この世界のルール

 ゆっくりとハンナが地面に倒れ伏す。俺は暫く呆然としていたが、慌てて地面に横たわって動かなくなったハンナを抱き抱える。酷い傷だ。腹から出る血は一向に収まる気配を見せず、寧ろ更に出血している様だった。むせ返る様な血の匂いが辺りを充満していた。素人目の俺でも分かる。どう見ても致命傷だ。長くは持たないだろう。


「ハハハ、すまんすまん。手が滑っちまった。どうにも拾おうとしたら偶に銃を使っちまうんだ」


「全くビックリさせないでくれよ。驚いちまったじゃねえか」


 犯人である冒険者の男と依頼主が何か言っているが俺にはその言葉が頭の中に入らなかった。いや、入っていたとしてもきっと理解出来なかっただろう。


「ご、ごめんね。ニーサ。明日は遊べそうにないや」


 ハンナが困った様な顔で笑いかけてくる。どう考えても今はそれ所ではない。


「喋らないで!どうにかするから!」


 しかしどうにかすると言っても所詮ずぶの素人。出血は止まらないしハンナの体はみるみると青ざめていく。どうにか手を施そうにも俺の体がハンナの血で染まるだけだ。


「優しいね」


 それは俺がこの場で聞いたハンナの最後の言葉だった。それっきりハンナはピクリとも動かなくなり吹き出す血も徐々に収まっていく。誰がどう見ても分かる。ハンナは死んでいた。



 *



 暫く呆然とハンナだった物を抱えているとふと肩を叩かれた。顔を上げてみるとそこには街を掃除する清掃員のおっさんがいた。辺りはもう真っ暗だ。先ほどいた冒険者と依頼主も何処かに行ったらしい。


「おい坊主きたねえぞ。さっさと家に帰って水でも浴びてこい」


 そんな事を言いながらハンナだった物をおっさんが回収しようとする。


「ま、まって!冒険者に!冒険者に殺されたんだ!」


「…?何言ってやがる。殺されても文句言えねえだろ」


 殺されても…文句が言えない?俺が理解出来ずにいるとおっさんは忙しそうに去っていった。ハンナだった物を箱に詰めて。


 それから俺は何も考える事が出来ず結局家に帰る事にした。途中でガードのおっさんにも殺された事を話したが皆「そうかそうか」と話を聞き流すだけだ。


「ニーサちゃん!心配したのよ!こんなに遅くに帰ってきて…ニーサちゃん?」


 返り血まみれの俺を母上は何時もの様に出迎えてくれた。暫く玄関に立っていた俺に対して心配していたが、テキパキとした動きで風呂を準備すると俺についた返り血を拭きとってくれた。その間俺は殆ど動けなかったが。


「今日は疲れたんでしょう?ゆっくり休んでいいのよ」


 そう言いながら部屋に連れていかれる。ここに突っ立て居ても仕方がない。俺は疲れきった体を何とか動かしベッドに横たわる。

 瞼を閉じると先ほどの光景が鮮明に思い出される。銃を撃った瞬間の冒険者と依頼主の顔。視界一杯に広がる赤い血。倒れ伏すハンナの姿。

 ふと気が付いた。俺はハンナが死んでから涙を流していない。そう思った瞬間俺の両目からは止めどもなく涙があふれてきた。

 ハンナはこの世界に来て初めての友人だった。明るく、活発で笑顔が良く似合う少女だった。しかし、そんな彼女にはもう会えない。そう思う度涙の量が更に増えていく。

 俺はそのまま…泣きつかれたのか、それとも最初から疲れていたのか、深い眠りに落ちていった。



 *



 あれから三日程たったが俺は何も出来ずにぼーっと部屋を見ていた。食事も喉を通らず母上が心配していたがそんな事はどうでも良かった。


 俺はこの世界に来て、「死」というものに少しは慣れたと思っていた。だが、それは所詮他人の、見ず知らずの人の死だ。ニュース番組で知らない人が死ぬのを見るのと、目の前で知らない人が死ぬのは、リアリティの違いはあれど結局は変わらない。

 それは対岸の火事であって俺には直接関係無いからだ。


 だが今回は違う。良く見知った。それでいて俺にこの街と世界を紹介してくれた、大切な人だった。そんな彼女が殺されたのだ。少しばかり自暴自棄になっても仕方ないだろう。


 自分の中の何かが自嘲気味に言っていた。不意に全てがどうでも良くなっていった。異世界で死ねば元の世界に戻れるのだろうか?そんな事を考え始めた時玄関から俺の良く知る声が聞こえてきた。


「ニーサ!ニーサ君いますかー!」

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