第59話:聖女アリシア 12

 馬車の中にはアリシア一人。

 聞こえてくるのは馬車の車輪が回る音だけで、それ以外は静寂に包まれている。

 昨日の家での大騒ぎが嘘のようで、アリシアは少しだけ寂しさを感じていた。


(……ううん、ダメよ、アリシア。ここからは私に味方はいないんだから)


 弱気になってしまえば、すぐに付け込まれてしまう。

 ホールトンがそういう人間であることを、前世のアリシアは間近で見てきた。

 だからこそ、心を強く持ち、弱い自分を見せないことが大事だった。


(……これから先のことを考えなくっちゃ)


 ただ静寂の中にいると不安な気持ちに襲われるかもとしれないと思ったアリシアは、これからのことを考えることにした。


(ディラーナ村から王都まで、何もなければ三日掛かるはず。その間、二回の野営を経験するんだけど……あの時は酷かったなぁ)


 思い出しただけでも嫌気が差してしまう野営の記憶に、アリシアは表情を渋くする。

 何せ天幕には入らせてもらえず、仕方なく大木に寄り掛かって寝たものの、体中を虫に刺されて非常に痒い経験をしたからだ。


(でも、今回は虫除けも持っているし、何より自警団の訓練で野営についての知識だってあるわ。あんな思い、一度だけで十分よ)


 馬車移動は昼休憩までぶっ通しで続き、その間アリシアはずっとこれから起こることについて考えを巡らせていた。

 そのおかげもあってか、昼休憩までの時間はあっという間に過ぎており、長時間馬車に揺られていたものの疲れはそこまで感じていなかった。


「お疲れ様です、アリシア殿」


 アリシアが馬車を降りると、わざわざ気を使ったのかホールトンが声を掛けてきた。


「お疲れ様です、ホールトン様」

「長時間の馬車移動は疲れたでしょう」

「いいえ、大丈夫です。考え事をしていたらあっという間でしたから」


 ホールトンとしては生意気な田舎娘が辛そうにしている姿を見て悦に入ろうとしたのだが、まさか笑顔で返されるとは思わず目を丸くしてしまう。


「……そ、そうですか」

「――飯の時間だ! 調理班はさっさと作れよ!」


 護衛騎士たちの声が響き渡ると、アリシアはハッとした表情を浮かべた。


(そ、そうだった! 野営の前に、これがあったわ!)

「……あの、アリシア殿? どうなされたので――」

「ホールトン様!」

「は、はい!」

「私、騎士様の料理をお手伝いしてもいいでしょうか!」

「……はい?」


 またしてもアリシアからの予想外の言葉に、ホールトンは聞き返すことしかできなかった。


「これでも料理の腕には自信があるんです!」

「……ま、まあ、いいですが」

「ありがとうございます! では、行ってきますね!」


 お許しが出ると、お礼を口にしたアリシアはさっさと走っていってしまった。


「……まったく、田舎娘はこれだから」


 自分は専属の料理人に料理を作ってもらっているホールトンは、ため息をつきながら自らの馬車へ戻っていった。


 先ほど声のした方へやってきたアリシアは、すぐにおたまを手にした騎士へ声を掛けた。


「すみませーん」

「ん? なんだ、護衛対象の聖女候補じゃないか。まだ料理はできていないぞ」

「いいえ、手伝いに来たんです」

「……手伝いだと? 聖女候補がか?」


 騎士からは驚きの声があがったが、アリシアはその場で腕捲りをしてニコリと笑った。


「聖女候補と言われてもピンと来ませんし、ずっと平民の娘として育ったんですよ? 料理は得意なんです」

「……まあ、手伝ってくれるならありがたい。実を言うと、料理は苦手なんだ」

(そうでしょうとも)


 アリシアがそう思っていた理由、それは――昼休憩の昼食が恐ろしいほど不味かったことを思い出したからだ。


(あの時は我慢して食べたけど、休憩終わりの馬車移動で気持ち悪くなっちゃったんだよね。……あれは地獄だったなぁ)

「材料を見せてもらえますか?」

「あぁ、これだよ」


 そう言って見せてもらった材料の多くは、保存の効くものばかりだったが、自警団の訓練の中でも保存食を使った料理を何度も作ってきていたのでアリシアには問題なかった。


「うん……これなら大丈夫そうですね」

「ほ、本当か?」

「はい! 私がメインで作ってもいいんでしょうか?」

「た、頼む! 手伝えることはやるからさ!」

「わかりました! よろしくお願いします!」


 こうしてアリシアがメインで、昼食作りが始まった。

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