体は不確かさのなかで生きておる。一秒後は何が起こるかわからんのじゃ。その不安を、全部僕たち神様に押し付けられても、迷惑じゃ」
嘘の川のせせらぎが耳に心地よく響く。神様がゴホンとひとつ咳払いをした。
「まあよい。お前たち人間が抱く幻想はさておき、神様たちがどれほどお前たちに手を焼いているか、教えてやろう」
と、ようやく本題に入ろうかというとき、
「ゴン太ぁ!!!」
頭上から野太く
神様は驚いてその場で跳び上がり、マンガのキャラよろしく背中から地面に落下した。そのまま立ち上がることなく、がくがくと震え、血走った眼球で天を仰ぎ見ている。極端な変わりようである。
健人も天を仰ぎ見る。しかし、頭上には真っ白な空がひたすら広がっているのみで、声の主らしき存在は見当たらない。
健人は再び視線を神様に戻し、問うた。
「ゴン太って何だ?」
神様の血走った眼球が健人の方へぐいと向けられた。震え、くぐもった声で神様はどうにか言葉を絞り出す。
「ご、ご、ご、ゴン太は、ぼ、僕の名前じゃ。…………、そして、い、今しがた聞こえた声は、僕の父さんのものじゃ」
再び、声が天から降ってくる。
「お前というやつは! あれほど人間と接触するなと言っただろうが! 今度という今度は、お尻ペンペン出血するまでコースだ!」
ゴン太の顔が青ざめる。
「ひぃぃぃぃ、そ、それだけはご勘弁を」
声を裏返らせ、ゴン太はものずごいスピードで天へと飛び去った。一瞬にして地上から見えなくなった。
急展開についていけないでいる健人は、ただただ呆然と空を仰いだ。
「真っ白だ。俺の頭の中も……」
健人はそう呟き、しばらくそのまま立ち尽くした。健人の思考は完全に停止していた。神様を名乗る存在が急に現れたかと思うと、口汚く人間を罵り、はむかえば問答無用で宙に飛ばされ、かと思えば、何者かの声が急に降ってくると、神様はおびえ始め、健人との会話を放り出してそそくさと姿を消した。短時間のうちに起こったその一連の出来事は、ただ健人を混乱させるのみだった。
ずっと気絶していた謝音がようやく目を覚ました。頭をさすりながら、おぼつかない足でどうにか立ち上がる。よろけながらもどうにか踏ん張り、目をこすった後、健人の方をぼんやりした目つきで見た。
「あれ? 僕、どうしてたんだろう……」
しばらく思考を巡らせたのち、謝音は目を見開いた。
「そういえば、神様は!? 神様はどうしたの、健人くん?」
健人は、やれやれといった風に首を振り、いったん視線を川に移した。
嘘の川だ。せせらぎも、どこから聞こえてくるか不明だ。結局、この川が神様が作ったものなのかどうかも判明しなかった。健人にとっては、ただわけのわからないことが目の前で繰り広げられ、わけのわからないことをゴン太なる神様から言われたただけだった。
健人は眉間にしわを寄せて何かを考えているような顔をした。しばらくして、平然とした表情に戻り、視線を謝音に戻した。
「神様? 何言ってんだ? 夢でも見てたんじゃね? 急に地面に突っ伏して寝始めるからびっくりしたぜ」
「あれ? そうなのかい? おかしいな、僕、今までそんな急に気を失うことなんてなかったのに……。何かの病気かもしれないな。そうだとしたら、大変だ。でも、この世界に病院なんてあるんだろうか……」
謝音は首を傾げて何やらぶつぶつ言っている。清潔に整えられていた長髪が、今はあらゆる方向に癖ができ、ところどころ毛束が発芽米の芽のように飛び出している。清潔だった服装も乱れている。
信奉する神様に、信心報われず問答無用で空高く飛ばされたあげく、そこから地面すれすれまで急落下させられたのだ。髪や服が乱れていてもおかしくはないし、その外見の乱れが、謝音の精神的な混乱を表しているようでもあった。
健人はそんな謝音には構わず、壁に空いた穴をくぐって、再び多くの人々が会話を交わしている部屋へと戻っていった。
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