第8話 神様は万能ではない

 健人は土下座から首だけを持ち上げたような姿勢のまま、ただ安堵のため息を漏らした。「死ぬかと思った……」と我がことのようにつぶやき、あとはただ、ぜえぜえと呼吸を荒くするのみだった。

 神様はそんな健人の様子を見下ろす。


「ふふん。いい気分じゃ。これだから、神様は辞められん」


 神様は楽しそうに笑い、足でステップを踏み、口笛を吹いた。調子の外れた、お世辞にも上手いとは言えない口笛だった。

 健人は神様を見上げ、歯を食いしばる。こんなのでも神様は神様、力の差は事実、認めねばならないと、世の不条理に必死に耐えるような表情だ。

 謝音は純白の地面に伏し、まだ意識は戻らない。


「他の生物と違って、人間は高次の思考と感情を持つようになった」神様は動作を止め、急に改まったような口調で言った。「当時それは神様界では前代未聞の大発明だったのじゃが、……今では、お前たち人間の数々の生意気で身勝手な行いに呆れかえっておるよ。どれ、いい機会じゃ。神様界で今、人間たちがどう捉えられておるか、ここで少し教えてやろう。耳をかっぽじって聞くのじゃ」


 健人はようやく土下座の姿勢を解き、おもむろに立ち上がった。依然、地面で寝ている謝音を一瞥したのち、神様に視線を戻す。

 健人は特に何の感情もはらまない、中立的な目で神様の方をじっと見ていた。何も話さない。神様もまた、何も話さない。

 地面が微かに揺れた。巻き上がるような激しい風が吹き、小柄な神様はこらえきれずよろけた。神様のほとんど禿げ上がった頭の数少ない髪が、風になびいた。神様が顔をしかめると、多数の皺がより強調され、どれが目で、どれが鼻で、どれが口か見分けがつかなくなった。

 嘘の川の流れる音が静かに響く。


「おい、早く始めろよ」


 健人がしびれを切らして言った。


「うむ。どうやら、話を聞く体勢が整ったようじゃな」

「俺を待ってたのかよ。俺はとっくの昔に準備を整えてたぜ」

「……うむ。では、始めるぞ」

「うむ。始めてくれ」


 健人は神様の口真似をした。


「ふざけておるのか?」


 神様は表情を険しくし、右手を健人の方へ掲げる。さきほど、謝音を宙に浮かせたときのように。

 健人の片方の眉がピクリと動いた。


「すみません。始めてください」


 健人はほとんど表情を変えず、ただ言葉だけ丁寧にした。

 ふたりの間に奇妙な空気が流れた。


「ふん、気に入らんやつじゃ。まあ、よい。では、話を始めようぞ」


 神様は皺に埋もれた細い目で健人を睨みつける。健人が口腔に溜まった唾を、ゴクリと音を立てて飲み込む。


「まず、先ほどの僕の能力を見て、僕が神様であることは信じることができたじゃろ」

「うむ」と健人が言った。


 神様は眉をピクリと反応させたが、今度は特に反発せずそのまま続ける。


「実は神様は僕ひとりではない」

「え!? 神様って、ひとりじゃねぇのか?」


 健人が大げさに身体を反らせて驚愕を表現した。


「うむ。人間の数よりもさらに多くの数の神様が、天界で暮らしておる」

「マジかよ……。まあ、神様が何人いようと、神様の勝手だけどよ……、てことは、多神論が正しかったってことか?」

「そういうことじゃな。そもそも普通に考えればわかることじゃ。一人の神様で、何十億といる人間を管理できるわけがなかろう。いったい人間は神様を何だと思っておるのじゃ。あまりにも神様を過大評価しすぎというものじゃ。勝手な幻想を抱くでない」


 健人は目を点にした。口を真一文字に結んだ。そのまま、電源を入れる前のロボットのように動かなかったが、神様が次の言葉をいっこうに継がないので、しかたなくロボット自ら電源を入れるようにしてぎこちなく口を開いた。


「て、てっきり、神様は万能だと思ってたぜ」

「まったく、やれやれじゃ……」


 神様は首を振った。


「それはお前たち人間が勝手に作りあげた神様像じゃ。お前たちは、お前たちの弱さを隠蔽するために、心のり所としての完全な存在を措定した。それが、お前たちの言う神様じゃ。お前たちは、眼前に壮大な困難が立ちふさがると、必ず神様に救いを求めた。そうすれば万能なる神様がどうにかしてくれると思ったのじゃ! アホらしい! 甘ったれるでない! ウェッ! ゲホッ、ゴホッ、ガホッ……」


 ここで神様は突如、咳き込んだ。興奮して多くの言葉を喋ったため、喉や肺に負担がかかったのだ。ひとしきり咳をしたのち、喉を鳴らして、白い地面に向かって痰を吐いた。神様の痰が白い地面に付着する。人間のものと変わらない、汚い痰だ。

 咳払いをし、深くも浅くもない呼吸をひとつしたのち、先ほどよりはややトーンを抑え気味に続けた。


「さらにお前たちは、自分たちの手に負えんことは全部神様のせいにしおった。ひどい干ばつで田んぼが干上がれば、神様がお怒りだなどと言って、祈祷をしたり、生贄いけにえを捧げたりした。そんなことをしたって根本的な解決にはならんことくらい、わかっておろうに。大切なのは、祈祷や生贄ではなく、雨が降らずとも一定の収穫が見込めるように灌漑システムを構築することじゃろう」


 神様は自らが作り出したはずの人間に対して、手ひどい評価を下した。その無責任さに納得がいかないのか、健人は眉をひそめる。


「じゃあ、俺たち人間が、祈祷したり、生贄捧げたりしてるとき、神様たちは何してたんだよ。少しは俺たちのために、何かしてくれてたんだろ?」


 神様はあからさまに眉をひそめて言った。


「いいや。テレビ見ながら、ポテチを食べておったわ」

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