イスカリオテは緊張感なく、市場で買い物でもしているかのような気の抜けた佇まいだ。


「イスカリオテ司祭…、驚かさないでください」


 どうやら騎兵団メンバーとイスカリオテは顔見知りの様だ。

 司祭といえばこの小さな村では有力者だろう。有名なのかも知れない。


「すみませんね〜。ソリオン君へ教会からお願いしてたことがあるんですよ〜」

「こんな子供を魔物がいる森へ行かせる、お願いとはなんですか?」


 大剣の男は剣呑けんのんとした雰囲気で尋ねる。


「それはね〜…言えない」


 ヘラついた顔は変わらないまま、目に強い拒絶の意志が込められる。

 イスカリオテの整った容姿が、その冷たさをより際立たせる。


 二人は少しの間、睨みあう。

 暫しして、大剣の男が折れたようにため息をつく。


「いいでしょう。ただし、このことは騎兵団へ報告させてもらいます。行くぞ!!」

「はい」

「…わかりました」


 3人は森の中へ消えていく。

 その様子を見たソリオンが一気に肩の力が抜けていく。


「ふぅ。イスカリオテ司祭、助かりました」


 ソリオンはお辞儀をする。


「気にしなくていんだよ〜」

「また何かの形でお礼します。それでは、こちらで失礼します」


 その場からそそくさと離れようとする。


「一応こんな森だし、家の近くまで送っていくよ〜。もちろん、ご両親には何も言わないよ〜」


 ソリオンは思案する。

 イチとニーは身を潜めながらソリオンたちを伺っている。


(なんで助けてくれたのか気になるな。探ってみるか)


「はい!それなら助かります!」

「じゃ〜、付いておいで〜」


 イスカリオテは森の外の方へ向かって歩き出す。

 ソリオンも続きながら、しばらく黙々と歩く。

 森を抜けた辺りで、意を決して声をかけてみる。


「イスカリオテ司祭は、北の森で何をしてんたんです?」

「イスカリオテでいいよ〜。司祭らしことはしてないしね〜」

「はい、ではイスカリオテさんと呼びますね」

「探し物をしてたんだ〜。この森に探し物が確かめてたんだねよね〜」


 口は軽いが、核心に触れようとしない。

 口元と違い少しも笑っていない目から秘する覚悟が伝わってくる。


「そうですか。 それで、なんで僕を助けてくれたんですか?」

「この村で数少ない顔見知りの子が困っていたからね〜」

「イスカリオテさんは、この村の人ではないのですか?」

「そうだよ〜、やることがあって1ヶ月前くらいに来たんだ〜」

「やること、ですか?」


 イスカリオテは不思議な笑みを浮かべながら、ソリオンの顔を見る。

 まるで何かを試しているようだ。


「僕が司祭をやってるホクシー教の教義は、いろいろあるんだよね〜。その中で一番大事なことが、神の意志をあるがままに受け入れることをなんだよね〜」

「あるがままに受け入れる…」

「そう〜。例えば、大きな川を無理やりき止めたらどうなると思う〜?」

「周りが水浸しになりますね」

「そうだね〜。川に住んでいた生き物たちは、棲家を奪われるね〜。水浸しになった所に居た生き物も住めなくなるだろうね。そして、もし雨でも降れば、最悪、水害が起きちゃうね〜」

「そうですね」

「だから、あるべき姿を人が無理やり変えるのはやめましょうってこと〜」

「なるほど」


(子ども向けの説教か)


「それでね〜、この辺りにそのが表れたらしんだよ。僕はそれを探して、止めるために来たんだ〜」

「それを森で探してたんですね」

「正解〜」

「見つかったんですか?」


 イスカリオテの目が鋭く光る。


「うん、見つかったよ」


 満面の笑みを浮かべる。

 ソリオンがどんなものだったのかを聞こうとした瞬間、

 ダトの声が聞こえる。


「おう、ソリオン。司祭様と一緒とは珍しいな」

「父さん!」


 色々話している間に、畑の近くまで来ていたようだ。


「ソリオン君、今日は楽しかったよ〜」


 イスカリオテは父親ダトの姿を確認し、

 本当に何も両親に言わず、去ろうとしている。


「ありがとうございました! またホクシー教の話を聞かせてください」

「機会があればね〜。今日は君に会えてよかったよ〜」


 そういうとイスカリオテが手を差し伸べてきた。

 ソリオンは感謝を込めて握手に応じる。

 しかし、イスカリオテは弱くしか握り返してこない。まるで本心では握手など望んでいないようだ。

 ソリオンが顔を覗き込むと、笑顔ではあるが、どこか寂しそうだ。


(なんだろう? 本当に本心が読めない人だな…)


