昇級
真っ暗な中を漂っている。
ソリオンの意識が徐々にはっきりとしていく。
突然、闇だった中に、視界の様なものが開けた。
『本当にやるのかい。こんな事をして何になるんだい?』
どうやら若い女性が、話しかけて来ているようだ。
その女性は、どこか見覚えがある気がする。
(……始祖の記憶か?)
<特技>を作り、自らの魂と共にばら撒いた者達がいた。その者達を、後世の人たちは始祖と呼ぶ。
『忘れたのか、俺達の目標を。国内最高のハンターになろうって、みんなで誓っただろう』
男が答える。
聞いたことの無い声だ。その声には自信に満ちあふれている。
『そうだけど…。ヒロアイラで1番でも、私は満足だよ』
その心配そうな表情には、やはり見覚えがある。
(ネヘミヤさん?)
どことなくレビ薬工店のネヘミヤに似ている気がする。
『レビ、大丈夫だ。俺は必ず<昇格>してみせる。お前が作ってくれたこの剣があれば、どんな試練も乗り越えられる』
(レビさん!?)
言われてみれば、その若い女性は、確かにレビの面影がある。
特に強い意思が宿った眼光は、今と全く変わっていない。
男は、少し
その剣の黒い刀身からは、ただ在るだけで、存在感が漂ってくるようだ。
『だけど…』
レビと呼ばれた女性は、歯切れ悪く答える。
次の瞬間、男は剣を持っていない方の手で、レビを抱き寄せる。
そして、半ば強引に口づけをする。
『そんなに心配するな。帰ったらマッシモ達と一緒に祝勝会だ』
しかし、レビは何も答えない。
男に手の中から離れたくなさそうに、男の顔を見つめている。
(どういう事だ? レビさんの恋人は始祖だったのか)
景色が褪せていき無色透明になりながら消えていった。
すると、新しい光景が見えてくる。
『やっぱり、止めておきな!』
少しだけ年を重ねたレビが、両手を開いて、誰かを制止している。
レビの後ろには、光る鉱石を咲かせた系統樹が見える。
(系統樹まで付いてきたのか? 数年経っているようだけど)
『レビ、ここまで来て止めるな』
先程の男とは声が全く違う。
(レビさんの恋人じゃない…。始祖の記憶が複数? しかも、またレビさんの知り合い?)
『あの武器の残骸が見えないのかい!?』
レビが奥を指差す。
『ああ、見えるぞ。もちろんだとも。あいつの無念が見える』
『あいつは無念なんか抱えてやしない。全部、承知で挑んだんだよ! そして…』
レビの表情から悲しみが溢れ出る。
『…死んだんだよ。パーティメンバーだった私らが、それを受け止めないでどうするのさ!?』
レビは今にも泣き崩れそうだ。
(レビさんの恋人は分霊で、……亡くなったのか)
あれ程の自信に
だが、嫌でも理解できる。それだけの試練だと。
『レビ。お前こそ理解しろ。犠牲無しでは、辿り着けないものを目指してるんだ、俺たちは』
『そんなの! ……要りやしないよ。仲間を犠牲にしなきゃいけない夢なんか』
『そうか、それならお前は降りろ。俺は、あいつが死んでまで、やり遂げようとした事を投げ出すことはできん』
その決意にも似た言葉を聞いたレビが、急に他の誰かに視線をやる。
『マッシモ! あんたも見てないで止めとくれよ!』
まだ、若く白髪ではないマッシモだ。
バツが悪そうに下を向いている。
『俺は……。行かせてやりたい』
予想外の答えだったのだろう。
レビは驚き、そして敵でも見るかのような目でマッシモを
『バカばっかりだよ! 昇格は1人で格上と戦うんだよ。乗り越えられず、死ぬ人間がほとんどなんだ。……実際に、あいつは死んだじゃないか』
男が冷静に答える。
『分かっている。だが、乗り越える事が出来れば<豪級>だ。そうすれば、もっと強くなれる』
