第3話 空間そのものが備える度量
ほとんど唐突ともいえる問いに、健人はたじろいだ。
「なんだよ急に」
「急? 変なことを言うんだね。ここでの会話に急もへったくれもないだろう。ここでは、急に話したくなった相手に急に話しかけ、急に会話が始まる。急だらけだ。今さら急であることにびっくりすることもなかろう」
健人はあっけにとられたように、口をあんぐりとあける。しばらくそのまま静止したのち、首を横にふった。
「わぁったよ。もう驚かねぇ! どんな話題でもかかってきやがれ!」
健人はなかばやけくそといったふうに目を
「うむ。その意気だ」
「……ほんっとムカつくヤツだな! で、何だっけ?」
「ここのことを、どう思うか、だ」
健人は思案する。会話を止めると、周囲の喧騒が強調される。人々のあてどもない、会話のための会話によって形成される喧騒だ。
健人は落ち着きなく周囲に視線を泳がせたのち、口を開いた。
「ん~……、俺は嫌いじゃねぇな。話してっと疲れるヤツが多いけど、その分飽きねぇしな。いい暇つぶしだぜ」
「健人くんらしい月並みな回答だね」
「なっ! ……いや、落ち着け、感情的になった方の負けだ」
健人は自らに言い聞かせた。
「じゃあ、お前はどう思うんだよ」
「私も嫌いじゃないね」
即答。先ほど月並みだと
「おい、お前!」
当然、健人は反発する。
しかし、声を強くする健人を武蔵は両手で制した。
「まあ、待て。よく聞け。私が月並みだと批判したのは、理由の部分だ。この空間が嫌いじゃない理由のね」
健人は上がった息を整えるように、数回深呼吸をする。椅子に座りなおす。
「じゃ、じゃあ、お前はどうしてこの空間が嫌いじゃねぇんだよ」
「それはね……」
武蔵はそこで言葉を切った。しばらく口を開かない。ただ鋭い目つきで健人を睨むのみだ。今度は健人も対抗の姿勢で臨む。気まずさに負け、目線を泳がせるようなことはせず、武蔵の目をしっかり睨み返した。
それでも武蔵の様子は変わらない。力強い目つきも、顔の角度も、伸びた背筋も、何一つ変わらなかった。武蔵は得体の知れない確固たる自信のようなものを持ち合わせているようだった。
重苦しい視線のつばぜり合いだ。両者の間の何も無い空間に火花が散る。武蔵の表情はなおも変わらない。健人にとって、それは寺院の門に配される金剛力士像と睨み合いをしているようなものだった。とうてい勝ち目はない。何故なら、像の表情は永遠に変わらないからだ。
無理に平静をよそおう健人の表情には、当然無理が生じ、見開かれた目は充血し、顔面の筋肉はぷるぷる震え、額には汗がにじんだ。
健人が忍耐の限界を迎えようとしたとき、武蔵はようやく口を開いた。
「度量だよ」
「度量?」
健人はただ武蔵の発言を繰り返した。そうすることしかできないほど、健人は余裕を失っていた。
「そう、度量だ。ここにいる人々は、ユニークであることを許容する深く大きい度量がある。それも、どんな種類のユニークさでもかまわないのだ。相手にどんな不快感を与える個性だろうと、ここではなんとなく許される。際限のない度量だ。もはや、この空間そのものが大きな度量を備えているのではないかと、そう思ってしまうくらいの圧倒的な空気がここには漂っている」
「なるほどな。確かにここは、外とは全然
「そういうことだ。それにしても、ここを気に入っていると言うのなら、これくらいの理由は用意しておかないとね」
健人は眉をぴくりと動かした。口の片端を上げて笑う。
「ははっ。ほんっとお前は、ひとこと余計だよな。まあ、確かにそれもここでは許されっけどよ」
「そういうことだ」
武蔵はそこで口を真一文字に結んだあと、声をやや硬くして言った。
「しかし、健人くんは外でもそれなりにやっていけそうだね。何故ここにいるのか、少し不思議だよ」
「……ん? そ、そうか?」
健人は調子を外されたようにポカンとした。
「まあ、ここにいるということは、何かしら問題を抱えているのだろうけどね。例えば、表面上はどこでも馴染めそうな柔軟性を持ち合わせているけれど、実は性格に救いようがないほどの難があるとかね」
「お、お前……、気持ちよく会話を終えるってことができねぇのかよ……」
「ふん。何を今さら。だからここにいるのだ」
「ちげぇねぇ」
健人は武蔵と話す中で初めて自然に笑った。そのまま立ち上がり、
「じゃあな。次行くわ」
武蔵に手を振り、その場を離れる。
武蔵は、ただ「うむ」と頷いた。
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