僕は色っぽい先輩に看病してもらえた高校生。
……温かい。とても、温かい。
柔らかくて寝心地が良い。いつまでもここで眠っていたいような気分にさせられる。静かに頭を撫でられてるような錯覚もする。
まるで人の体温を直に浴びているようだった。言うなれば母のお腹の中で眠っていたような、そんな安心感。
寝返りをしようと、顔を横に向けると、鼻とほっぺに肌が触れた。
「あんっ。やだ、くすぐったい」
……ん? 何だろう。今、間近でとんでもなくスケベな声が聞こえたぞ。恐る恐る目を開けると。
「あら、お目覚めかしら?」
眼前に誰かいた。
僕を見下ろす見知らぬ女性。一体誰ぞや。そしてなぜ頭を撫でているのか。胎児プレイ?
「あ、はい。どうも。はじめまして。新垣です」
状況はよくわからないが、見ず知らずのままではいけないと挨拶をしておく。何かお世話になってるみたいだしな。
ん? ていうかあれ?
立ち上がって状況を確認すると、信じられない事が起きていた。やけに柔らかいし、顔が近いと思ったら。
つまり、これは枕ではない。この、女性のッ……! 膝枕ッ……!
「う、うわああああ! ちょ、ちょっとなんですか!? えっと、す、すいません! 僕は新垣ですけど──いや、そうじゃなくて!」
「あらあら、顔が真っ赤よ。今更照れなくてもいいのに。さっきまでヨダレを垂らして、すやすやと眠っていたでしょ?」
「よ、ヨダレですか!?」
口元を拭いてもそれらしいモノは見当たらない。拭き取ってくれたのだろうか。そんなの完全にチャイルドプレイじゃん!
「えぇ、でも気にしてないわ。とても可愛い寝顔だったし」
口元でクスクスと笑みを浮かべる女性。本日、四人目の美女だった。
大人びた表情に白い肌。長く真っ黒なロングヘア。鼻立ちのいいロシア人女性のような整った造形美。大きな特徴を言うなれば、その冷えた瞳だろうか。
僕を見ているのか、遠くを眺めているのか、判断が難しい視線。ずっと目を合わせていれば、どこかに呑まれてしまいそうなミステリアスな雰囲気もある。
すらりとした女性が立ち上がった。
身長も結構高めのようだ。
「えっと、お名前は?」
「桜よ」
「……フルネームがですか?」
「桜先輩と呼びなさい」
本名も教えてくれない。禁則事項らしい。仮の名前がサクラだそうだ。
「では、桜さん。僕は一体どうなってしまったのでしょうか?」
辺りを見渡す限り、ここは保健室のベッドの上だ。倒れたのだろうか。最後の記憶として覚えているのは、スピーチを終えて拍手をされたという事だけ。
「あなたは死んだの。私は女神。これから異世界転生が始まるのよ」
「急になんですか、その設定」
「転生する異世界では私と一緒に病院を経営するの。私がナース、あなたは医師。なにか問題ある?」
「問題しかないです! 異世界行きたくないし、医師免許持ってません!」
ちょっと面白そうな設定ではあったけど、そんな冗談に付き合う暇はない。今はこの謎を解明しなくてはならないのだ。じっちゃんの名にかけて!
「そうね。簡単に言うと〝貧血〟」
「貧血?」
「そう、あなたが代役の挨拶を終えた後、あの場に突然倒れたのよ。救急車を呼ぶ騒ぎにもなったわ。だけど、症状は軽いモノだったからこうして保健室に運ばれたってワケ」
な、なるほど。緊張の糸が切れて倒れてしまったようだな。それにしても貧血って……日頃の体調管理がしっかり出来ていないせいか。
「……本当にすいません。看病までしてくれて」
「看病と言ってもあなたのお姉さんに付き添うように頼まれただけよ」
「姉貴が、ですか?」
「ええ。いま保険の先生は貴方のご両親に連絡をしている最中だわ。でも、繋がらないみたい。お仕事中かしら」
どうやら色々と迷惑をかけてしまったらしい。申し訳ないなぁ。
「そうだったんですか。ありがとうございます!」
「いえいえ、どういたしまして。本当に素敵なスピーチだったわよ。新垣 善一くん」
素敵なスピーチと言われたら少し照れてしまう。ほとんどアドリブな上に頭も真っ白で、内容なんて一つも覚えていないけど。
「入学式はもう終わったんですか?」
「いいえ、まだ続いてるわ。でも時間的にもうすぐ終了ね。お友達と帰るなら先生には私から言っておくわ。あと体育館は左手の階段を降りなさい」
何から何まで至れり尽くせりである。今度、会った時には必ずお礼をしよう。
「桜先輩、このご恩は忘れません。いつか必ず返します」
「あら、そう。じゃあ期待しているわね」
含みのある笑みを浮かべる桜さんにお辞儀をして、保健室を後にする。お父さんやお母さん、それと姉貴にも迷惑かけたなぁ。後で謝罪のLINEでも送っておかないと。
※ ※ ※ ※ ※
ドアの外は長い廊下が続いていた。言われたように左手の階段を下ってゆく。
一階に到着すると、右端に大きな体育館が見える。意外と遠いな。誰がここまで運んできてくれたのだろうか。
廊下を歩いてゆく。校庭はグラウンドを囲むように桜の木が埋められていた。綺麗だ。とても綺麗。つい見とれて足を止めてしまう。うわ、インスタ映えしそう。
日本の四季の中で春が一番好きだ。新しい環境、新鮮な発見、新たなステージ。全てが自分たちを祝ってくれているみたいで心が舞い踊る。頑張れって応援されてるような気持ちになるから。
古来から、季語として春を表す際には桜を用いてきた。春になると咲き誇り、夏になると散りゆく。歴史は古く、そういう季節の変わり目を表す点でも、人々は桜を愛してきたのだろう。
夏の海、秋の紅葉、冬の雪景色。どれもとても綺麗な風景ではあるけれど、僕はやっぱり春の桜が一番好きだ。
こうやって見ているだけで、なんとなく心が落ち着くから。
校庭の桜の木から一枚の花びらが舞い落ちる。桜の落ちるスピードは秒速五センチメートルらしい。一体どれくらいなのだろう。検討もつかない。
そんな変な事を考えながら、僕は夢中で桜の木を眺めていた。
「……」
どれくらいの時間が経っただろうか。体感時間じゃそれほど経っていない気もする。短いようで、それでいて長い時間。
本当は気付いていた。それなのに止まっていたと嘘をつき、信じようとしなかった。そんなものあるハズがないと、頭の中で勝手に完結させていた。世界は、ずっと前からちゃんと動いていたのに。
これは偶然か、はたまた運命か。
例えただの単なる偶然だったとしても、僕はこれを運命だと言い張るだろう。いつまでも、ずっと、ずっと。
後ろで不意に誰かの声がした。
「───桜、好きなんですか?」
止まっていた時間が、ようやく動き出す。
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