レビとの決別
少しだけ、落ち着いたナタリアを
重い足取りのナタリアに合わせて、ゆっくりと駐屯地から貴族街へ入る途中にある、領主の城の前まで送る。
「あまり気落ちしすぎないでください」
ナタリアは何も言わない。
だが、ロリポリをギュッと抱きしめながら、腫れた目は下を向いたままだ。
ローレルは後ろを唯、ついてきているだけだ。
何か、慰めてほしいとも思うが、それは職務ではないと割り切っているのだろう。
「次はフリペドを捕まえてみると、良いかもしれませんよ」
ナタリアは立ち止まる。
そして、ソリオンと目をあわせず、消え入りそうな声を発する。
「……また…手伝ってくれる?」
「ええ、この街を出て行くまであれば、また時間を作ります」
ナタリアが急に顔を上げる。
「この街から居なくなるの!?」
「ええ、僕には成したい事があります。この街にずっといるわけには行きません。でも、すぐに、というわけではないですよ。色々と整理がありますから」
また泣き出しそうな顔を、ソリオンへと近づける。
「約束よ? 勝手に居なくならないで」
「わかりました、約束です」
ソリオンはナタリアの右腕を掴む。
掴んだ手の指を一本ずつ折りたたみ、拳を作る。
その手に、自分の拳を軽く当てる。
ナタリアはその動作を、不思議そうに見つめる。
「僕はこれで約束をした事は、必ず守ると決めてます」
「……本当に変な人」
ナタリアは少しだけ、笑顔を浮かべる。
「よく言われます」
ソリオンも笑顔で返す。
そして、先程より、少し、ほんの少しだけ軽くなった足取りで、ナタリアは城へと帰っていった。
その様を見送った直後、イチの毛皮の中から、ブリースが出てくる。
「ソリオン、この街での整理もいいけど、魔物の揺り籠の最下層に行くのを忘れていない?」
ソリオンは少し言いにくそうに話をする。
「ブリース、そのことなんだけど。レビさんが止める程だから、慎重に行きたいんだけど、急がなきゃダメ?」
「魔物の揺り籠の最下層には、あなたの目的を達成するために必要なものがある。あなたは、やり遂げたい事があって、この世界に来たんでしょ? そんなにゆっくりしてていいの?」
ブリースの瞳が鋭くソリオンを見る。
ソリオンは目を逸してながら答える。
「色々と、人間は気にすることがあるんだよ」
「ふーん」
ブリースはそれだけ言うと、イチの中へと戻っていった。
そして、街を抜けて、帰宅する。
「ただいま」
母シェーバがソリオンを出迎える。
「あ、おかえりなさい」
シェーバが咄嗟になにかを隠した。
「母さん、どうしたの?」
母の声が上ずる。
「なんでも無い」
(……母さんは嘘が下手すぎるからな)
シェーバが突っ込んだ袋から、ソリオンが狩りの時にいつも着ている、服の袖が出ている。
前回、ダンジョン内で、魔物の群れに襲われた際に大きく損傷したため、修理に出していた。
「服、直ったんだね」
「……そうね」
シェーバの表情は固い。
ソリオンはその服を取り出す。
以前よりプロテクターが増えており、羽織えるフードなどもセットで付いている。
それに、生地もより頑丈な物に変えられているようだ。
もはや別物と言っても良い。
「これは?」
「前、ソリオンが、沢山お金持って帰ってきてくれたでしょ。あれで街の甲匠さんからも良いものを買って、付けたの」
沢山持って帰ってきたお金とは、当然、魔物図鑑の情報料だ
「母さん! あのお金を使っちゃったの!? あれはイースの進学のために使おうって言ったじゃないか!」
シェーバは悲しそうにソリオンの
「母さんも新しくお仕事見つかったから、イースの学費くらい出せる。それより、あなたが心配なの。このままどこかに行ったまま、帰ってこないんじゃないかって……」
「何言ってるんだよ、母さん。帰ってくるに決まってるよ」
「でも…、ソリオンの夢は世界中の魔獣石を集めることなのよね」
「母さん、僕はまだ10歳だよ。それに、ダンジョンの奥にはまだまだ見たこと無い魔物がいるかもしれない。ゆっくり調べるから、当分、居なくはならないよ」
「ねえ、ソリオン。もし、違う夢ができたら、母さん、応援するから。ソリオンが魔物と戦う為に頑張ってきたことは知ってる。でも……やっぱり母さんは…あなたにはもっと違う夢を見てほしい」
「いや……」
ソリオンは否定しかかる。
が、その後の言葉続かない。
(僕は、どうしたいんだ……。 決めたのに。魔物図鑑を全て埋めるって)
困惑するソリオンとシェーバの視線が合う。
すでにソリオンの身長は、母と同じほどになっている。
シェーバはソリオンの手を取る。
「本当に大きくなったのね。昔はこの手も、私の指を掴んでいたのに、もう母さんより大きい」
シェーバはソリオンの手を、懐かしそうに撫でる。
「お願いよ、勝手に居なくならないでね」
ソリオンは鼓動が早くなる。
まさか、1日に2回も同じ言葉を聞くことになると思っていなかった。
だが、なぜか我が子を慈しむその視線を、ソリオンは直視できなかった。
「母さ…」
その時、階段から降りてきたイースが、声を上げる。
「お兄ちゃんもどこかに、いなくなっちゃうの!?」
イースももう分別がつく年齢だ。おぼろげに記憶がある父ダトが、もうこの世に居ないことを分かっている。
「……大丈夫だよ」
ソリオンはイースと目を合わせずに、袋に入った服を手に取る。
「母さん、ありがとう。ご飯は食べてきたから、もう休むよ」
足早に、自分の部屋へと駆け上がっていった。
しばらくベッドの上で、あれこれと考えるが、ずっと空回り続けている。
考えがまとまらないまま、ぼんやりと外を眺めていた。
だが、ソリオンは<不眠不休>のせいで、真夜中を過ぎても、眠ることはない。
(もし、この街をでて、他の魔物を探しに行くとしたら、どこへ行こう)
シイがいるため、川沿いや海沿いになるだろうか。
エキヤ村で散り散りいになった顔見知りを探しならがら、というのも悪くない。
皆、違う方向へ進んだため、幼馴染のカナンやアンネは、今だに音信不通だ。
仮に行き先がわかったところで、その場所に居続ける保障はないが。
実際、ダトの幼馴染で、この街まで運んできてくれたジャンは都会での生活に馴染めず、早々に近くの村へと越して行った。
(それとも…、”あの男”を)
ソリオンの脳裏には、ソリオン一家が乗る多脚車のバッテリーを破壊した、男の顔が張り付いている。
胸中に黒いものが渦巻く。
そんなことを考えながら、外を何時間も眺め続けた。
朝の日が登り始めた頃、ソリオンにも僅かな眠気が湧いてくる。
眠っているのか、起きているのか、不明瞭な状態で、ゆっくりと瞳を閉じる。
−−−−
『こちらの荷物はもう運んじゃっていいですか?』
つなぎを着た引っ越し業者の若者が、このマンションの主へと声をかける。
『……はい。お願いします』
俺は力なく答えた。
この所ずっと頭に霧がかかっているとすら思えるほど気力がない。
若者がダンボールを2つずつ同時に運びはじめる。
あっという間に、積まれたダンボールは運び出され、残ったのは、引越し先の小さな部屋には入らないものばかり。
絵本と昆虫図鑑が詰まった大きなラック、型が古いテレビ、配線だらけのレコーダー、細かな傷が入ったダイニングテーブルと3つの椅子、布が少し剥がれたソファー、マグネットで紙が挟まれた冷蔵庫、シミがついたカーペット、パネルのビニールが剥がれた洗濯機。
そして、息子のお気に入りだった補助輪付きの黄色い自転車だ。
すべて、俺自ら処分をお願いしたものだ。
『では、これも乗せちゃいますね』
言葉に詰まる。
お願いしておきながら、今更やめたいと言い出せない。
いや、やめた所でどうするのだ。誰もいない家なのに。
引越し業者は、声が聞こえなかったと思ったようだ。
次々に運び出しはじめる。
黄色の自転車を、乱暴に扉の空いた洗濯機へと押し込む。
そして、業者たちが2人がかりで運び始めた。
『あっ』
俺は、それを止めようと、少しだけ手を出したが、すぐに引っ込めた。
その自転車の持ち主は、すでにこの世に居ないのだから。
『以上ですね。こちらにサインをお願いします』
引越し業者の責任者と思われる男が、写しが紙がはられた用紙を差し出してくれる。
『はい、ありがとう…ございました…』
俺は力なくサインをする。
転写された用紙を切り取り、手渡された後、業者はトラックへと乗り込むとすぐさま発車していった。
がらんとした部屋に、1人残される。
なんとなく。ただ、なんとなく、同じ場所に居たくなかった。何も無い家を歩き回る。
ふと、床の傷が目に入る。
膝を折り、つい懐かしくなり、その傷を撫でる。
『……なんで、こんな傷くらいで怒ったんだろう』
息子が、ふざけて、車のおもちゃを力いっぱい走らせた時に出来たものだ。
床に続いて、横にある壁を見る。
そこにはコーヒーが垂れたシミがあった。
新婚の時、妻と口論になり、俺がこぼしたものだ。
俺はそれも指で撫でる。
『……ごめん』
あの時は中々、言えなかった一言が、今では素直に出てくる。
それを伝えるべき人は、もう隣にはいないのに。
壁の正面にある備え付けの棚に目をやる。
俺はその棚板を軽く抑え、平行にする。
すると奥に挟まっていた何かが、足元に落ちていく。
写真だった。
小さな息子が酸っぱいパイナップルを食べて、顔を
パイナップルの木があると思っている現代っ子、そんな見出しのネット記事を見た。デジタルだけではなく本物を、そんなありきたりなオチだったような気がする。
そして、俺は仕事の帰りに、息子の為にパイナップルを買って帰った。
いつもの事だと、妻は諦め気味だったことを覚えている。
だが、甘いパイナップルなど見分けられるはずもなく、案の定、とても酸っぱい果実だった。
写真には、先程、運び出されたテーブルに家族が座り、背後には昆虫図鑑が詰まったラックが写っている。
俺は、写真がクシャクシャになるほど、強く握りしめた。
家具1つ無い部屋に、独りうずくまる。
かつて、そこに在った幸せが、自分からは抜け落ちてしまった事実を、ただひたすらに感じていた。
−−−−
はたっと目を覚ます。
空の景色は、先程までとは何も変わっていない。
(嫌な記憶だ……)
最悪の気分だった。
水でも飲もうと思い、リビングへと降りる。
リビングには、花が飾れたダイニングテーブルがあり、イースが昨晩、読んででいたであろう半分絵がついた本が無造作に置かれている。
台所では、母シェーバがすでに朝の支度を始めている。
お湯を沸かす音と昨日の残り物のスープを温めた良い香りが漂う。
とても心地いい。
「おはよう。昨日も行かなかったのね」
「うん、まだ傷が治ってなかったからね。様子を見たんだ」
嘘だ。
すでにほとんど完全に治っているが、なぜか気乗りしなかった。
シェーバの顔が曇る。
「あんまり酷いなら、<癒士>に見てもらったほうが良いんじゃない?」
「大丈夫、今日は治ってるから、今晩は狩りに行くよ」
「そう…。でも、気をつけてね」
「うん。分かっているよ」
その後、起きてきたイースと3人で、いつも、どおり朝ごはんを食べる。
何ということもない日常。
今日はその日常が、いつもより貴重なものに思えた。
そして、レビ薬工店へと向かう。
久しぶりに持ってきた、武器と着替えを倉庫へとしまう。
「おはようございます」
「おはよう」
ネヘミヤが元気よく挨拶をする。
今日はネヘミヤがソリオンの仕事を既に行っている。
横にいたレビが不機嫌そうに声をかけてくる。
「なんだい、まだ街から発っていなかったのかい」
この所、毎日、レビはソリオンの出発をけしかけてくる。
「レビさん。だから、まだこの街でも、やることがあるんですよ」
ソリオンも連日、出ていけと言われているようで、うんざりしていた。
「領主のお嬢ちゃんへの指導とやらは、そんなに大事なのかい」
「いいえ、昨日、テイムは成功しました」
「それじゃ、明日にも発つんだね」
「まだ、エーエンの森でD級の魔物は、一度も会ってませんから」
レビが
「おかしな話だねえ。たしかにD級は滅多にでないが、毎日森に通ってる奴が出会わないなんて、そんな都合のいい話があるのかい」
「それは、僕にはわかりませんよ。だから、今晩、ダンジョンの地下二階へ行ってみます。そこにはいるかも知れません」
レビの目に怒りが宿る。
「あれだけ、行くなって言っても、まだわらないのかい!」
「大丈夫です。ちゃんと魔物が出てきても対処できるように、気をつけていきます」
「そんな話をしてるんじゃないよ! あそこには魔物以外にも厄介な物があるんだよ」
ソリオンも流石に少
「だから、何度も聞いてますが、それはなんですか?」
レビは押し黙る。
ここ何日か続けた問答だ。
先に口を開いたのはソリオンだ。
「教えてくれないと、対策ができないじゃないですか」
「……教えたら、ソリオン、お前さんは、まず間違いなく行くさね。特にお前さんのように、力に飢えている人間には、あれは宝に見えるんだよ。ただの人の命を吸い取るだけのものが」
「意味がわかりません。命を吸い取るものが、宝になんか見える訳ありません」
「そうかい。なら、行くのは止めときな」
(でも、もうあそこしか、残ってないんだ)
魔物図鑑をすべて埋めるために、探索を終えたら、他の土地へ行かなくてはならない。
それを望んでいた。にも関わらず、何処かでそれを望んでいない自分がいる。
昨夜は、望む自分と、望まない自分が、それぞれの主張を堂々巡りで繰り広げていた。
「……いいえ、行きます」
レビの目が見開く。
怒りと悲しみが籠もった震える声で静かに言う。
「行くなら、お前さんはクビだよ」
ネヘミヤが急ぐように間に入ってくる。
「ちょっと!おばあちゃん、何言ってるの!?」
レビは間に入ったネヘミヤを見ずに、ソリオンをジッ見る。
「それでも、行きます」
ソリオンの目は下を見て、レビとは目を合わせない。
行きたいから行くのではない。
この街にいる理由が、自分を納得させる理由が今は必要なのだ。
「……そうかい。お前さんが、そこまで愚かだとは思わなかったよ。それなら、早く私の前から消えとくれ」
「今まで、お世話になりました」
ソリオンは入り口で深く礼をする。
「待ってよ! ソリオン君! おばあちゃんも何とか言ってよ!?」
レビは何も言わず、店の奥へと入っていく。
それを見届け、もう一度、ソリオンは深く礼をする。
従魔達を連れて、レビの店を後にする。
胸にポッカリと大きな空いたような感覚。
(何故だろう。とても苦しい…)
ソリオンは一言も話さないまま、大通りを下り、街の外にでる。
イチにまたがり、一直線にエーエンの森へと向かう。
ほどなく、森の境界へと到着する。
森に入ってからも、ペースは落とさない。
「ブリース、案内して。出来るだけ魔物を避けてほしい」
イチの毛皮から出てきたブリースが、ソリオンの目の前で飛ぶ。
「いいのね? 覚悟は」
「いいよ、まずは見てみない事はない始まらない」
ブリースは何かを言いたげだったが、何も言わない。
木々を縫うように、先へと飛んでゆく。
魔物に会わないまま、しばらく進むと、草原の中に建つ塔が見えてくる。
前回と同じように、大きな口を開けており、まるでソリオンを、待ち構えていたかのようにすら感じる。
「行こう」
ソリオンは2度目のダンジョンへ突入した。
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