賢帝の涙 2
明朝、早くからレビ薬工店へ出勤する。
傍らには3匹の従魔がいる。
「おはようございます」
「おはよう。今日は早いじゃないか」
「いつも同じ時間ですよ」
「ハアァ、あんたは謙虚さってもんがないのかい」
レビはわざとらしく額に手を当てる。
めくれた袖の下から、腕に大きな傷跡が見える。
「レビさん、その傷どうしたんですか?」
「ああ?」
レビは袖をめくり大きな傷跡を見せる。
「あんた、女の傷を、あけすけに聞くなんて良識が足りないね」
「すみません。気になったもので」
「なんてことはない。昔、逆上した客に切られただけだ」
気丈そうな言葉に反して、レビの目には
「そうですか。変な事を聞いて、すみません」
「全くだよ。早く仕事に取り掛かりな。どうせ、今日も午後には魔物を狩りに行っちまうんだろ」
レビが融通をきかせてくれているため、基本的に仕事は早朝から昼過ぎまでだ。
お陰で、昼から夕方にかけて、魔物図鑑を埋めるための時間に当てることができている。
「いえ、今日は狩人ギルドへ行くつもりですから、午後も時間が取れそうです」
「そうかい。……なら、仕事が一通り終わったら、調合をやってみるかい?」
「いいんですか?」
実は薬の調合には、興味があった。
毒のある魔物と対峙する度、薬を買うより、自分で調合できたほうが何かと便利だと前から思っていた。
「どうせ期待なんかしちゃいないんだから、どっちでもいいだがね」
「いえ、ありがとうございます。是非、教えて下さい」
ソリオンは頭を下げた後、店の雑務をテキパキと片付けていく。
昼食の弁当を食べ終わり、作業中のレビへ声を掛ける。
「レビさん。調合を教えて下さい」
「今は手が離せないってのが、見てわかんないのかい。ネヘミヤ、教えてやんな」
「おばあちゃん、私も今、作ってるんだけど」
「置いときゃいい。やっておくさね」
「もう、それなら自分が教えてあげればいいのに。恥ずかしがり屋なんだから」
ネヘミヤは小声で文句を言いながら、ソリオンのもとに来る。
だが、教えるのは満更でもない様子で、道具の使い方から、下準備までを丁寧に教えてくれる。
「さあ、ここからが調合の本番なんだけど、<付与>を習得してないと、すぐに魔力が抜けて効果が無くなちゃうからね。ソリオン君には何か即効性のある薬を作ってもらうわ」
「<付与>、ですか」
「<付与>っていうは、物に魔力を付着、安定させる<
「なるほど。どうすれば覚えられますか?」
「素質があれば、魔力を薬に込めながら製作を繰り替えてれば覚えるだろうけど…。私やおばあちゃんのように<付術士>だったら、間違いなく覚えられるんだけどね」
ネヘミヤは胸を張り、少し自慢げに言う。
「2人とも同じなんですね。<系譜>って家系で受け継がれやすいとかあるんですか?」
「それは無いわね。偶然よ。それに、おばあちゃんは私の祖母の従姉妹だから、血筋的には遠いし」
「え!? てっきり孫だと思ってました」
「まあ、どっちでもいいわ。家族には違いないもの」
そういいながら、ネヘミヤは調合表が記してある本をめくる。
「最初ならやっぱり滋養剤とかな。でも、すぐ飲まないといけないから、ウチだとあんまり売れないのよね」
本とにらめっこしているネヘミヤ見ながら、待っていると、見慣れた言葉が目に入る。
「この賢帝の涙って、あの賢帝ですか?」
「ああ、これね……」
ネヘミヤは少し引きつっている。
「そうよ、あの賢帝よ。賢帝の唯一の汚点ね」
「汚点?」
「そうよ。政策として、賢帝が推進したもので、<
「<
ソリオンは期待に胸が膨らむ。
