第7話 素早く切迫した土下座

 天を向いてるようにしている健人の肩を、神様がポンポンと叩く。


「まあ、落ち着け。謝音とやらは一見さわやかで人当たりが良いが、個人的な信心に触れると、急に人が変わったように狂乱しおるのじゃ。ヤツも他の者たちに負けず劣らずの面倒くさいヤツということじゃな」


 健人はジトジトした目つきで神様を睨みつけた。


「あのなぁ……。お前も十分、面倒くせぇぞ」


 健人の発言に反応するように、場がパキパキと音を立てて凍りついた。神様の多くの深い皺が刻まれた顔から、笑みが消える。その細い目の奥深くから、不吉な光が健人を刺した。

 謝音はこの世の終わりを目の当たりにしているかのような鬼気迫る表情で、健人を凝視し、固まっている。

 神様が口を開く。


「お前、本当に死にたいのか?」


 冷たい声色だ。さすがの健人も、状況がよろしくないことに気付いた様子で、表情が固くこわばる。


「どうやら、ことの重大性にようやく気が付いたようじゃな。うむ。では、少し驚かせてやろう」


 神様がゆっくりと片手を前方に掲げた。その先には、依然として石像のように固まっている謝音がいる。強めの風が3人の間を吹き抜けた。

 神様の目の奥が底光りしたとき、謝音が宙に浮き始めた。


「え……?」


 唖然とする謝音。

 まるで神様が操っているかのように、神様が手を上に上げるのに合わせて、謝音の身体はどんどん高いところへ浮かび上がっていった。


「え? あ、な、なんで、僕、何もしていないのに!」


 慌てふためき手足を空中でバタバタさせる謝音を仰ぎ見、神様はニヤニヤと笑った。謝音の高度はなおも上昇し、ついには地上からでは米粒ほどの大きさにしか見えなくなった。それはまるで、小さな虫がもがいているようだった。

 神様は横目で健人を見やり、言う。


「どうじゃ? 僕の手にかかれば、お前たち人間なんて、この通り、思いのままさ。もう逆らう気も失せたじゃろ」


 神様はこの上なく得意気だった。

 健人ははるか上空の謝音を呆然と見つめ、冷や汗を額に浮かべる。


「あ、あんなとこから落ちたら、死んじまうじゃねぇか! 早く謝音を解放しやがれ!」


 神様が睨みをきかせる。


「お前、いつまでもそんな無礼な口を利いておると、本当にヤツをあそこから落としちゃうぞ。絶対に死ぬぞ! あ?」


「く……」健人は言葉を詰まらせる。しかし、なおも神様への反発心を絶やさない。「あのなあ、お前それでも神様か! お前が作った人間だろうよ! 神様が殺人してどうすんだよ!」

「決めた。落とす」


 神様が掲げていた手を下げた。すると遥か上空、黒い小さな虫ほどにしか見えていなかった謝音が、みるみる地上へ向かって落ちてくる。

 初めはほとんど衣擦きぬずれか何かかと思えるほど小さかった謝音の呻き声が、次第に大きくなり、ついには聞くに堪えない雑音に変わった。みじめの極みだった。人は圧倒的な恐怖を前にすると、対面などどうでもよくなるのだ。

 健人の顔から血の気が引く。


「待て待て待て! わかった、俺が悪かった! この通りだ!」


 健人は土下座した。世界中のどこに存在する土下座よりも素早く、切迫していた。


「ふん」


 神様が再び片手をひょいと掲げる。すると、謝音が地面すれすれのところで停止した。

 謝音は恐怖のあまり気絶していた。

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