その声は緊張しているように思えた。
『何がダメなのさ! <原級>のままでいいじゃないか』
『<原級>だと行けるところに限りがある。俺は死んだあいつの魂と一緒に、もっと高みへと登る』
『だけど、妹のノエミはどうするのさ!? あの子を孤児にするつもりかい?』
(ノエミ? ペトルッチ薬工店の店主の?ということは、この人がお兄さん)
以前、レビの店へ嫌味を言いに来た老婆の名前がノエミだった。
兄を殺した、とレビを責めていた。
だが、今見ている光景は、むしろ逆だ。
レビがノエミの兄を必死に止めている。
『……ノエミにはできるだけの金を置いてきた。それにノエミはお前と同じ<付術士>だ。お前と違って戦いの才能はないが、商才がある。なんとかなるだろう』
そう言って男は両刃の直剣を握りしめる。
先程の男が持っていた剣ほどではないが、鈍い緋色の刀身を持つこの剣も、名刀と呼んで遜色ない程の存在感を感じる。
『お前の剣、ありがたく使わせてもらう』
男はレビの肩を軽く叩く。
そして、系統樹の下へと向かっていった。
気丈に振る舞う男の手が震えていた事を、ソリオンだけにはわかっていた。
『ちょっと、待ちな!その剣、何かおかしい』
男は振り返りもせず、そのまま進んでいく。
レビが<付与>を施した剣だ。
男は付与を解除でもされ、挑めなくなるとこを懸念していた。
『行ってくる』
そう言って男達の夢が終わる。
魂の記憶に触れていたソリオンの意識が、徐々に薄くなり、眼の前が暗闇となる。
そして、真っ暗な先には少しだけ光を感じる。
すぐに暗闇が
ソリオンは目がゆっくりと開ける。
空を覆う系統樹の光る花びら、そして吊り下がる魔物の実。
右手を何かが、つつく。
首を向けると、ニーが手の近くにいる。
「元気になったんだね。よかった」
ニーの頭を撫でる。
周囲に見回すとイチとサンもいる。
既に再生を終えており、傷も回復しているようだ。
「よかった」
突如、違和感を覚える。
腕をもう一度確認すると、失ったはずの右腕が元通りになっているではないか。
(手が治っている)
無くなった手どころか、以前、負った火傷の跡まで綺麗に無くなっている。
(どういうことだ? 全部、夢だったのか?)
起き上がり、辺りを見回す。
周囲には先程の戦いでの後があった。大量の砂や血の跡が、はっきりと残っていた。
(やっぱり、夢じゃない)
「おめでとう。無事に越えたわね」
ブリースがどこからともなく現れる。
コウモリのような羽をバタつかせている。
「全然、無事じゃない。死ぬ所だったじゃないか!」
「だから、聞いたでしょ。本当に覚悟があるか」
「もっと、ちゃんと教えてよ! 知っていたら色々、準備した」
ブリースが困った顔をする。
「準備って? あなたも従魔も万全だった。それに、賢帝の涙の効果も続いていた。あれ以上、何ができたの?」
「それは……」
確かに言われてみれば、万全と言えば万全だった。ハンター達の急襲により短剣が傷んでいたくらいだ。
だが、一言でいいから文句を言いたい気持ちが強い。
「たとば、相手の従魔の情報とか…」
「滅多にいない<従魔士>の情報が、出回ってるわけないじゃない」
反論できない。
「とりあえず、鑑定器で確認してみたら?」
ソリオンが渋々、ポーチから鑑定器を取り出す。
(よかった。壊れてない)
先程の激しい戦闘でも、傷一つ付いていない。
砂時計に似た鑑定器に触れると、少量の魔力が吸わる。
下に落ちていた4色の砂が上へと昇っていき、赤、青、緑の球を形成する。
しかし、灰色の砂は以前と異なっている。
前は1つだった砂で出来た球が、今は2つ浮いている
(2つ? どういう事だ?)
そして、表面に浮きできてきた文字へと目を移す。
・従導士
<魔物図鑑> <系統使役>
<系統使役(再定義)> <可視化>
・汎用
<病魔耐性> <熱耐性> <毒耐性> <切断耐性> <刺突耐性> <衝撃耐性> <精神遮断> <受流>
<切断> <刺突> <衝撃>
<反射強化> <可視光拡張> <反響定位> <魔力感知>
<悪食> <不眠不休> <循環促進> <再生> <付与>
「<系譜>の名前が変わってる…」
そして、<系統使役(再定義)>、<共有>という新しい<特技>が追加されている。
さらに、以前マッシモが、覚えてならない<特技>と言っていた<再生>も覚えている。
おそらく手が生えたのも、火傷の痕が消えたのもが<再生>のお陰だろう。
(さっきの夢は<再生>の始祖? なぜ2人分見たんだ?)
それを
「ちゃんと<原級>から<豪級>になってるね」
「これが<昇級>?」
「そうよ。かつて、存在した<従導士>の魂の一部を分けてもらったの」
「もしかして、それがさっき戦った人?」
冷徹に見えた男の死際に見た、温かい目が印象的だ。
確実に、己の従魔への愛情が
「うん。世界のために自ら魂を、この地に縛った人たち」
「魂を縛る?」
「普通、死んだ人は
「よくわからないな。あの中に人の魂が入ってるの? なぜ、そんな事をしたんだい?」
「正確には、魔力の流れの中に溶けているから、あの石の中ってわけじゃないけどね。理由は簡単。後世へ可能性を与えるためよ」
「その可能性が<昇級>?」
「そう。普通<系譜>の階級は変えられない、生まれ持ったものだから。だけど、彼らは、自らの魂を分け与えることで、階級を引っ張り上げるのよ」
「だったら何で、あんな殺し合いなんかやるんだい? そのまま与えればいいじゃないか」
ブリースが額に手を当てる。
「はぁ、呆れる。この世に無限に湧き出る
「補充……。まさか、挑戦して失敗した人の魂を使って補充しているのか」
「あくまで魂の一部だから、挑戦者は輪廻から外れるわけじゃないけどね。ソリオン、今あなたの中には多くの人の魂が入ってるの」
ブリースが辺りに散らばる武器の残骸を見る。
「そうか。ねえ、その人達の魂の記憶もあるの?」
「あるとは思う。けど、近い縁を持っていないと、記憶を見ることなんて無いんじゃない?」
「なるほど…」
(さっき見たものは、始祖じゃなくて、レビさんの……)
レビは、おそらくここで大切な人を、2人も失ったのだ。
だからこそ、ソリオンを、何としてでも、この場所に来ないように仕向けていた。
レビの言葉を思い出す。
力を求める者にはあれが宝に見える、と言っていた。確かに、自らの<系譜>の階級を上げる物は、見る人から見れば宝に見えるだろう。
だが、同時に新たな疑問が湧いてくる。
「ブリース。何でこれがスタートラインなの? <昇級>が魔物図鑑を全て埋めることに何か関係あるの?」
「もちろん関係ある。当たり前よ。<従導士>の<系統使役>が無いと、D級の魔物を使役できないじゃない」
「D級には系統発生させられなかったの!?」
「そうよ。<原級>が扱えるのはE級まで。だから言ったでしょ、スタートラインだって」
ブリースが含みのある笑みを浮かべる。
「だからね、ソリオン。あなたは残り7つの分霊を乗り越え、<従魔士>と<操獣士>の両方を<帝級>まで引き上げるの。それが、私とあなたが目指す、ひとまずのゴールよ」
「あんなものを、後7回も!? 無理だよ!」
「それなら、あなたは魔物図鑑をすべて埋めるのを諦めるの?」
「……いや、それだけは…有り得ない」
ソリオンは不安で胸でいっぱいに成る