半ばあきらめていたE級の魔物イラへの系統発生ができるかもしれない。
「いや、これが嘘っぱちでね。実際できたものは、驚異的に不味いだけの弱い毒で、良くて<毒耐性>が習得できるという紛い物」
ネヘミヤは、過去の経験を思い出しているようで、苦い表情を浮かべている。
「そんなに不味いんですか?」
「あれは不味いなんて言葉では表現できないわ。一応、材料が簡単に揃うから、練習として作ったことがあるけど、一週間は気持ち悪さが取れない不味さよ」
「そんなに。でも、それなら何で賢帝の涙なんて名前が付いてるんですか?」
「……賢帝が失敗を認めなかったからよ。あまりに国のお金をつぎ込んでしまったから、失敗を認めるわけにはいかなかったらしいわ。だから、成果を内外に示すために、集められた子どもたちに、弱い毒を無理やり与え続けたの」
「酷いですね…」
ソリオンもメンツというものは理解できる。
巨額の投資をしたのであれば、実際は失敗だったとしても、何らかの成果があったと言い張るしかないことはあるだろう。
「でも、賢帝はやっぱり根はいい人だったみたいね。弱いとはいえ、ただの毒を子どもたちに無理やり与えることに、涙を流したと伝えられてるわ」
「だから賢帝の涙、ですか。でも、あの賢帝が作ったなら、もしかしたら本物という事は?」
「それは無いわね。もしかしたらって試した人も多いけど、さっき言った通り<毒耐性>が関の山。なにより、本人が、晩年あれは間違いだったって言っちゃてるし。『人の為に、人を犠牲にしてはならない。あれはあってはならない薬』だって」
「そうですか。でも、<毒耐性>は魅力です! 練習にもなるし、作り方を教えてください!」
ネヘミヤは明らかに乗り気ではなさそうだ。
「あれ、臭いも本当に酷いのよ」
「なんとかお願いできませんか?」
「ネヘミヤ、いいじゃないか。一回作らせてやったら、
話を横で聞いていたレビが、振り向きもせず口を挟んでくる。
ネヘミヤがため息をつく。
「わかったわ。でも、臭うから工房の隣の部屋で作ってね」
「ありがとうございます!」
ネヘミヤは、材料に使う、ありふれた薬草を揃える。
「本当にこれだけなんですか?」
揃えられた材料は、どれもよく使われるものばかり。毎日、目にすると言っても過言ではない。
「そう。たったこれだけ」
そう言って、ネヘミヤは薬をすりつぶすお椀、
ネヘミヤは既に口を布で覆いっている。
「一応、混ぜる順番と魔力を込めるタイミングとかもあるから、指示通りやってみて」
「はい」
ソリオンはネヘミヤの指示通りに混ぜ、魔力を込めていく。
最初は特に普段の調合と変わりがなかったが、材料をすべて混ぜた所で、凄まじい悪臭を放ち始める。
(臭っ!)
いや、もはや臭いだけではない。目までしみてくる。
ネヘミヤも目が潤んでいる。
「後は、このまま糸を引くくらいトロミがでてくるまで、魔力を込めながら回して! あと、ごめん! 限界!」
早口で伝えると、工房へと急ぎ足で戻っていく。
普段、ソリオンと離れたがらないイチとニーも続けて出ていく。
人とは嗅覚気管の構造がかけ離れたサンのみが残る。
ソリオンも流石に、ここまでとは思っていなかった。
(こんな物体を子どもに飲ませてたのか、賢帝よ…。泣きたいのはこっちだよ)
更に熟成されていくと、ドロドロになり、糸を引き始める。
賢帝の涙をスプーンですくう。
スプーンに気持ち悪い糸が引いている。
顔の近くに寄せると、更に悪臭をひどく感じ、反射的に遠ざけてしまう。
(耐えろソリオン! きっと、この先に魔物図鑑の完成がある!)