 イスカリオテは握手を解くと、浅く会釈をして街へ歩いてしまった。

 その様子を父親と見送る。


「お前もホクシー教に興味が出てきたか? 信じるべきものがあるのはいいぞ」


 ダトがニカっと笑う。


「そうだね」


 ソリオンは簡素に答えた。

 本心では宗教に興味などない。

 ダトと二人でたわいもない話をしながら家路につく。



 丘の上の家が見えて、もうすぐというところで、

 ソリオンは急に吐き気を催した。


(うっうう、気持ち悪い…)


「ハハハッ、ソリオン。どうした? 変なもんでも食ったか?」

「う…うん」



 一呼吸する度に、吐き気が寒気に、寒気が悪寒に変わっていく。

 先程まで全く体調は悪くなかったにも関わらず、急にひどい風邪にでも罹ったような感覚へ陥っていく。


「大丈夫か? ソリオン、顔が真っ青だぞ。家まで歩けるか?」


「うぅ…」


 もはや、言葉も出てこないほど、体が倦怠感に支配しており、脳髄から心臓に掛けて氷水でも流されたかのような気持ち悪さが駆け巡る。


 ドタッ

 次第に、立っていることもできなくなり、地面にうずくまる。

 近くで、急速に薄れていく意識と比例して、ダトの声が緊張感を帯びていく。


「ソリオン! ソリオン!! どうした?!」


 ダトがソリオンの肩を揺さぶる。


 反応しようとするが、声にならず唇を僅かに動かすだけしかできない。

 朦朧もうろうとする頭でもはっきり伝わる程、激しい頭痛が襲う。

 意識を保とうすればするほど、悪寒、倦怠感、吐き気、頭痛がより一層、更にひどくなるように感じる。


 遂に、ソリオンは抵抗のしようもなく、意識を失った。






 ---

 酷い倦怠感と頭痛の中、目を覚ます。

 どうやら家のベッドで横になっているようだ。


「ソリオン!気がついたの?! お母さんがわかる?」

「う、うん…」

 声を絞り出し返事をする。


 前世も含めて、今までに感じた事がないほどの倦怠感が体を縛り付ける。

 頭や体の節々が針金で締め付けられているような痛みが全身を覆う。


(苦しい…)


 窓の様子から、もう真夜中の様だ。

 まだ、依然体調はすこぶる悪い。


 右手の指に違和感を覚え、ベッドの横に目をやると、見慣れない女性がいることに気が付く。

 年の頃は30代半ばというところだろうか。

 ソリオンの指に筒のようなもの押し当て、驚愕の表情を浮かべながら、覗き込んでいる。


「なんでこんな病気に罹ってるの…」

「どうしたんだ、サニタ! 息子に何があったんだ?」

「どうこうもない。ありえない病気に罹っているの! モーバス真菌症というこの辺りでは感染かかるはずのない感染症よ」

「そのモーなんとかってのは、まずい病気なのか?!」

「とりあえず、皆んな部屋の外に出て」

「でも…」

「これは<癒士>としての判断よ。妹にも感染ってもいいならここに居なさい」


 狼狽うろたえながら、部屋を出たがらないシェーバを見てサニタは冷たく言い放つ。


「シェーバ、今はサニタの言う通りにしよう」


 ダトはシェーバの肩を抱きながら、部屋の外へ誘導する。

 部屋を出ていく2人を見送った後、サニタはソリオンを見る。

 それは多少の憐れみを含んだ、諦めに近い視線だ。


「お気の毒ね」


 酷く冷静に小さな声で、一言だけ投げかけた後、椅子から立ち上がり、

 ドアから出ていく。


 パタン

 丁寧に締められた扉は、嫌に遠く感じる。


(気の毒ってなんだよ…)


