殺殺人鬼鬼リサ兵器

外清内ダク

■“自殺旅行のおわり”Side:G

01.わたしたちの“はじめて”



"Lisa:The Serial Serial killer killer"



「こんちわ偽物。殺しに来たよ」

 わたしの挨拶は気さくだけれど、それを聴くものは誰もない。

 更地ばかりが広がる深夜のニュータウンには、家もなく、人もなく、光さえもが遥かに遠い。伸ばした指先すら見えない暗闇の中に、立つのはたったふたりきり。わたしと、やつと。見えなくたって判ってる。やつがどんな顔をしているか。どんな目でわたしを見ているか。腕も、脚も、腰も、胸も、緩んだ首元もにやついた童顔も、嫌というほど味わい、見つめ、向き合い続けてきた。

 わたしと同じ顔した女。

 生き写しだ。吐き気がするほどに。

「本物きどり?」

 と、やつがわたしを嘲笑う。

「笑わせるね」

 殺意が湧いた。

 叫んだ。跳んだ。やつの懐に飛び込んだ。グッデイで買った大型レンチを力任せに振り回す。向こうだって負けちゃいない。棒が咬み合う。鉄火散る。鈍い衝撃がわたしの柔肌を打ちのめし、皮膚が裂け、骨が軋み、呻き、転げ、泥に塗れて、苦し紛れの反撃がやつの頭蓋を捉える。掌が痺れるようなこの感触。大切な何かを粉砕した手応え。耐え難く不愉快でありながら、どこか暗い快感さえも孕んでいて。

 好機だ。

 わたしは喚いた。中身はない。言葉と呼ぶには稚拙すぎる。それは獣の雄叫びだ。何度も、何度も、飽くまで何度も、凶器を脳に叩き込む。

 何かが飛び散り頬を汚した。血か何か。素晴らしく愉快なものが。

 気がつけば、手は体液に塗れてぬるぬると不快。同じくらいに胸も粘つく。やつの死体が泡立つ。溶けて、蒸発して、風に流れる。やつらを殺したときはいつもこうだ。微かな痕跡さえ残さずやつらは完全に消滅する。

 それでわたしの目的は満足されたはずなのに、なぜか心の靄が晴れてくれない。

 荒い息を抑えようと、わたしは大口あけてぱくぱくやった。でも足りない。全然足りない。酸素が、生きるために必要なものが、決定的に足りない。わたしはこんなに飢えているのに、わたしはこんなに渇いているのに、わたしの肺は満杯で、1ccの余地もない。

 仕方なく吐き出した息は、つまらない愚痴になる。聞かせる相手もない愚痴に。

「あと、どれだけ……」

 たまらなくなって、わたしは丘の下を眺め見た。

 あったかそうな色とりどりの光が、街中の、窓という窓から漏れ出していて――そのなかのどれひとつわたしのものではないのだと気づいて、泣いた。

 でも涙だって、どこかで切り上げるしかなかった。




『殺殺人鬼鬼リサ兵器』

“自殺旅行のおわり”Side:G




 ゆうべは情けないところを見せちゃったし、引かれてしまったかもしれないけれど、もう少しお付き合いいただけるなら自己紹介しておこう。わたしはわたし。名前はひみつ。好きなマンガは『今日から俺は!!』、好きなぶどうパンはフジパンのぶどうぱん、職業は旅人。あと、殺人鬼だ。

 正式名称を“重度殺人障がい者”というのだけれど、一般にはあまり知られていない。誰だって「あいつを殺してやりたい」って思うことはあるだろう。とはいえ、ふつうは歯止めが利く。衝動を抑制できない人は稀だし、そのうえ殺人に役立つ特殊能力を持っているやつはもっと稀だ。そういうのが、第1級ないし第2級の重度殺人障がいに認定される。つまり、殺人鬼ってことになる。

 全国で3000人くらいいる殺人鬼。そのなかのひとりがわたし。と、いうわけ。

 ところがわたしは、他の殺人鬼とはちょっとばかり違っていた。わたしの“特殊能力”が、ふつうじゃなかったのだ。

 そのことに気付いた――というより、能力が“発現した”のは、ほんの数年前。高校のツレに告白されて、まあいいかなと思って付き合いだした。“マトリックス”見に行って、映画館でキスをして、3回目のデートでそれなりのことをした。その翌朝のことだった。

 彼のわたしを見る目つきが変わっていた。探るような、期待を孕んだような、そんな目だった。そのときは別段気にも留めなかったのだ。昨日の今日で、もうやりたいのかなって、思っただけだった。若いもんね、と、他人事みたいに。

 しばらくして気づいた。どうも話が噛み合わない。彼はわたしとの、主として卑猥な思い出を語るのだけど、わたしにはそんなことをした覚えがまるでない。すわ浮気、誰かとわたしを間違えとるな、と怒り心頭に発したものの、よくよく問い詰めてみるとやっぱりおかしい。彼は確かにわたしとやったというのだ。わたしが想像したこともない、淫靡で神聖な種々の行為を。

 ふたを開けてみるとタネは簡単。わたしは、ふたりいたのだ。

 ふたりめのわたしは、ある夜、悪びれもせずわたしの前に現れた。

 そして、ビックリして口ぱくぱくさせるばかりのわたしに、こう言った。

「わたしは彼の心に棲むわたし。わたしの力が産んだ、もうひとつのわたし」

 こうも言った。

「わたしは彼のわたしになる。これからは、わたしが本当のわたし」

 冗談じゃない。

 その後いろいろ議論した気がする。議論になってたかどうかは怪しい。何を話したかもよく覚えてない。記憶にあるのは奇妙な情熱と興奮のみ。話しているうちにいつのまにか熱くなり、お互いがどうしようもなく憎くなり、睨み合いが取っ組み合いに、取っ組み合いが殺し合いに発展した。もみくちゃになり、泥まみれになり、傷だらけになり、気がついたときには、もうひとりのわたしは血赤色に事切れて、わたしだけが立っていた。

 自分が殺人鬼だったのだと、わたしはそのとき、初めて知った。

 殺したい相手は“自分自身”。能力は、他人の脳内にある“わたし”のイメージを具現化させ、わたしの“分身”を作ってしまうこと。ひたすらはた迷惑なこれを“能力”なんて前向きに呼んでしまってよいものかどうかは、分からないけれど。

 とまれ、そこからが大変だった。一度発現してしまったわたしの“能力”は、わたしを知る人々の脳内イメージを、無差別に、徹底的に、とめどなく具現化させていったのだ。それで気づいたのだが、わたしにはもうひとつ、分身のことがなんとなく分かるという能力も備わっているようだった。目を閉じると、どっちの方向に距離どのくらい、というのが瞼の裏にチカチカ浮かんでくるのだ。その力によると、産まれ出たわたしの分身たちは、実に総勢144人。日本全国津々浦々、南は鹿児島、北は東北岩手まで、嫌がらせのようにバラバラと点在していた。

 本体たるわたしは感じ取っていた。渦巻く悪意、というか野望、みたいなものを。全ての分身たちが、あわよくばわたしを殺そうと、本当のわたしに取って代わろうと、虎視眈々狙っていることを。困ったもんだね、我ながら。

 こうなりゃやられる前にやるしかない。わたしは、決断した。

 そんなわけで旅に出た。お金はなかったから、自転車で、ひとり、ぶらりとだ。それから数年。来る日も来る日も、旅して、殺して、また旅立って、その繰り返し。やっとのことで50人ばかりを片付けたが、まだまだ旅路の果ては遠い。

 わたしは“自分殺し”の殺人鬼。

 さしずめこれは――ちょっとした“自殺旅行”ってわけだ。


 ひとり、気ままな貧乏旅。これはこれで楽しいもんだ。時に孤独に苛まれることもあるけれど、そんなの一時の気の迷い。一晩ぐっすりと眠って、気持ちのいい朝日に晒されて、朝ごはんのぶどうぱんのぶどうをほじくって前歯にコリコリ遊んでいれば、正体不明の気鬱なんかはどこかに行ってしまう。

 道連れなんか作らなかったし、これからも作るつもりはない。

 でも“つもり”どおりに行かないのが人生ってもの。新しいしがらみは、どうしたってついてくる。

 たとえば――目の前にいるこの子とかだ。

 その子は血溜まりの中から現れた。わたしが殺したわたしの腸(はらわた)から、嬰児の子宮を這い出すが如く、だ。

 53番目のわたしは全くもって許せんやつだった。無差別殺人鬼だったのだ。ひとを攫ってきて、人気のないところに連れ込んで、弄りながら撲殺するのに喜びを感じるようなやつだったのだ。一体誰のどんなイメージからこんな分身が生まれたものやら。

 とにかくわたしは怒りを込めて53番目を片付けたのだが、やつはその日の獲物を既に攫ってきていたのだ。それが、彼女だった。

 9歳? 10歳? そのくらいの女の子。無差別殺人鬼に攫われて、危ういところを別の殺人鬼に救われて、ランドセルとスカートをべっとりと血に染めて、こんな異常事態にも関わらず、その子の目は風ひとつない湖面のように静か。ものも言わず、じっとわたしを値踏みしている。

「えーと」

 うっかりわたしは目をそらしてしまった。それで主導権を奪われたようなものだ。女の子がちっちゃな口を開く。まるで蕾がほころぶみたいに。

「助けてくれてありがとうございます」

「あ、はい」

 マヌケなヒーローもいたもんだ。女の子にも呆れられたかもしれない。ちょっとわたしは焦った。

「血を洗いたいんですけど」

「あ、うん、そだね。公園、あったから、水道、近く。大丈夫、わたし、おふろ、するし、いつも」

「お腹もすいています」

「ぐいぐい来るね」

「えんりょしたほうがいいですか?」

「いや……怖くない? 凶器、凶器」

 愛用の武器を指さしたところで気づいた。わたし、一体なにを自分からアピールしてるのだろうか。どうも平静でいられないらしい。そんなわたしの心中を、この子はすっかり見透かしている。わたしの手の中にあるバールのようなものを一瞥したのみで、興味ないですと言わんばかりに立ち上がる。わたしは慌ててしゃがんだ。ちょっとはヒーローらしいことをするべきだと思ったのだ。

「だいじょうぶ? おんぶ。ほら」

「ひとりで歩けます」

 うんこ座りのまま置いていかれたわたし、ばかみたい。

 濡れた靴をずるぺた引きずりながらも、確かに己ひとりの足で道路まで出たその子は、くるりとわたしを振り返った。

「公園、どっちですか」

「ん、ひだり……」

 運命の出会いにしては、どうにもしまらないやりとりだったが、現実なんてだいたいこんなものかもしれない。

 なんにせよ、これが、わたしと兵器つわのきリサとの“はじめて”だったのだ。


 タオルケットは旅人の必需品だ。地面に敷けば床になるし、上に張れば屋根になる。横に吊るせば壁になり、体に纏えば服になる。水に濡らせば雑巾代わり、物を包めば風呂敷で、寝袋、ミイラごっこもお手の物。折りたたんでくるくる巻けば収納もコンパクト。星空を愛するあなたのお供。一家に一枚、タオルケット。

 公園の水道で服と体を洗い、アスレチック遊具のロープに干してしまえば、わたしたちは裸になる。しょうがないので一枚のタオルケットにふたりでくるまり、身を寄せ合って服の渇きを待つ。会ったばかりの女の子と、こんな距離で肌を擦り合わせるなんて、どこか気味悪い。でもそう思ってるのはわたしだけで、リサは気にも留めていないようだった。少なくとも、そう見えはした。

「あなたも殺人鬼なんですね」

 ぽつり、とリサが呟いた。タオルケットの中では、むきだしの肩が触れ合っているから、その声は肉の振動となって直接わたしに伝わってくる。痺れるような、くすぐったいような、不快なような、心地よいような。

