06.決戦
十重二十重に立ちはだかるドゥ子の分身どもと睨み合う。たったひとり、小柄で細身の中学2年生女子たるリサのみで。
吐息、静かに、闇夜に零れ。
――来る!
三方から飛び掛かる敵。咄嗟に足元を潜り抜ける。背後に回り込むなり膝立ち反転、敵の足首をひと薙ぎする。
呆然と見とれるドゥ子の腕を、駆け寄ったリサが引っ張り上げた。公園の外へ駆け出すふたり。行く手を阻む分身たちを右へ左へ斬って捨て、辿り着いた歩道には自転車が一台。
「漕いで」
「あっ?」
「得意でしょ」
チャリにまたがる。リサは荷台に。飛ぶように坂道を疾走する。追いすがる分身たちが見る見るうちに遠ざかり、ドゥ子はなんだか楽しくなって、
「キョッホー!」
「ご近所迷惑です」
「ごめんなちゃい」
「来ますよ」
何が? 問うより早く、眩い光が背後からふたりを捉えた。轟くエンジン。軽トラとバイク。乗るのは無論分身たち。逃げられた時に備えて、分身どもはあんなものまで用意していたのだ。ドゥ子は必死に足を動かすが、内燃機関には敵わない。
バイクが片手に鉄パイプを持ち、急加速して追い抜きをかけてくる。
焦るドゥ子。だがリサは落ち着き払ってランドセルを開けた。中から取り出す医療メス3本。
追い抜きざまの一撃を大鉈で難なく払いのけ、左手のメスを投げつける。研ぎ澄まされたその刃先が、針の穴を通す正確さで敵の頸動脈に突き刺さる。横転、火花を散らすバイクを踏み越え、今度はトラックが迫ってくる。
と、リサは跳んだ。
驚くべき跳躍力でトラックの荷台に着地するや、鉈を振り回しひとり殺害。もうひとりの凶器と鉈が噛み合い、僅かに動きが止まった一瞬を狙って左手の一撃。いつの間に取り出していたのか、刺身包丁が肋骨の隙間から心臓を貫く。物のついでに残る運転手を窓から出刃で突き殺し、再びジャンプして自転車に戻ってくる。
制御を失った軽トラが、横滑りしながらガードレールに激突して止まる。凄まじい轟音と、吹き上がる黒煙。その有様を後ろに見ながら、ふたりの自転車は矢のように坂を下っていく。
「あのさあ」
「何か?」
「ご近所迷惑」
ドゥ子が苦言を呈すると、リサは後ろを振り返り、目をぱちくりとさせる。口元を覆い隠していたマフラーを降ろし、少々口など尖らせながら、
「ごめんなさい」
しばらくは必死に漕ぎまくり、可能な限り距離を稼いだ。リサが殺した分身はほんの20人ばかり。少なくともあと120人以上が残っているし、“殺した程度では死なない”のが本当だとすれば、また145人全員で襲ってくる可能性すらある。いかにリサが強かろうと、逃げるよりほかなかったのだ。
「殺人鬼組合かあ。ほんとにあったんだ」
漕ぎながら、ドゥ子が呑気に感心するものだから、荷台のリサはため息をつくしかない。
「知らないんですか。殺人鬼のくせに」
「いやァー。わたしはさァー。独学っつーかフリーランスっつーかァー」
「今更かっこつけなくていいです。殺人鬼組合は殺人鬼の組合。殺人鬼の人権を守ります。そのために凶行を予防するのが仕事です」
「勉強になるわー」
「真面目に聞いてください」
ぴしゃりと叱られて、ドゥ子は思わず吹き出した。頭の悪い自分。賢くてかわいい声色。後ろから回された腕の感触。背中に預けられた小さな重み。何もかもが、あの頃と同じ。胸の躍るような優しい気持ちまで蘇ってくるかのようだ。
「あのね」
「はい」
「ほんとはずっと、会いたかったんだ。リサ」
「私はあなたなんか知りません」
言葉に詰まった。
「私はあなたの知る私ではありません。だいいち、あなたが記憶を消したんじゃないですか」
ぞっと胸がざわつき、後ろを振り返れば、リサは遠くを見つめている。遥か彼方、ドゥ子の知らないどこかを。丸く冷たい彼女の目には、5年分の黒が積もっている。胸を締め付けるのは寂しさか。それとも、過去の身勝手に対する後悔か。やむなく、ドゥ子はドゥ子の前を向く。それがどこかは、分からなかったが。
「じゃあ……なんでわたしを知ってるの。能力のこととか。この町のことも」
「日記を読みました。あなたから聞いたことは全て書いてありました。かつての私は、ずいぶんあなたが好きだったようです。でも、私の知ったことではありません」
「……そっか。そうだよね」
「組合の所属殺人鬼として、私はあなたを殺します。そのために来た。それだけです」
「わたし、殺されるんだ」
穏やかにそう言って、そんなことを言った自分に驚いた。ドゥ子の中にあった漠たる死への恐れ。靄のようだったそれが渦巻き、集まり、凝結してみれば、意外やそれは取るに足らないちっぽけな結晶に過ぎなかったのだ。辺りから差し込むいくつもの光を照り返し、断面ごとに異なる色に煌めく多面体。
――いいかもね。それもいい。きみが殺してくれるなら。
思いながら再び振り返れば、リサと視線が絡み合う。
「いいよ。殺して」
「いいんですか」
「もういいや。なんかもう、疲れちゃった」
「自殺志願の次は自暴自棄ですか。情けないですね」
むかっ腹が立った。
「悪い?」
「見た目は最悪です」
「他人の目がなんだっていうの!?」
思わずドゥ子は急ブレーキをかけ、地面めがけて怒鳴り散らした。
「そうだよ。やけっぱちだよ! いいじゃないの! あれから何年経ったと思う? 毎日毎日、来る日も来る日もお腹空かして足痛くして殺して殺して殺しまくって! その挙句がこれよ! 殺したやつらはなんか生き返るし友達なんかひとりもいないしおちおち寝てもいられない! そうだよね。自業自得だね。わたしのしたことははじめっから間違いだったってだけじゃない、なにもかにも全部まとめてとんでもなく途方もなく救いようもなくどうしようもなくいかれた能無しの虫けらみたいに無駄だったんだ!」
後ろを見て言えなかったのは、分かっていたからだ。それがたわごとに過ぎないと。
単なる泣き言に過ぎないと。
でも、泣き言を言うことさえ、ドゥ子にとっては5年ぶりのことだったのだ。
「殺人鬼を殺す方法がひとつだけあります」
弾かれたようにドゥ子は振り返った。
「どうすればいい」
「殺人鬼はみな秘密を持っています。秘密は私たちの力の源。それを見つめて解き明かした時、殺人鬼の命は絶える」
「秘密? わたしそんなの……」
「ご心配なく。あなたは私が殺します」
彼女の手に、少しだけ力が籠ったように感じたのは、気のせいだったのか。
「行きましょう。
始まりの処、あなたにふさわしい死に場所へ」
(つづく)
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