英雄エフタ
ソリオンの読み通り、漁が順調に再開されると共に、湖の一件は議論そのものがたち消えた。
その後、評議会や複数のギルドで、何人かが不審死を遂げたことにより、世の関心は移り、湖の話は1週間も経たずに忘れ去られようとしている。
「まったく、誰のせいでこうなってるんだと思ってるんだい」
レビがソリオンを詰問する。
「ここまで大変だとは、思ってなくてですね」
ソリオンが申し訳なさそうに、作った薬を置いていく。
「だいたい、いつ狩人ギルドとの提携なんざ、お願いしたんだい?」
「おばあちゃん、それ何度も言い過ぎ。良かったじゃない、こんなにウチが流行るなんて」
ネヘミヤの言葉に、レビはフンと鼻をならす。
狩人ギルドと提携が決定してから、3日間、ソリオンは<悪食>の食欲を抑える以外には狩りもせず、ひたすら薬を作り続けている。
ブリースが責めるようにソリオンへと迫る。
「ねえ、湖の一件が終わったら、エーエンの森の最奥を目指すんじゃなかったの?」
「今日で終わるから! 目標まで後少しなんだ」
なぜ狩りに行けていないか。それは、狩人ギルドから、今までの比ではない量が、求められるようになったからだ。
更に、有事の際にたいして、在庫の維持も求められており、急ピッチで在庫を揃えようとしている。
「なんだってこの歳になってまで、あくせく働かなきゃいけないんだい」
言葉に反して、レビの表情は明るい。
確かな腕を持ちながら、ずっと世間の隅に追いやられてきた。
だが、今やっと認めれたという充足感に、満たされているようだ。
「安心して、おばあちゃん。新しい求人にも応募が来てるから、すぐに人も増えるよ」
「使えるやつだといいんだがね」
「おばあちゃん、本当に追い返さないでよ!? 第二のソリオン君だったらどうするの?」
「はいはい。だが、こんな異常な子どもが、そうそう居てたまるかい」
レビはめんどくさそうに手を振る。
ソリオンは苦笑いを浮かべて、いつものように賢帝の涙を作るため、隣の部屋へと向かう。
もはや日常の風景となったソリオンの異常行動に、レビもネヘミヤも何も言わない。
あと少しで賢帝の涙を作り終える、という時、店舗側の慌ただしい様子が聞こえてくる。
(誰か来たのかな?)
ソリオンが構わず、仕上げを行っていると、部屋の扉が急に開かれる。
「君が噂のソリオンだね。ふむ、非常に興味深い」
後ろを振り向くと、白髪で髭を蓄えた老人がいる。
その目は上質のオパールのようにキラキラとしており、まるで少年のように光か輝いている。
「はい?」
「ふむ。それは、賢帝の涙だね。実に
「そうですが、あなたはだ…」
目を輝かせる老人はソリオンの言葉を待たずに喋りだす。
「ソリオン、君はそれをどうするんだい?」
「この後、自分で使いますが、あのあな…」
「ふむ。やはり興味深い。それはどれくらい続けているのだね?」
「もう2年以上ですが。あの…」
「実に素晴らしい! 君は自然体で狂っているね!」
(……全く人の話を聞かない人だな)
「エフタ様、混乱してますよ」
老人の後ろに、赤髪の少女がいる。
公爵家の令嬢だ。
「うっ、なんて
少女はすぐにハンカチで口を覆う。
(なんでレビ薬工店に…)
「あ、そんなことより、早く飲まないと」
ソリオンは気色の悪い糸を引く、賢帝の涙を一飲みにする。
その様子を老人は好奇の眼差しで、少女は冷たい眼差しで見つめる。
その後、口で水でゆすいだ所で、レビに呼ばれる。
「ソリオン、分かってると思うが、お客さんだよ」
「僕ですか?」
「お前さんじゃなきゃ、あんな人達、来るわけないさね」
ソリオンはわけも分からず、レビに連れられ、奥の客間に向かう。
テーブルの奥には、3人座っている。
先程の公爵令嬢、少年のような瞳をした老人、そしてショートボブの見たことのない15、6歳ほどの少女だ。
その向かいにネヘミヤが、気まずそうに小さくなりながら、座っている。
レビと共にネヘミヤの横に腰掛ける。
ソリオンが座った途端、真ん中に座った老人が話し始める。
「押しかけて済まないね。最初は家に向かったんだが、午前中はこの店だと言われてね」
ショートボブの少女が、非難の目を向ける。
「だから、私が事前に使いに行くと申し上げたでしょう。国の英雄と公爵家の令嬢が、事前の確認も取らずに押しかけるなどと……」
(国の英雄?)
赤髪の少女は興味なさげに、その話を聞いている。
そして、老人が聞き終わる前に、言葉を被せる。
「分かった分かった。そんなことより紹介が遅れたね。私はエフタ。騎兵団に所属してる。よろしく」
ソリオンを除く者たちが、一斉にエフタに強い眼差しを向ける、
まるで、エフタの自己紹介に対して内心、
「エフタさん、よろしくお願いします。ソリオンと申します」
ソリオンの反応にショートボブの少女が咎めるように見る。
エフタは意に介せず、以前、森で会った赤髪の少女へ紹介を促す。
少女は仕方なさそうに、ソリオンの方を向く。
「ナタリア=クリフォード=ヒロアイラよ。これで会うのは3回目ね」
ナタリアが表情を変えずに話す。
「以前はナタリア卿とは存じ上げず、ご無礼を働きました。申し訳ございません」
「いいわよ、今更」
何でも無いとでも言いたげなナタリアの表情に、ソリオンは苦笑する。
そして、端に座っていたショートボブの少女が、再び口を開く
「クラウド男爵が四女、ローレル=クラウドだ。騎兵団の伍長を任されている。エフタ大将およびナタリア様の護衛を仰せつかっている。くれぐれも粗相の無いようにお願いしたい」
ローレルがソリオンを直視する。
明らかな牽制だ。
ソリオンがそれに答える。
「わか…」
が、エフタがまた被せて話し始める。
「さて、自己紹介はそんな所にして、本題に入ろう」
(……なんか話しづらいな)
ソリオンはため息をつく
「そうですね。今は繁忙期でして、出来れば手短にお願いします」
ショートボブ少女、ローレルの目が釣り上がる。
エフタは気にも止めずに話を続ける。
「ふむ。実は2つの取引がしたい。1つは魔物図鑑の情報を買いたい。もう1つは我が弟子、ナタリアへの指導だ」
ソリオンは想定外の言葉に驚愕する。
”魔物図鑑”という言葉を初めて他人から聞いた。
「魔物図鑑を知っているのですか?」
「ふむ、もちろんだ。<従魔士>の智の結晶だろう。魂の記憶を<
「そうですね。ですが、直接、魔獣石を食べさせたものだけです」
「ふむ。それは当然の条件だろう。何の外部媒体や制約なく、あらゆる知識や経験を魂に込められるなら、それはもはや転生術だ。人が実現できるものではないし、して良いものではない」
ソリオンは思わず、エフタから目をそらしてしまった。
自らの生い立ちに、釘を刺された様に感じたからだ。
「話がずれてしまった。端的にいえば魔物の<
そう言えばマッシモが以前、魔物の<
「魔物の<
「ふむ、<従魔士>を迫害した結果、長い時を掛けて必要な情報まで、欠落してしまったのだろう。実に嘆かわしい。敵の手の内が判る。この重要性の説明は要らんだろう」
「確かにそうですね…」
「ふむ。実によろしい。E級以下だと金貨5枚、D級なら金貨20枚、C級なら100枚払おう。B級以上なら、金は惜しまない」
「そんなにですか!?」
「微々たるものだ。騎兵団の調査団が、年間いくらの予算で動いていると思っているのだ?」
「いや、それは知り…」
また、エフタがかぶせて話しはじめる。
「ふむ。それともう1つの方だが、弟子のナタリアが修行に行き詰まっている。<
ナタリアは
「なぜですか? 僕は<従魔士>です。<調教士>のテイム方法を教えられません」
「ふむ。実に真っ当な意見だ。だが、真っ当すぎて本質を外している」
「本質?」
「<調教士>も<従魔士>もテイムするものが違うだけで、元は同じだ」
「同じ? どういうことですか?」
「<調教士>は魔物の個体を使役する。<従魔士>は、個体ではなく種そのもの、つまり"系統"を使役すると聞く。心当たりがあるだろう?」
「……あります。 <従魔士>には系統発生という能力があります」
「ふむ。実によろしい」
「ですが、やはり<調教士>が教えて上げた方がよいのでは? 先の話ではエフタさんも<
その話を横で聞いていたショートボブの少女ローレルが、急に立ち上がる。
「無礼な!」
その顔は怒りに燃えている。
(そんなに変なこと言ったかな?)
