アンディは何色のドレスをご所望?

椋畏泪

アンディは何色のドレスをご所望?

 ある日、アパレルブランドのオーナーであるベティは、労働用ロボットの第一人者であるロバート博士の元を訪れた。


 快晴には満たない、しかし曇天と言うには明るすぎる、そんな変哲の無い空模様の昼下がりである。ロバート博士は神経質に機材の棚の拭き掃除をやって、休憩がてら家事代行ロボットの『アンディ』に珈琲を淹れさせたところであった。本来は掃除もアンディに任せてしまえば、自分でやるよりもずっと綺麗になることは実験で良く分かっているのだが、身体の自由が効くうちは自分で掃除をしたいと、明確な理由無しにロバート博士はぼんやり、そう思っていた。


「……、博士?」


 ベティの呼びかけでロバート博士は意識を内向から外交へと取り次いだ。このところ、ぼんやり考えてしまう時間が一日の中で増えている。それは老いによるものか、それとも発明の吉兆か、長年研究に没頭しているロバート博士自信にさえ未だ判別を付けることは難しかった。


「あぁ、聞いているよ。要するにベティ君、貴女は私に責任を押し付けたいわけだ」


 皮肉っぽく、ロバート博士は言った。ベティは「そうは言っていません」と慌てて取り繕ったが、「しかし、博士の助力を得るという意味では、たしかにそうかもしれません」と続けた。


「まぁね、貴女の話を聞く限り、私の所に来たのは幸運と言う他ないだろう」


 ベティの隠し立てしない様子に、博士はいくらか好感を得たらしく、いっそう高慢な態度を強めて返した。一回り以上も年の差のある彼らの現状を客観的に見たのなら、間違えなく何らかの『ハラスメント』に引っかかるだろうが、博士の研究室には第三者の目線なんて、彼に従順なロボットくらいしかあり得なかった。


「既に何か方策を思いつかれたのですか?」

 ベティはロバート博士の口調よりも内容に意識が向いたらしく、気にした風なく尋ねる。


「まだ量産化できていない試作品だがね」


 博士は、なおも得意げな様子に拍車をかけた。次いでアンディを呼び寄せると、自分の珈琲のおかわりとベティの分も注ぐように命じた。


「費用は、博士の言い値でお支払いします。もちろん、商品が確実に売れれば、ですが……」


 そこまで言って、ベティは博士の実力を見くびるような言い方をしてしまったと、慌てて博士の表情を見上げた。目は、合わなかった。しかし、幸いにもアンディがちょうど珈琲を運んできたタイミングと重なり、珈琲をひとくち含んだ博士は冷静に、取りただすほどの事でもないと、怒りではない沈黙の後、鼻から珈琲の香りを抜くように浅い嘆息を漏らした。


「ドレスの色見の相談、だったね?」


 博士は目を細めて言った。ちょうど珈琲に口を付けたばかりだったベティは、慌てて首肯する。


「これは特殊な染料でね。これを散布された物は視認した人間の視神経に作用し、その人物が最も魅力的だと感じる色彩を網膜に映し出しているように錯覚させる」


 博士がおもむろに始めた説明を、しかしベティは一回で理解することが出来なかった。それでも何か言おうとベティが口をもごもごさせると、博士の方も自分の説明の非に気付いたように、ベティの発言を遮るように続けた。


「例えばだ、ベティ君。貴女が魅力的だと感じ、購買意欲を掻き立てられる色がワインレッドだとしよう。ちょうど貴女のピン・ヒールのような色だね。それで私の方はアンディの染料に使った青磁色が好みとする」


 そこまで言って、博士は一拍置いた。そのことで、ベティの方もまるでコットンに化粧水が染み込むみたいに理解が浸透するような感じがした。


「もしドレスにこの染料を散布すれば、貴女にはワインレッドのドレス、私には青磁色のドレスに見える、という具合だ」


 言い終えると、博士は少し呼吸を整える動作をした。ベティの方も、博士の言葉を反芻し、ようやく完全に理解出来た様子である。

「素晴らしい発明ではないですか、博士!」


 溌溂とした表情でそう言ってから、ベティはふと先刻博士が「量産化に漕ぎつけていない」という趣旨の発言をしていたのを思い出した。


「ただ、一点問題があってね。この染料は精密な分量と配分で塗らなくては効果が薄まってしまうため、人間ではなくロボットに塗ってもらう必要がある。それも、この染料専門のロボットだ。そうすると当然、ロボットの代金と染料の代金がかかる。これもあってなかなか量産には漕ぎつけにくい部分もある」


 ベティの考えを知ってか知らずか、ロバート博士はそう言った。ベティは少し悩んだが、今回の博士の発明で、自分たちの会社がデザインしたドレスが売れないはずはないという気持ちが、少し勝っていることを自覚した。


