僕は入学初日から人気者になった高校生。



『私はなりたくない。常識やモラルなんて偏見のコレクションでしかないと思っているからな。時代が変われば考え方もまた変わる』



 ……完全に不意をつかれた。油断をした。思えばあの人が単純なスピーチで終わるはずがなかった。全てあの人の掌の上で踊っていただけに過ぎない。



『最初から校長先生の話をちゃんと聞いていたと挙手した者、素晴らしい心構えだ。また、つまらない話は聞きたくないと思っている者も大いに結構! せっかくの祝いの門出。新しい友人と親睦を深めたいよな。現にこうやって私が話している時は皆、集中して聞いてくれている』



 ザワザワと周囲から緊張が緩和されてゆく。挙手させたのも全てパフォーマンス。姉貴は最初から怒るつもりなどなかったのだ。ただ、注目を集めただけ。



『どれも間違いではない。正解と思うモノの反対が不正解だとは限らないからな。常識を疑い、挑戦を恐れず、己を信じ、自由で在れ。夢を諦めるな』



 指を真っ直ぐに突きつけて彼女は笑う。体育館では歓声が上がっていた。最早コンサートである。発言力でここまで人を動かせるとは。政治家向きだな。




『青春を大いに謳歌しろ──若人たちよ!』




 声を大にして彼女は叫ぶ。盛り上がりは絶頂を迎え、姉貴も大きく拳を振り上げていた。え、なにこのライブ感。




『入学おめでとう──頂点で待っている。在校生代表、新垣 奈々美』




 と、その瞬間、爆発音のような拍手喝采が鳴り響いた。生徒だけでなく、親御さんや、そして先生たちまで。姉貴の言葉に惹かれたのかスタンディングオベーションだった。僕はなんか悔しかったから座っていた。


 クールビューティこと我が姉、新垣 奈々美。あぁ、分かっている。認めたくはないが、やっぱり僕では完敗なのだと。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「すっげぇええええ! お前の姉貴の演説、はじめて聞いたけど、超絶クールじゃねぇか!『頂点で待ってる』とか痺れるゥーッ!」



 生のアイドルを見たように興奮してる宗。指笛を吹いてはしゃいでいた。こら、みっともないからやめなさい。



「ガッキーのお姉さんサイコー!! クール! クール!」



 一方の柳葉も騒ぎ立てていた。みんな、感受性豊かだな。



 周囲の反応も「すごかったねー」「生徒会長みたいになりたいー」と好評価だった。でも僕は知っている。あのカラクリを。



 姉貴は人身掌握の術を身につけている。人の感情をどうすれば揺さぶれるか、どの言葉が心に響くのか、全て計算してやっているのだ。そして本番で最高のパフォーマンスを披露する為に、幾度となく練習もしたに違いない。


 彼女は才能の塊にして、努力の天才。どこまでもストイックな人だ。



『在校生歓迎の言葉、ありがとうございました。かなりの盛り上がりを見せていましたね。では、次は新入生の挨拶です。一年生代表、安田くん。前へ』



 入学式はセカンドフェイズ、新入生の言葉へ移行する。が、アナウンスで呼びかけたにも関わらず、名前を呼ばれた彼が中々現れない。教職員たちが少しザワつき出した。


 暫くすると、再びアナウンスが流れる。



『えー……只今調べたところ、どうやら代表の安田くんが体調不良で欠席の連絡が来ていました。こちらの確認ミスです。本当に申し訳ございません』


「あらら」



 安田くんは大丈夫なのだろうか。でもあの人の後にスピーチなど地獄を見るだけである。不幸中の幸いか。



『大変恐縮なのですが……本来用意するべき代役を用意していませんでした。ですので、予定を変更したいと思います。次は……』



「待ってください。教頭先生!」



 と、何故か再び壇上に戻ってくる姉貴。なんだ、目立ちたがり屋か?



「新入生代表の代役ですよね。私が一人知っております」



 僕は知らなかった。この時、これから何が起こるのかを。全く予想していなかった。



『あら、そうですか。では生徒会長、その方とは……?』



 姉貴はニンマリと笑う。豊満な胸を張って高らかに。いつもの口調で。



「私の自慢の弟。新垣 善一です」



 ん?