「殺人鬼、知ってるんだ?」

「私もですから」

 わたしは言葉に詰まった。言われてみれば、リサの横顔は研ぎ澄まされたナイフのようだ。

「キミも?」

「はい」

「そうなんだ。何殺し?」

 リサは何も言わない。

「えーと、わたし、“自分殺し”」

「自分殺し?」

「自分を殺すの」

「なんで生きてるんですか」

「自分、いっぱいいるんで……」

「よく分かりません」

「デスヨネー。えーとォー、ユング心理学によるとォー、シャドウとペルソナがァー……」

「無理しなくていいです」

「あ、はい」

「私、兵器つわのき最終リサです」

「うん」

「あなたは」

「あー。わたしの名前は、いっぱいあってな」

「あいにく私、黒猫じゃないので」

「あーっ! 読んでるー? いいよねー、そっか今の子も読むんだぁー。あのラスト泣けるよね、ルドルフがイッパイアッテナって名乗るとこ……」

「それラストじゃないですよ」

「え?」

「こないだ3巻でました」

「ええっ!? まじー!? びっくりー、そりゃー読まないとなー」

「名前言いたくないんですか?」

「うーん……」

 するどくって、お姉さん困っちゃうね。

「じゃあ、ドゥ子。ジョン・ドゥ子」

「殺していいですか?」

「だめ」

「ならいいです」

 いいのか。ようわからん子だ。

 その場の思いつきで、わたしは身元不明死体ジョン・ドゥ子ということになってしまった。咄嗟に考えたわりにはいい名前である。いや、いいかな……うんまあよしとしよう。

 服はまだ乾かず、こんなすっぱだかで眠る気にもなれず、わたしたちはそれからしばらく、星空の下で語り合った。お互いの身の上話。わたしが自分の分身を殺して回っていること。そしてリサが、家出をしてきたということ。

 第1級殺人障がいと診断されて以来、彼女の両親には諍いが絶えなくなったそうだ。直接的にリサのことでケンカしているわけではない。ただ、我が娘が殺人鬼だったという事実が、重く両親の心に圧し掛かっていたのだろう。普段なら笑って流せるようなちょっとした不満でさえ、余裕を失った心には致命的な火種となるのだ……という分析はリサ自身が聞かせてくれたものだ。9歳とは思えないほどに、リサの視線は静かで、冷たい。

 彼女が下した決断もまた、氷のように冷徹だった。この家に自分はいないほうがいい、と。ぽつりもらしたリサの言葉は、嘘でも冗談でもなく、まごうかたなき本音と見えた。

「お互い面倒くさいだけなら、離れたほうがいいです」

 その思い切りのよさも驚きなら、一ヶ月なんやかやで食いつないできた生活力も驚きだ。ついでに言えば運もいい。ふらついているところを、殺人鬼(わたしの分身だ)に目を付けられ、拉致され、ちょうどそのときにたまたまわたしが現れたというのだから、偶然でないにしてはできすぎている。

 感心しきりのわたしに、リサは初めて目を向けてくれた。彼女の薄い肩の重みが、わたしの方に少しだけ傾いた気がした。

「ドゥ子さん」

「なに?」

「ありがとうございました」

「なにが?」

「助けてくれたこと。あと、パン」

「あ、あー。それか、うん、いや、どういたしまして」

「もうひとつお願いしてもいいですか」

「いいよォ。ドゥ子さんになんでも言いなさい」

「私も連れて行ってください」

 わたしは固まった。

 まさか、いきなりこんなことを頼まれるとは思ってもみなかったのだ。

「なんで……」

「私も旅がしたいです」

「いや、だってぇー、わたしィー」

「なんでも言いなさいって言ったじゃないですか」

 やべえこいつ。つええ。完全にハメられた。

 目を逸らしたわたしを、リサは許してくれない。大粒の、黒玉ジェットのような目が、わたしを捕らえて離さない。

 離さない。

 離さない……

 そういうわけで。

 わたしが折れたときには、もう空が白み始めていたし、洗濯物も、なんとか着られる程度には乾いていたのである。



(つづく)

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