「あなたが目指していたものは、元々そういうものよ。頑張りなさい」
ソリオンは答えられない。
それは、まるで途中で、死んでも構わないと言われているようだ。
考えがまとまらない。
「……とりあえず、ご飯にしようか。血が足りない」
おそらく、手を再生する為、体内の栄養をかき集めたようで、先程から意識がはっきりしなかった。
クマ姿のイチが鼻先でソリオンをつつく。
「どうしたんだい?」
イチが少し離れた所へ目を向ける。
その先には、地下二階の入り口で襲撃してきたハンター達に頼まれ、乗せていたバックが氷漬けにされている。
バックまで向かい、手に取る。
中から山のように、凍りついた肉塊が出てくる。
おそらく腐敗を防ぐために、イチが冷凍してくれていたのだろう。
「ありがとう」
ソリオンは固く氷ついた肉を取り出し、そのまま食べる。
火を通すと<悪食>が満足してくれない。
酷い味だが、急速に血肉と魔力が行き届いていく感覚が全身を駆け巡る。
「みんなも食べてる?」
従魔達が各々答える。
辺りを見ると、この肉をイチ達が食べたあとがある。
「よし、少し回復したら、街に戻ろう」
ソリオンが新たに凍った肉を
視界の端であっても、はっきりと分かるほどだ。
そして次の瞬間、辺りに何かの雄叫びが響き渡る。
声がした方を見ると、巨大な邪鳥が、付着している粘膜を振り払っている様子が目に入る。
「あれは…確かD級の変異個体」
ブリースが面倒そうに答える。
「闘いの衝撃と魔力の放出で、目が覚めちゃったのね。あなたが寝ている間も、沢山小物達が目覚めてたよ」
「僕はどれくらい気を失ってたんだい?」
「大体2日ほどね」
「2日!?」
ソリオンは家族へ心配をかけてしまったことに、焦りを覚える。
その間も邪鳥は羽化を続けており、羽毛がない羽を広げる。
羽毛の代わりに、羽には沢山の穴が空いており、蜘蛛の巣のように規則性を持った組織が、複雑に絡み合っている。そして、その空いた穴に稲妻が走る。
頭部から胴体までは、黄色がかった硬質の何かで覆われており、トカゲのような長い一本の尾が垂れが去っている。
羽に流れる電気が一層強くなると、そのまま体中に電流を流しながら、飛翔する。
「あんな羽で飛べるのか!?」
まさに雷の化身と呼べるような出で立ちで、雷が走るように不規則に残像を作りながら、高速で飛ぶ邪鳥。
その瞳は、系統樹の下に居るソリオンを
(僕を狙ってる)
だが、周囲を旋回するだけだ。
系統樹の下では、やはり魔物は襲ってこないらしい。
少しの安堵感を覚える。
先程の戦闘で、短剣も
流石に何の武器も持たず、D級の変異個体と戦える気がしない。
「あの鳥が居なくなるまで、休むしかないか」
ソリオンは再び食事を始める。
しばらく食事を進め、新しい魔物達が
だが、しばらく経っても、雷を纏う鳥はいなくならない。
何度か諦めて外へ向かおうとしたのだが、入り口に続くトンネルが崩れていたため、場所がよく分かっていないようだ。
更に、地下1階が崩落して天井に空いている穴も、子どもや痩せた女性が通れるかどうかという大きさだ。
羽を開くと4〜5mはありそうな鳥は当然通ることはできない。
孵って木の下から出た魔物を襲い、腹を満たしている様だ。
そして、常にソリオンの様子を伺い、系統樹の下から出てくるのを待ち構えている。
おそらく、無理に通るのなら、崩落した部分を破壊して通れるのだろう。
邪鳥には一切、焦りが見えない。
(まさか、こんな所に閉じ込められるなんて……)
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