両親の過去

 家についても、ソリオンの気持ちは晴れない。

 一言も発さずにご飯を済ませ、傷の処置もせず、ふて寝するように布団に潜る。

 ソリオンが布団に潜ってしばらくすると、シェーバがソリオンの部屋へ入ってくる。


「ねえ、ソリオン。起きてるでしょ? 傷を見せてくれない?」


 ソリオンは口を固く閉じたまま、起き上がり上半身の服を脱ぐ。

 シェーバは体中に着いた傷を悲しそうに見ながら、一つ一つ丁寧に薬を塗っていく。


「何があったのか、ソリオンの口からも聞かせてくれない?」

「……父さんに、殴られた」


 小さく答える。嘘はない。

 だが、ソリオンの閉じた瞼の奥で、目が泳ぐ。


「……そうなの。ソリオンはどう感じたの?」

「悔しかった。僕にはやりたい事があるのに、父さんはそれを邪魔するんだ」

「うん。ソリオンのやりたいことって何?」

「言えない。言っても止められるだけだから」

「私はソリオンがやりたい事があるなら、それを応援してあげたいな。ダトも同じ気持ちよ」

「嘘だ。言ったら絶対に止めるに決まってる」

 

 一通り傷に薬とガーゼをつけると、

 シェーバはソリオンの頭をそっと撫でる。

 

「お休みなさい」


 静かな声で挨拶をしていった。



−−−−−

『運動教室、楽しいか?』

『……うん、楽しいよ』

『そうか。鉄棒ができるようになったら、見せてくれな』

 

 信号が青に変わり、アクセルを踏む。


『うん。がんばる』


 チャイルドシートに乗った息子は下を向いたまま言う。

 俺は運動が苦手だった。大人になれば運動など趣味の一つに過ぎないが、子どもにとって運動能力の高さは、そのままヒエラルキーと言ってもいい。

 自分のような幼少期を過ごしてほしくはなかった。

 だから、遠くとも本格志向をうたう運動教室に入れた。プロの子どもたちも通うような所らしく、取引先の重役の紹介でやっと入れたのだ。


『さあ着いたぞ』

『うん』


 郊外にある薄汚れたビルの一角に車を止める。

 息子の顔は暗い。本格志向だからか親の同伴は認められていない。

 まだ幼いため、親と離れることが不安なのだろう。


『がんばれ。 友達が沢山できればもっと楽しくなる』

『うん』


 息子は足取り重く、教室へ入行っていく。

 すると息子の横をすり抜けるように、教室から黒いジャージ姿の中年男が出てくる。

 運動教室の先生だ。

 たしくあげたジャージの袖からは筋張った筋肉が嫌でも見える。

 説明会のとき、陸上の何かの競技でインターハイの上位に入ったと自信たっぷりに紹介された。


『お父さん。今日も任せて下さいね』

『お願いします。あの子は家で昆虫の図鑑ばかり見てるような子なので、ご迷惑かけてるでしょう』

『いえいえ、とっても元気に楽しんでますよ。任せてください』


 そう言うと、黒ジャージは中に入っていった。


 駐車場を出てから、しばらくした後、息子へ飲み物を渡し忘れていたことを思い出し、運動教室まで戻る。

 受付で直接、教室まで持っていくように言われ、教室まで行く。だが、他の子達が集まっているマットの上にはいないようだ。

 人だかりから目を移すと、教室の端で1人、鉄棒の前で、泣きそうになりながら何度も挑戦している息子の姿を見つけた。


『本当、どんくせぇな』

『それできないの、お前だけだぞ』


 クラスの子達が息子を笑う。


『こらこら、そんな事言うんじゃない。世の中には、何故か当たり前の事ができない奴らも沢山いるんだ』

 

 クラスの子達にドッと笑いが起こる。

 息子は鉄棒の下で、今にも消えてしまいそうなほどに、小さくうずくまる。

 居ても立っても居られず教室の中に入り、息子の所まで行く。


『大丈夫か!?』

『ん? お父さん…』


 黒ジャージが舌打ちをして、近くまで駆けてくる。


『ちょっと、お父さん』


 バツが悪いのか、目も合わそうとしない。


『なんですか、あれは!? なぜちゃんと教えてくれないんですか!?』

『何度も教えたんですがね…』

『クラスの子達と一緒に馬鹿にしてましたよね!?』


 黒ジャージはふくれっ面になる。

 

『…お父さん。うちは未来のアスリートを育成する所ですよ。特別な場所にいるという自覚が無いんじゃないですか? もっとご家庭でも指導してもらわないと』

『特別って…。特別なんかじゃなくていいんです。ただ、この子に成長してもらえれば』

『こういう経験が成長の糧になることもあると思うんです』


 有名な運動教室で、入るためには関係者の紹介が必要だったため、取引先の顔が広い人に頼み込んでまで紹介してもらった。

 良い指導を受けることができれば、人並みにはなるだろうと思っていた。

 だが、それは教室の隅に1人、さげすまれる経験を作っただけだった。


『辞めます』

『いいんすか? もう入れませんよ?』


 紹介してくれた人の顔を潰すかもしれない。仕事にも影響が出るかもしれない。

 だが、全てを分かった上だ。


『こんな所に預けておけません』


 息子の手を引き、受付で退会届を書き殴った後、車へ一緒に戻る。


『お父さんと今から虫でも取りに行くか!』

『ええ!本当!? 行く!』

 

 息子は、今日始めて笑った。


−−−−

 

 久々に『あの子』の夢を見た。

 目を覚ますと、既に日が高く登っている。

 いつもより随分長く寝てしまって居たようだ。

 顔を洗い、居間に行くと、ダトとシェーバ、イースがご飯を食べている。


「おはよう、ソリオン」

「おはよう」


 シェーバが明るく挨拶をするが、ダトは1人黙々とご飯を食べている。

 ソリオンもダトの方を見ずに、ご飯を食べる。

 おかずを半量ほど食べたところで、ダトが無言で立ち上がり、畑仕事へ行く準備を始める。

 ダトはそのまま急ぐように玄関へ向かう。


「ダト。食べ終わったら、ちゃんと馳走様と言って。それと、出かける時は皆んなに挨拶しなきゃ」


 ダトはバツが悪そうに、リビングまで戻ってくる。


「今日も美味しかったよ、シェーバ。行ってる」

「イースも良く食べれたね」


 ダトがソリオンの近くにくる。


「……行ってくる」

「……行ってらっしゃい」


 2人は目も合わせずに、挨拶を済ませる。

 挨拶が終わるとダトは畑へと向かっていった。


 ソリオンもご飯を食べ終わると、いつものように剣術や槍術の訓練を始める。


 しばらく身の入らない惰性だせい的な練習を続ける。

 いつもならばダトやカナンが来る時間になっても誰も来ない。


 ソリオンは気分転換のため、いつもより早く、サニタの所へ向かう事にした。


「母さん、今日はもうサニタさんの所に行ってくるよ」

「あら。まだお弁当作ってないわよ」

「大丈夫。早めに帰ってくるから」


 シェーバに一言断ったのち、ソリオンはいつも通り倉庫は向かうため、丘を下っていく。


(なんだか、とても遠く感じるな)


 カナンと競争しながら向かっていると感じなかったが、久々に1人で歩く道は中々前に進んでいる気がしない。

 本格的な春の到来がもうすぐそこだが、心には冷たい風が吹いているようだ。

 いつもの倍以上の時間をかけて、倉庫までやっと到着する。

 服には汗がほとんど染み込んでおらず、朝来た時さとさほど変わっていない。


「おっ、英雄が来たじゃないないか」

「<調教士>はめったに居ない<系譜>なんだろ」

「さすがダトの息子だな、すげー量の魔物を倒したらしいな」


 倉庫に入ると同時に顔なじみから称賛の声がかけられる。


(そうだ。村を襲った魔物を倒したんだ)


 魔物図鑑を埋めるという元々の目的も達成できた上に、村の人たちにも喜ばれている。


(父さんが間違ってる。褒めてくれても良いはずなのに)


「よう!ソリオン」

「こんにちは、ジャンさん」


 ダトの幼馴染であるジャンがいつも通り話かけてくる。

 

「浮かない顔してるな。大丈夫か?」

「わかりますか。父さんとケンカしちゃって」

「やっぱりな」


 ジャンはふぅと、ため息をついく。


「なあ、ソリオン。ちょっと時間いいか?」

「はい」


 倉庫の事務所が入ってる一角へ案内される。 

 2人とも椅子に座るとジャンは気が重そうに話し始める。


「さて、どこから話したもんかな。どちらにせよ、ダトの野郎には怒られるんだろうがな」


 ジャンは一口、茶をすする。


「なあ、ソリオン。ダトに従兄弟がいた事は聞いてるか?」

「従兄弟? いや、聞いたことがありません。そもそも、父さんと母さんの実家の話は聞いたことないです」

「そうか。 俺やジャン、シェーバは元々この村の人間じゃない。このエキヤ村の隣村で、今は無くなったチーシ村って場所の生まれだ」

「今は無くなったって、どういうことですか?」

「魔物の群れに襲われて、壊滅的な被害を受けてな。この村に移り住んだ。まあ、珍しくもない話だ」

 

 ジャンは少しだけ遠くを見る。その目は、現在ではない時を見ているのだろう。


「もしかして、父さんの従兄弟は、その時に亡くなったんですか?」

「いや、その時、亡くなったのはお前さんの祖父母たちだ。俺もそうだったが皆、家族を失った。だが、ダトとダトの従兄弟リックに助けられて、俺たちは生き延びることができたんだ」

「じゃあ、リックさんもこの村に来たんですね」

「ああ、リックは<槍術士>の系譜を持っててな。それもあって、本人は嫌々だったが魔物と戦うときには頼りにされた。系譜は持ってなかったが腕っぷしが強いダトと2人で皆を守ってくれた。この村に来てからもだ」

「…父さんも魔物と沢山戦ってるんですね。僕には駄目だとしか言わないのに」

「そうだな。この村に来て2年くらい経ったときだったかな。2人はEランクの魔物に出会っちまってな」


 ジャンは少しぬるくなった、茶をすする。


「勝てると思ったんだろうな。挑んじまって、リックは死んじまった。後少しで、シェーバとの結婚式を挙げようって時だったのに」

「父さんと母さんの結婚式ですか?」

「……いや、リックとシェーバの結婚式だった。」

「リックさんと母さんの結婚式!?」

「そうだ。元々シェーバはリックは婚約してた。リックが死んだ時のシェーバは、人が変わったようでな。生き残ったダトへの恨み言は、耳を塞ぎたいくらいだった」

「……母さんが父さんへ恨み言って。ちょっと信じられないです」

「そうだろうな。人の死って言うのは人を変えちまうもんなんだ。特に、自分にとって大切な人であればある程に」


 まだ幼い『あの子』の笑顔が浮かぶ。

 ソリオンの胸が締め付けられる。


「……父さんはどうやって、生き残ったんですか?」

「リックが命がけで弱らせた所に、その辺にある石で叩きまくったらしい。爪が割れ、指の骨が飛び出ても殴り続け、魔物が死んだ後に周りの奴らが止めたと聞いている」

「石でE級を」

「信じられないだろ。その時からか、畏怖を込めて、あいつを石打のダトって呼ぶやつは多い。リックが死んで、シェーバと結婚するまでのダトの荒れようは、魔物も逃げ出すほどだったからな」


 ジャンの目が現在に戻ってきて、ソリオンをまっすぐ見る。


「お前さんが生まれてから、ダトもシェーバも毎日が嬉しくて仕方ないって顔してるから想像つかんだろう? だから、お前さんが<系譜>を持って生まれて、魔物と命がけで戦うなんて、想像もしたくないんだろう」


 ソリオンはジャンから目を逸してしまう。


(…でも、僕にはやらなくちゃいけないがある。ただの子どもじゃないんだ)


「お前さんは、まだ子どもなんだ。できないことがあったら、親を頼ればいいんだ」


 ジャンは話すべきことを話したと言わんばかりに、席を立ち、部屋を出ていった。


(頼るって、無理に決まってるじゃないか……)


 ソリオンはトボトボと倉庫を出る。

 先程、聞いた話が胸の奥に支えている。

 せっかく村の市場まで降りてきたが、とても勉強する気にはなれず、重い足取りで家がある丘を上っていく。

 もうすぐに家まで着くというときに、イヤーカフス型の魔道具からアナウンスが流れてくる。


『鑑定の儀を執り行うため、明日、巡鑑定団が来訪されることとなりました。旅程の急な変更のため、予定を繰り上げての開催となります。満7歳になる子息、息女をもつ、ご家庭は明日、必ず役所前まで来てください」

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