初恋と桜。



 突然だが、人はいつ人を好きだと判断するのだろう。



 出逢ってすぐに『あぁ、この人なんかいいなぁ』と感じれば、もうその時点で【好き】になるのか。


 またはお風呂に入っている時とかにふと思い出して『あぁ、好きなのかなぁ』とようやく気がつくのか。


 僕には全くと言っていいほど、分からなかった。


 だが、彼女を一目見たとき、その虜になったのは間違いない。それは見た目が魅力的だったからというのもあるが、醸し出す雰囲気、そしてそこに存在すること自体が『なんかいいなぁ』だったのである。



 言葉では到底彼女の全てを説明できない。ただこの人と出逢ってしまって、何か失っていたものがカチッとハマったような感じがした。


 長い時間の流れとか、世界の原理とか、もう全てを超越してしまった心理状態。無我の境地。



 言語化出来ないものを、あえて言葉にして言うのなら、そこにいたのは髪の長いひとりの女性だった。



「──桜、好きなんですか?」



 彼女は一言、僕にこう尋ねた。

 その質問に早く答えなければならない。



 ※ ※ ※ ※ ※



 これまで異性に対して明確な好意を持った事など一度も無かった。だから僕は彼女なんて要らないと言い張っていたのである。


 では、目の前の彼女はどうか。


 頭一つ小さくて、長い髪を持つ、特別そこまで際立った特徴は感じられない女の子。



 なのに、なのに、心は酷く動揺していた。



 ……ワケが分からない。頭が真っ白で脈拍が上昇し続けている。



 一度、恋に関する心理学の本を前に読んだ記憶がある。



 【恋愛というモノは頭で幾ら理屈を捏ねまわしても分かるモノではない。人間の奥底に眠る野生の魂が働いている。言わば本能だ】



 なんのこっちゃ、と当時読んだ時は思った。



 【恋愛とは下心を詩的に表現しただけに過ぎない】



 と、お気に入りの大文豪が述べていたし、僕もまたそうだと認識していた。


 だからクラスメイト達がこぞって話題に出す、色恋沙汰には全く興味関心が持てなかったのである。胸のトキメキなんて実際にあるハズもないと。



 しばらく呆然と立ちすくしていた。僕は桜ではなく、彼女をずっと見ていた。



「……えっと」



 桜が好きかどうかなんて、そんなことは今更どうだってよかった。



「す、好きです。とても」



 自然に言葉は出た。それは桜に対してなのか、彼女に対してなのか、僕自身でも分からない事であった。



「やっぱり。さっきからずっと見てましたもんね」


「へ? あ、はい」



 おかしい。声が吃って上手く喋れない。緊張して手が震えている。足も固まって動けない。こちらを見つめる彼女の目をまともに合わせられない。


 どうした、新垣 善一? 何故いつものように振る舞えない? あ、そっか。まだ貧血の後遺症が残ってるんだな!


 つまりはまだ頭がボーっとしてるだけ。これは恋ではない。断じて宣言しよう。一目惚れなんてあるはずがない。



「桜は私も好き。ところで、一年生ですか?」


「え、えぇ……! 」


「じゃあ、一緒だ。タメ口で大丈夫だよ」


「が、合点承知!」


「ん?」



 小首を傾げてくる少女。なんだか居た堪れない気分になって、ゴホンと一度咳払いをする。


 ぜ、全然上手く喋れていない。それにしても「ん?」ってなんだよ。てっきり、惚れてしまいそうになったぞ。



「……なんでココへ?」



 普通ならば新入生は入学式に出席しているハズ。まだ終わってないと先輩も言ってたし。



「んー、散歩かな」



 散歩? なんで散歩? おいおい、この子不良少女じゃないのか。危ない、危ない。僕もついブレイキングバッドするところだった。ここはちゃんと注意しないと。



「そ、そりゃ良いですね。本日はお日柄も良く風も静かだし、絶好の散歩日和と言えます」


「今日は特に最高でした。って、また敬語になってますよ?」


「あ。……すいません」


「あはは、面白い人」



 いくらなんでも取り乱し過ぎじゃないか僕!?


 本当にどうかしてしまったのだろうか。彼女はごく普通の会話をしてるだけだぞ。なのに何故堂々と話せないんだ。



 さっきから気になってしまう。ずっと取り憑かれたように見てしまっていて、考えてる事と言葉が一致しない。


 花びらが舞い落ちている地面を腰を反って、カバンを持つ手を後ろで組みながらこの子は笑ってくれている。



 恋は盲目で突然落ちると聞く。



 ダメだな、認めよう。完全に落とされてしまっている。たった一言、二言会話をしただけで脳内キャパオーバーしているこの現象は、きっと貧血の後遺症なんかとは関係ないのだろう。



 ずっと僕は憧れを持っていたのかもしれない。恋を知らないから、分からないから、その反面求めていた。そして、ようやくそれは現れてしまった。




「君も桜が好きなのか?」


「好きかなー。見てると心が和みますから」



 僕は名も知らないあなたが好きです。



「名前を聞いてもいい? あ、僕は」



 と、ここで遠くの方が騒がしくなった。大勢の人が体育館から出てくる。どうやら、入学式も終わりのようだ。ポケットから着信音がしたので、開くと宗から連絡も来ていた。



「『生きてる?体育館前にいるぞ』か」


「お友達?」


「はい。腐れ縁でして」


「あ、私も」



 彼女もまたスマホを見て呟く。着信があったようだ。電話に出て少しの間会話をする。



「もしもし……今? グラウンドにいるよ。なっちゃんはどこ? うん。校門前だね。分かった、すぐ行くよ。はーい」



 なっちゃんと呼ばれるお友達と会話して少女は電話を切る。


 残念、もっとお喋りしたかったが時間切れのようだ。本当なら聞きたいことはたくさんあったんだぞ。名前とか、名前とか、後はそうだな名前とか。



「私も呼び出されちゃいました。校門前にいるって」


「……なら、行きましょうか。待たせるわけにはいかないんで。僕は体育館の方へ」



 もう少し桜を見ながら話をしたかった。もっと醒めない夢を見ておきたかった。



「では、また」



 彼女には手を振って早足で体育館へと向かって行く。あー、最高の時間だった。きっとまた会う機会があるならば、今度はもっと仲良くなろう。


 そんな事を思いながら歩みを進めていると、不意に袖を引っ張られる。振り返るとあの子がまだ僕の近くに立っていた。



「あ、ちょっと待って。新垣くん」



 呼び止めてきたのは当然彼女。一瞬たじろいでしまう。



「……知ってたのか? 僕のことを」



「うん。ちゃーんと知ってる。新入生代表の代役を務めた新垣 善一くん、だって」



 その出逢いはとても衝撃的であった。例えるならばまるで重い物で脳天をブチ抜かれたような、そんな気分。目を覚ませと強く誰かが訴えているかのように。


 桜の咲く、季節は春の出来事。


 全てはこの時に始まったのだ。


 僕は出逢ってしまった。運命を変えてしまう彼女と。巡り会いという時の運が運んでくれたキセキによって。



 ───桜空の下で、僕は君に恋をする。




 「私は安穏あんのんのどか。これからよろしくね、新垣くん」





      入学編、結。

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