「善一、出てこい。晴れ舞台だ。挨拶しろ」



 ……はい?



こっちを見つめながら僕の名前を呼ぶ姉貴。あぁ、そうだ。今ならハッキリとわかる。



 ──僕はこの姉貴が苦手だ、と。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「僕が、挨拶?」



 思考回路がショート寸前だった。なんだそのドッキリ。聞いてないぞ。今から全校生徒の前で挨拶しろと? しかもアドリブで。そんなの無茶苦茶だ。無茶振りにも程がある。


 言っておくが僕は人前に出るのが非常に苦手な人間である。緊張してお腹を下しやすいし、低血圧だ。呂律だって回らなくなるかもしれない。



「お、おい。イッチー。呼ばれてるぞ」


「……わかってる。僕が一番混乱してる」


「が、頑張ってね!ガッキー。応援してるからっ」



 柳葉もボケる事を忘れている非常事態。どうする? 逃げるか? それともーー。



「おい、善一。早く来い」



 身体を震えさせて退席も考えたのだが、壇上から悪魔が僕を見つめていた。流石にこの席だと目立ってしまうようだった。



「なにこれ。予定にはないよな?」


「あの生徒会長の弟が出てくるのか?」


「それなら見たいかも! 楽しみ!」


「絶対カッコいいよ! 期待大!」



 騒めく会場。周りの連中もつられてどんなヤツなんだろう? と視線を浴びせてきている。



 ……頼むから、ハードルを上げないでくれ。頭もフラフラしてきた。



 わかっている。泣き事は言えないと。これ以上は姉貴の顔にも泥を塗ってしまう事になる。そんな事をしたら新垣家末代までの恥となってしまう。



 覚悟を、決めようか。



 立ち上がろうとすると、グッと肩を持って隣の友人が小声で囁いてきた。こういう時に頼りになる。



「上手く喋ろうとするな。とりあえず……思った事だけ言えりゃいいんだ」


「わかった、サンキュー。宗」


「ガッキーならできるできるっ! ガンバ大阪」


「僕はヴィッセル神戸派だ。でもありがとう、柳葉」



 二人にお礼を告げて僕は立ち上がり、壇上へと向かう。よく考えてみればこれはチャンスでもある。姉貴から僕への試練。これくらい乗り越えていかなければ、私には勝てないだろうという宣戦布告。



 なら、やってやろう。勝負だクソ姉貴。



「偉いな。尻尾を巻いて逃げ出すと思ったが」



 階段下でマイクを手渡しながら姉貴が挑発してきた。傲慢な態度の上から目線。



「最初から逃す気もなかっただろう。あまり僕を見くびるな」



 マイクを受け取って挑発に乗る。分かっている。これもわざとなのだろう。



「ま、これもいい経験になるだろう。行ってこい、善一。皆にお前を見せつけてやれ」



 ……ほら、見ろ。わざとだった。



 背中をポンと叩く姉貴を背に階段を上がる。勘違いしているようだが、皆に見て貰いたいなんて微塵も思っちゃいない。アンタに見せつけたいだけだ。


 自慢の弟だとそう言ってくれた。ならば、それに答えるのが弟としての役割だから。


 壇上に登る。マイクをテーブルに固定して頭を下げた。鳴り響く拍手と共にアナウンスが流れる。



『えー、ではそうしましたら、予定にはありませんでしたが、急遽代役を申し立ててくれました。一年生代表、新垣 善一くんによる、新入生代表の挨拶です。よろしくお願いします』



 教頭先生の言葉を聞いてから僕は顔を上げる。何百人もの人々が一斉に視線をぶつけていた。姉貴はこのプレッシャーの中で発言していたのか。


 ……緊張で手が震えてくる。噛んだらどうしようとか不安な気持ちが、次々に浮かんでは消えてゆく。額からは汗が零れ落ちた。


 逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ。


 ……ビビるな。恐怖に打ち勝て。


 僕にだって姉貴と同じ血が流れている。やってやれない事はないのだから。



 ──よし、行こう。



 覚悟を決めて、マイクに顔を近づけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る