目を閉じ、鼻を片腕でつまみながら、口に入れる。
(あ、コイだ)
まず最初に感じたのは、ドブ川に住む
必死に口を抑え、反射的に押し寄せる吐き気を無理やり止める。
次はカメムシとドクダミを、すりつぶしたかの様な独特の臭み、エグみ、苦味がむせ上がってくる。
もはや味覚と嗅覚のメーターを振り切ってしまったようで、何の味がしているのかすら分からない。
ソリオンは吐き戻したい本能を押さえつけ、口ではなく、喉を無理やり動かしながら、飲み込む。
口から胃まで、気持ち悪さで埋め尽くされる。
しばらくの間、咳き込みながら、
咳も出尽くした頃、やっと味覚と嗅覚が戻ってくる。
(気持ち悪い。……確かに不味いという言葉では片付けられない)
吐き気が収まらないため、水を求めて工房へと戻り、水を急いで流し込む。
一息ついたところで、レビが話しかけてくる。
「どうだったね?」
「…今までに経験したことが無いほどの不味さでした」
「そうさね。でも、それが薬ってやつさ。材料はありふれてるものでも作り方を間違えると毒になる、いい例さ」
「ええ」
「だから、薬の作り手は細心の注意を払うんだ。興味だけで作っちゃいないことはわかったろう。皆、通る道さ」
(だから、止めなかったのか)
「はい、いい勉強になりました」
「ひひっ、いつもの威勢がないね。さすがのお前さんも
レビは少し勝ち誇ったようだ。
「ですが、<毒耐性>を習得するまでは、続けます」
「正気かい」
心底あきれた様子で、付き合いきれないとばかりに作業に戻る。
「ソリオン君。まだ挑戦するの?」
ネヘミヤが心配する様に声をかけ来る。
「はい。<
「…そう。無理はしないでね」
「<病魔耐性>のときは数日くらいで習得できたので、それくらいは頑張ってみるつもりです」
レビが作業しながら咳払いする。
「そんなんじゃ無理だよ。生き死にがかかった病気に耐えたのと、弱い毒を取るんじゃ経験が違いすぎる」
「違うものなんですか?」
「前にも言ったろ。<
ソリオンは以前、聞きそびれた事を改めて聞く機会を得た。
「レビさん。そのことなんですが、<付与>はレビさんもネヘミヤさんも使えるんですよね? <病魔耐性>とは別ものなんですか?」
レビは作業を止め、再度ソリオンへ向く。
「お前さん、人は死んだらどうなるか知ってるかい?」
「……いえ、知りません」
ソリオンは自分の過去のことを思いながらも、話には出さない。
「人に限らず、全ての生き物は死んだら、魂が
「それは、ホクシー教の教えですか?」
「いや、観測された事実だよ」
レビの言葉が胸に突き刺さるように感じる。
少なくともソリオンも転生というものを経験している。
「では、すべての生き物には、次の生があるんですね」
「まあ、そうとも言えるが、そのままじゃない」
「どういう意味です?」
レビは腕に手をあてる。
おそらく先程の古傷をさすっているのだろう。
「魂は個じゃないのさ。雨の水滴のようなものだ。死んだ魂は、他の魂と混ざり合って、また新しい魂となる。降った雨が、川や海で他の水と混ざりあい、そして、また雨に戻るように」
「それは本当ですか…」
明らかにソリオンの経験したものではない。
ソリオンとなって変わった部分もあるが、明らかに個として受け継いでいる部分が多い。
(あっちの世界から転生すると、違うことが起こるんだろうか)
「本当じゃなきゃ、何であんたが始祖ミンファしか使えなかったの魔力の使い方を、無意識で使えてるんだい」
「確かに…。その始祖というのは、どういう事なんですか」
「普通の魂が水なら、始祖の魂は小さな氷さね」
「氷?」
「魂に刻まれるほどの強い想いをもった人物が、自ら魔力で魂を固定化して、砕くんだよ。そうする事で、他の魂と完全には混ざりあわず、次の世代の魂に、固定化された魂の欠片ごと受け継がれる」
(魂を固定して砕く、か。ミンファが最期にやってた儀式かな)
「その始祖の記憶が<
「そうさね。まあ、魂に記憶や魔力のあり方まで刻まれる事なんて、常人には起こりゃしない。見方次第じゃ、狂人のなせる技だよ」
(狂人、か。 それにしても、<
ソリオンには疑問がいくつか出てきたが、今、重要ではないと飲み込んだ。
「そして、その記憶は追体験、つまり始祖の経験を繰り返す事で、呼び起こされる事が多い。だから、ちょっと賢帝の涙を飲んだ程度じゃ習得できやしないんだよ」
「わかりました。では、呼び起こすまで、何度も飲みます」
レビは目を大きく見開くと、やれやれと首を振る。
「はぁ、可愛げがないねえ。あんたは、まったく」
「よく言われます」
Eランク以上の魔物図鑑を埋めるために、新しい<
その為に、とんでもなく不味い賢帝の涙でも、<毒耐性>を手に入れるまで、飲む事を決意する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます