02.ふたりぐらし



 思えば、わたしとリサは似た者同士だったのかもしれない。ひとつところに留まることを良しとせず――これは格好つけすぎだね。留まることを面倒がって、旅空の下へ逃げ込んだ。絶えることなく流れ続ければ、心が淀むこともない。転がる石に苔は生さない。良くも悪くも。

 そんなだから、キャラクターは全然違うはずなのに、わたしとリサは妙に馬が合った。自転車の荷台にわずかな荷物を括り付け、さらにそのうえにリサは座った。細い手で後ろからしがみつかれるのは、悪い気分ではなかった。ふざけて坂道で自転車跳ね上げて、ふたりしてきゃあきゃあ言うのも良かったし。

 食べ物の調達と寝床づくりを手分けできるのだって、実際ありがたかった。どこに食べ物があるかとか、どんなひとが親切にしてくれるかとか、わたしが数年の旅人暮らしで身に着けた生きるコツを教えてあげると、リサはいつもじっとわたしの目を見て聞いた。そして次からは、わたし以上にうまくやってのけるのだ。

「ドゥ子さん、すごいですね」

 あるときリサがそう言うので、わたしはきょとんとしてしまった。

「なんでも知ってる」

 わたしは爆笑した。どう考えても、すごいのはわたしじゃなくてリサのほうだった。一回言っただけでなんでも覚えてしまうなんて、並大抵のことじゃない。賢い。それに真剣。ずっと不真面目に生きてきたわたしなんかとは大違い。

 笑われたリサは、たいそう不服そうだったけど。

 毎日いっしょにいるうちに、お互いの懐には踏み込まないという暗黙のルールもできた。わたしが現金収入のために時々こっそりやっていたバイトについて、リサは何も言わなかった。わたしも、リサがサンリオの手帳につけてる日記については、口出しも覗きもしなかった。ここには触れないでほしい、見て見ぬふりをしてほしい、お互いそういう空気をなんとなく察していた。

 一方で、過去のことはけっこう話した。バイトや日記なんかより、ふつうこっちのほうが重たいはずなのに、なぜか抵抗は全くなかった。旅に出る前の生活。悲しいこと。嫌なこと。家族のこと。恋愛のこと。学校のこと。好きなマンガのこと。谷川がどんなにユカイなやつかを分かってもらえなかったのは、返す返すも残念だ。マンガの面白さを口で説明するって難しい。はじめてしたセックスのことも、ちょっぴりは話したかもしれない。真っ赤になって向こうを向いてしまったから、ほんのさわりだけで終わりにしたけど。

 そしてもちろん、そんな旅暮らしの中で、わたしは自分を殺した。何人も殺した。リサと出会ってからだけで7人を片付けた。今までより断然いいペースだった。なんだか人生にやる気が湧いてきたみたいだった。

 夕暮れに険しい顔して出かけるわたしを、リサは、どれほど遅くなろうとも、じっと待っていてくれた。血塗れで戻ったわたしを見ると、リサは決まって顔をほころばせた。ほんの一瞬だけ。ともすれば見過ごしてしまいそうなほど僅かに――でもそれは、間違いなくリサの笑顔だったのだ。

 いつものように公園の水道で血を洗い、服を干す。その間にリサは、集めてきた晩ご飯を広げてくれていて、その中にはぶどうぱんだってある。わたしはおっきなぶどうぱんを半分に千切って、リサと分けた。リサはレーズンが嫌いだったので、いちいちほじくってわたしにくれた。それは少し寂しい気もするけど、まあ、おおむね歓迎だった。

 眠る前には、リサはもちろん、いつものように手帳に何か書きつけていた。わたしのことも、あの中に書いてあるのだろうか。リサはどんな風にわたしを書くのだろうか。そう思うと、あのプリン犬の柄した表紙の奥を、ちょっとだけ、覗いてみたいという気もしてくるのだった。


「おまえは何も解ってないね」

 肋骨をずたずたにしてやったというのに、61番目のわたしは、いやらしい笑みをまだ消さない。

 61番目が苦し紛れに吐き出したたわごとが、胸の奥にちくりと突き立った。とたん、何かたとえようもなく不快な感触が肺の奥から湧いてきて、わたしはレンチを振り上げた。一刻も早くこいつを殺したかった。簡単だ。このまま脳天めがけて振り下ろせばそれでいい。

「あの子のことだよ」

 わたしの手が止まった。

「……なんで知ってる?」

「わたしたちはわたしなんだ。自分だけが特別と思ってた? おまえがわたしたちを感じるように、わたしもわたしたちを感じている。すべてのわたしが。すべてのわたしを」

 思いもよらなかった。分身たちを感じ取る能力は、本体であるわたしだけの特権と思い込んでいた。そういえば、と記憶が蘇る。最初に出会った分身は、お出かけ中のわたしの前に、当たり前のような顔して現れた。あれは、わたしの居場所が分かるってことだったのだ。

 61番目は肺から血を吐いたが、それでもお喋りは止まらなかった。

「かわいくなったんだろ。懐いてくれてると思ってるんだろ。こういう暮らしも悪くないってね。

 本当にそう? あの子はお前を慕ってる? 生きるために利用しているだけじゃない? だいいち、好かれるほどの何をお前がしたというの?

 ――あの子はわたしを、本当はどう思っているのかな?」

 殺す!

 脳漿を頬に浴び、わたしはそのまま凍り付いた。

 振り下ろした凶器の先が、61番目に食い込み、止まる。割れた頭蓋の奥は、暗くて何も見えやしない。脈がおかしい。呼吸のリズムも。足りない。幾度となくわたしを悩ませてきた飢餓感が、またしてもわたしの喉を締め上げた。

 足りない。まるで足りない。

 何が足りないのかってことさえも――


 わたしは演技とかが苦手だ。

 顔に出るタイプってよく言われる。まして相手は勘働きの鋭いリサなのだ。この不安を隠しおおせたとは思えない。何か察していただろう。それが良くないものだということも分かっていただろう。それでもリサは何も問わない。これ以上踏み込まない、その一線は今なお守られていたのだった。

 あるときわたしたちは、下校する小学生の列とすれ違った。小学校の1年生か2年生くらい。今どきの小学生は不自由だ。前後を旗持った近所のおじいさんに挟まれて、あいまいながらも1列並んで、お行儀よく歩かされている。

 わたしは思わず自転車を停めた。登下校。そういえば、頬に当たる風もいつのまにか冷たくなっていた。もう秋なのだ。夏休みは終わり、子供たちはすでに日常に戻っているのだ。わたしはふと後ろを見た。荷台のリサと目が合った。リサは怪訝に眉をひそめて、わたしを見つめている。

 これ、いいんだろうか。

 リサは小学3年生。わたしはそれを連れまわして、旅人なんかをさせている。でも彼女には学校で学ぶ権利と義務があって、すばらしい先生たちに人生とか算数とかいうものを教わる必要があって、時にはイケてる小学生男子との幼稚ながらも甘々しい恋物語だってあるはずだ。それを全部、わたしの勝手で奪ってるんじゃないのか。リサにとって、わたしは略奪者に等しいんじゃないのか。

「なんですか」

 問われて、わたしは慌てて自転車を漕ぎ出した。前を向かなきゃ、っていうのを言い訳に、リサから目をそらして、答えを秋風の中に誤魔化した。

「なんでもないです」

 ないわけなかった。

 なかったが、それを口にする勇気もまた、わたしにはなかった。


 それからしばらく経ってのことだ。わたしはそのとき、坂道の歩道を必死に自転車で上っていた。丘の斜面に作られた県道からは、本来なら街の中心部が一望できたはずだ。だが手入れもなく生い茂った雑木林が視界を塞いでしまって、景色も楽しめない。残るのは痛む足と、冷たい向かい風。そして、自転車に載せた大きな重荷。

 と、突然、後ろでリサが叫んだ。

「ふせてっ」

 警告を理解するより体の動くほうが早かったのだから驚きだ。わたしは咄嗟に、ハンドルにあごを埋めた。その頭上をかすめて、後ろから来た金属棒が髪の数本を持っていく。風の唸りがぞっとわたしの背筋を凍らせる。頭を上げてみれば、わたしたちを追い抜いて行った車の助手席に、鉄材を握った女がひとり。

 わたしの分身だ。

 珍しいことに、向こうからわたしの命を狙ってきたらしい。胸のむかつきがポップコーンみたいに膨らみ弾ける。わたしを殺すのはいい。だが今のは、一歩間違えばリサまで巻き込んでいたじゃないか。

「降りて!」

 わたしに気圧され、リサが降りる。身軽になってわたしは漕いだ。坂をものともせず駆け上り、あの車の後を追う。坂の上にある古臭い道の駅に、車が入っていくのが見える。分身が駐車場で車を降りて、横手の階段を昇っていく。わたしは自転車蹴り捨てて、レンチを片手に追いかける。

 たどり着いた先は展望台だ。ほとんど注目する者もないだろう観光地図の前に、やつは鉄棒ぶら下げて立っていた。

「気づいた?」

 やつが言う。わたしは眉をひそめただけだ。

「そっか。残念」

 それ以上の言葉は、どちらにもなかった。

 いつものように殺し合いが始まった。こいつは強敵だった。いや、強いというより、殺せない。殴っても、殴っても、うまく避けたり受け止めたり、しぶとく耐え凌ぐ。そのぶんあまり攻撃してこないのだが、それがかえってわたしを苛つかせる。まるで決着を引き延ばそうとしているみたいに――

 そう感じた途端、わたしの脳裏に閃くものがあった。

「――気づいた」

 凶器が噛み合い、凍りつく。

「助手席だったもんね。居るはずだよね。もうひとり」

「リサ!」

 わたしは分身を蹴っ飛ばした。身をひるがえして逃げ出した。こんなのと戦ってる場合じゃない。リサが危ない。だが焦りに蝕まれる無防備なわたしの背を、狡猾な分身が見逃すはずもない。

 鋼鉄が来る。



(つづく)

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