そして、エフタの方を振り向く。
「エフタ大将、やはり<従魔士>、<操獣士>などという汚れた<系譜>持ちと話をしようとした事が、間違っているのです」
その姿をエフタが、静かに見返す。
同時にエフタが凄まじい存在感と共に、魔力が吹き上がる。
表情も姿勢も変えず、もちろん武器を手にとったわけでもない。
にもかかわらず、殺気ともでも呼べるような威圧。
(何だ!? この尋常じゃない魔力!)
反射的にソリオンは立ち上がり、身構える。
ナタリアとネヘミヤは体を強張らせている。
そして、レビだけは表情を変えずに見据えている。
「その話は来る時もしたよね? 静かに座っていなさい」
ローレルは震えながら、焦点も合わずにが震えている。
「は…い。申し…わけ…ありま…せん」
エフタはソリオンへ向かってにっこりと笑う。
やはり少年のような目だ。
「ふむ。ソリオン、実にいい反応。本能的で素直だ。そして、レビ殿。流石、ヒロアイラで名を馳せたハンターだ。顔色1つ変えないとは」
黙って聞いていたレビが、初めて口を開く。
「あんまり店の中で物騒なことは、やめてもらいたいんですがね」
ソリオンは構えを解き、エフタを見る。
「レビさんを知ってるんですか」
「いや、私が一方的に知ってるだけで、話すの初めてだ。昔のヒロアイラで最も腕が立つ4人組の狩人パーティがあった。その1人の名前がレビ、という名だった事を覚えていてね」
「昔のことさね。引退して、今はただの薬師さ」
「その割には胆力は健在のようで」
レビはその言葉には反応せずに、目をつむる。
「話を戻そう。なぜ私が直接、教えないか、だね。そもそも私がもう<調教士>として終わっていてね。教えられない」
「終わっている?」
「ふむ。そのままの意味だ。事情があって魔物をテイムをできない。この界隈だとそれなりに有名な話。そして、他の<調教士>達は端的に言えば
ナタリアが反射的に否定の意を込めた目で、エフタを見る。
「そんなことは……」
エフタは構わず話し続ける。
「それに、<
(なるほど。話が見えてきたな)
エフタはキラキラと光る目でソリオンを見つめる。
「そんな時に耳にしたんだ。湖の魔物を
「……話はわかりました。それで失敗しても簡単に切ることができる<従魔士>にお声がかかった、と」
ソリオンは、はっきりと意思を込めてエフタを見る。
「そんな話は到底、お受けできません」
「ふむ。普通そうなるね。でも、それは対価を見た後に決めてもらいたい」
そういうとエフタはコートの内ポケットから、真鍮の枠で立てつけられた砂時計のようなものを、2つ机の上におく。
だが、天井側が尖っている。これではひっくり返せない。
「何ですか?これは?」
「これは<系譜>の鑑定器。しかも、それぞれ<従魔士>と<操獣士>のオリジナル。普通の<
「オリジナル?」
「そう。魔導の時代に作られたもので、国中を周る巡鑑定団が使っているのは、このコピー。もちろん最新の<
(鑑定器、ほしいな)
普段は狩人ギルドで鑑定しているが、正直、手間がかかる。
また、前回の鑑定の儀では、<従魔士>と<操獣士>の<
ソリオンはしばらく考える。
(別に出世したいわけじゃない。失敗しても色々と非難されるかもしれないが、それは元々だしな)
そして、重たい口を開ける。
「わかりました。できることはさせてもらいます」
エフタが嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
「ふむ、実に良い答えだ。早速、<従魔士>と<操獣士>の鑑定を見せてくれないか」
そういうと砂時計の様な鑑定器を2つソリオンの方へと差し出す。
「はい」
その砂時計には、赤、青、緑、灰色の4色の砂が入っている。
真鍮のような枠で頑丈に補強されていることを除けば、何処にでもありそうな砂時計だ。
使い方は分からないが、とりあえず他の鑑定器と同じ様に触れてみる。
わずかに魔力が吸われるような感覚を覚える。
すると、砂時計の砂が、サラサラと重力に逆らって、上へ上へと昇っていく。
くびれた部分を通り過ぎると、昇った砂はそれぞの4色の球体を作りだし、球体はふわふわと上部で浮き始める。
その様子を、皆が興味津々で覗き込んでいる。
そしてレビだけが、沈痛な面持ちに変わる。
砂時計の表面に浮き上がった文字を確認する。
・従魔士
<魔物図鑑> <系統使役>
・汎用
<病魔耐性> <毒耐性> <切断耐性> <衝撃耐性> <精神遮断> <受流>
<切断> <刺突>
<反射強化> <可視光拡張> <反響定位> <魔力感知>
<悪食> <不眠不休> <循環促進> <付与>
(思った以上に少ないな。光る球や系統発生は、<系統使役>という1つの<
もう1つの砂時計にも触れる。
汎用の部分は全く同じだが、<系譜>に連なる<
・操獣士
<魔力同化> <魔力注入>
<魔力同化>は従魔に触れているときの身体能力向上、<魔力注入>は従魔の<
「灰色の球が1つということは、どちらも<原級>だね。それにしても実に、凄まじい<
「ええ、それについては、狩人ギルドでも定期的に見てもらってます」
「ふむ、実によろしい。ともかく、取引が成立してよかった。ヒロアイラの騎兵団の駐屯地は知っているかね?」
「行ったことはありませんが、場所は知ってます」
「では、本日か明日、来たまえ。今ある魔物図鑑の情報をもらおう。また、<調教士>の<
「わかりました。本日の夕方頃、お伺いします」
「ふむ、実によろしい」
そう言い残すと3人は店から出ていった。
ネヘミヤはそれを見送ると、どっと疲れたように、深く椅子へ寄りかかる。
レビは先程から、何かを考え込んでいる。
「疲れたぁ。何、あの気迫、一気に5歳老けた」
「嵐みたいな人たちでしたね」
「何でソリオン君は普通に話してるのよ。騎兵団のトップの1人と公爵令嬢よ!もう1人も貴族のようだったし」
「騎兵団のトップ?」
「英雄エフタをヒロアイラに居ながら知らないの。呆れた」
ネヘミヤがため息をつく
「騎兵団の大将の1人で、この国でめちゃくちゃ偉い人。昔、B級かC級の魔物を従えたことで、この国を何度も救ったの。スランプになって以来、現役を退いてるって話だったのに、何、あの魔力! 私を殺す気!?」
「そんなすごい人だったんですね。今度、魔物の事を教えてもらいに行こう」
「はぁ、相変わらずね」
先程から考え込んでいたレビが、意を決したように、ソリオンへ話しかける。
「お前さん、よかったじゃないかい。次の仕事が見つかって」
「次の仕事?」
「ああ。この店での仕事も、そろそろお終いだってことさね」
ネヘミヤが目を見開き、何かを言いかけた所を、レビが手で制止する。
「レビさん?」
「事情はよくは知らないが、お前さん、魔獣石を集めてるんだろう。毎日毎日、駆けずり回っていることくらい知ってるさね」
「それはそうですが」
「<付術士>には<付術士>の生き方があるのと同じ様に、お前さんにしかできない仕事がある。この店は、それが見つかるまでの
「何を言ってるんですか? 今まで通り、働きながら集めますよ?」
レビはため息をつく。
そしてソリオンを見るその目には、深い深い感情が込められている。
「お前さんは、薬師になりたいのかい? それが人生の目標なら、いくらでもここに居てもらって構わないが、そうじゃないだろう」
ソリオンは返事ができない。
得体のないしれない不安が、胸の中で騒ぎ立てる。
その様子を見たレビが、畳み掛ける。
「魔物は住む場所で全く異なるさね。どうやってヒロアイラにずっと居て集めるつもりだい? ……それに、お前さんには時間が限られているんだ」
「おばあちゃん、時間って?」
「ネヘミヤ、この子の鑑定を見なかったのかい。<精神遮断>なんて習得してたのを。あれは、時間を掛けて徐々に感情を削るものだ。生きる屍になるのが先か、目標を達成するのが先か。そういう競争がもう始まってるんだよ」
心臓の鼓動が、徐々に強くなる。
ソリオンがずっと見ないふりをし続けてきたことを、遂にレビから指摘された。
時間はいつだって有限だ。そんなことは分かっている。
だが、それを無視したくなる程、この空間は居心地が良かった。
”帰るべき家があり”、”暖かい家族が居て”、”成長を感じる仕事をして”、”新しい事を知り”、”認められる”という世界。
前世で失った全てが、ここにあった。
ただ、1つを除いて。
「ソリオン。お前さんが成したい事を忘れるんじゃないよ」
「……少し、考えさせて下さい」
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