 利潤などを黙して数分考え込んだ。博士は特段急かすことも、熟考することもせず、「私からの話は終わった」とばかりに内向へ思考を向けていた。


 数分後、結局ベティはロバート博士と専属契約を結ぶことにした。




 三か月と九日が経過した日、ベティは再びロバート博士の元を訪れていた。以前の訪問から、季節をひとつまたいだが、博士も博士の研究室も、アンディも全く変化は無いように見えた。


 ベティの訪問が、成功が所以でないことは、ロボットの相手ばかりで人付き合いの少ないロバート博士の目にも明らかであった。


 歓迎はしないまでも、一応の客人と言う事で博士がアンディに命じて珈琲を淹れさせたが、今となっては冷え切ってしまっていた。ベティが悩むような、考えをまとめるような表情を浮かべている間、博士も言葉を発する事は無かった。気を使ったという訳ではなく「面倒な雰囲気だから、このまま帰ってもらいたい所だ」というのが博士の根底にあり、ベティもおおよそ博士の心境は察していたがそれでも再度博士の助力を得るべく、沈黙を享受していた。


 どのくらい時間がかかったか、ベティの方からぽつりぽつりと話を始めた。


「……。最初のひと月は、博士の発明のおかげもあって、件のドレスは飛ぶように売れました。ふた月目に入ると、少々売れ行きは落ち着いてきましたが、それでも毎日発送作業等は行っていました……」


 と、そこでベティは言葉を区切った。業界では良くあることなのだろうが、まだ若いベティには堪えるものがあったのかも知れない、などと、博士は他人事ながら思った。


「今月に入って、ついに販売が全く無くなってしまいました。おそらく、博士の発明は完璧だったし、私たちの戦略も全く間違いだったとは思えません……」


 涙こそ見せなかった。しかし、悔しいのやら、悲しいのやらでベティは上手く声を発するのが困難になった。


「たしかに、送付されていた資料を見る限り、私の発明した染料にも、ロボットにも、全く不具合は見られなかった」


 ベティは唇を固く結んだまま博士の言葉を聞いた。


「しかし、予想することは出来る。つまりだよ、ベティ君」


 博士は区切って珈琲を口にした。ベティの調子のせいで、博士も珈琲を飲むペースが鈍ってしまい、随分と冷めた不味い味がして、少し顔をしかめた。


「今回の件から考えるに、購買者にとって『魅力的な色彩なのは当たり前』という感覚になってしまったのではないだろうか?」


 つまらなさそうに、博士は言った。ベティは博士の言葉を聞いて、いや、聞く前からずっと、魅力的な色彩は『当然』になりつつあるのは、十二分に体感していた。それでも、どこかに打開策があるのではないかと、藁をもつかむ思いで博士の元を訪れたのである。


「何か……、なにか打開策は無いでしょうか?」


 無意識に、口をついてそんな言葉が出ていた。博士は、少し考えるように斜め上の方へ視線を流した。そして、「無いでは、ない」と、ぼんやりした表情で、うわごとのように答えた。


 予想していなかった回答に、ベティは狼狽した。しかし、このまま引き下がっては、自分が作り上げてきたブランドを維持できなくなるという思いもあって、何とか助力を得ようと博士に食い下がる。


「どんな……、どんな発明なんです?」


「以前の発明と、たいして変わらない。以前と変わるのは、『魅力的な色』から『魅力的なデザイン』になるだけだ」


 ベティの返答を予想してか、博士は早々と答えた。そして、ベティの気分につられて疲労したのか、アンディにチョコレートと暖かい珈琲を注文した。


 ベティの方は、何か肩の荷が降りたような面持ちで、冷めて味の落ちているはずの珈琲を、非常に美味な様子で飲み干していた。


 そこから、少し現実的な発明品の納品予定や金額についての話をすると、以前のように悩む様子無くベティは帰路についた。


 ベティを簡単に見送った後、ロバート博士は憂鬱そうに部屋のスミに控えている家事代行ロボットのアンディに目をやった。


「今回のところは、問題なくベティのブランドを再興させるだろう。しかし、『魅力的な色彩』に続いて『魅力的なデザイン』までもが当たり前になった時には、彼女はどうするのだろうか……」


 そう、ロバート博士は呟いた。アンディの方向に向かって発された言葉であるが、アンディは家事を代行するロボットであるため、当然何も答えない。


「案外、人間の仕事が全てロボットに取って変わられる日は、そう遠くないのかもしれない。もちろん、この私の仕事も含めて……」


 博士は、嬉しいような、虚しいような、恐ろしがっているような、複雑な表情で言う。無機質なはずのアンディの表情も、自分と似たような感情が込められたように、ロバート博士は感じた。


 そして、少しして、ロバート博士はデザインロボットの発明に取りかかる。


 今更、自分自身の生きがいを捨て去るなどという愚行は出来るはずもない。そんな風に、ロバート博士は心のどこかで思った。

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