 3人が出て行った後、すぐにドア越しに、居間から声が聞こえてくる。


「あの子には〈免疫活性〉は施しておいたけど、正直、焼け石に水ね」

「どういうこと?ソリオンは治るの?」

「あまり期待はしない方がいいわ」

「おい!それはどういう意味だ!?」

「事実を言ってるだけ。モーバス真菌症っていうのは、もっと寒い地域で稀に発生する感染症で、致死率が極めて高い病気よ」

「そりゃ…、本当か?!」

「大人でも発症後1〜2日で昏睡状態になって、そのまま…といことが大半なの。丸2日も寝込んで、まだ幼いあの子の意識が戻ったこと自体、奇跡みたいなものなのよ」

「クソッ」


 ドカッ

 ダトが壁に強く手を打つけたようだ。


 妹イースの泣き声が聞こえてくる。

 両親の不穏な雰囲気を感じ取ったのかもしれない。


(2日も意識を失ってたのか…。 まだ魔物図鑑を全然埋められてないのに、病気で終わるとは…)


 自嘲気味にため息をつく。

 絶え間なく続く苦しみと、ことにより、何かが急速にしぼんんでいく。


「だけど、人から人への感染力は弱いことが救いね。 距離をおいて注意していれば大丈夫よ。手洗いと消毒を念入りにね。念の為、あなたたちにも<癒術>を掛けておくわ」


 すると、ドアの向こうにいるサニタと呼ばれる女性の魔力が大きく波うったように感じる。

 3度それが繰り返されるのがわかる。


(お母さんたちに〈免疫活性〉っていうのを掛けたのかな…)


 高熱であまり回らない頭でもはっきりわかるほど、魔力の奔流ほんりゅうを感じる。


開拓使かいたくしのあなたの言うことだから、本当なのかもしれないけれど、間違いということはないの?」


 シェーバのわらにもすがる様な声が聞こえている


「まず無いわ。私も<癒士ゆし>として学を修めた身よ。高熱・腹部の特徴的な湿疹・血中にできた結晶など、すべての症状がモーバス真菌症と合致している。それに過去、モーバス真菌症の患者を診たことがあるの」

「どうにかできないのか?!」

「特効薬もないからできるはことは無いわ。お気の毒だけど、大人でも予後が悪い病気だから、体もまだできてないあの子のことは覚悟しておいた方がいいわ。もっと高位の<癒士>に診てもらうか、病に対する耐性<特技>でも習得していれば可能性はあるのだけど」

「そんな…」


 ガタッ

 シェーバの膝が崩れる音がする。

「あの子はまだ4歳なのよ…」

 そう言った後、シェーバのすすりり泣く音が聞こえてくる。


(ごめん…。お父さん、お母さん。はそんなに何も感じなかったんだけどな)


 2回目だからだろうか。どこかで死を受けれている自分がいる。


「…ねえ、ダト。こんな時に聞くのは酷だけど、あなたやあなたの家族で恨みを買った覚えはない?」

「どういう意味だ。意図がわからん」

「モーバス真菌症は、寒い地域にしか居ない魔物から感染するの。感染経路がわからない病魔は<呪術士>の仕業かもしれないわ」

「…そんな恨みを買った覚えはない。なぜそれを聞く?」


 ダトの声は冷静だが、少し怒気が混ざっている。


「そう。なら誰かが北の魔物を連れ込んだのかもしれないわね。悪いけど、これは大事なことよ。もし危険な病原菌を保持した魔物が村を彷徨うろついてるなら、すぐに対処する必要があるわ」

「…そうだな」

「わかってくれたみたいね。 私は念のため自衛団へ行くわ。それではお大事に」

 形式的な挨拶をして、サニタは家を出ていく。


 サニタが帰り、家の中は暗く静まり返った。

 しばらくすると、シェーバが赤く腫らした目で、無理に笑顔を作りながら、持って来てくれた。


「ソリオン、調子はどう? ご飯食べれる?」

「う…ん」


 上半身を起こそうとするが、起き上がる途中で激しい頭痛が起き、倒れるように横に戻る。


「ご…めん」

「謝らなくていいのよ。体調が悪い時は寝ているのが一番よ」


 そういうとシェーバは枕元に座り、ソリオンの頭を優しく撫でる。


(母さんに頭を撫でてもらうと、少し楽になったように感じる)


 まだ、赤ん坊だった時にもよく撫でてもらったことを思い出す。


(まだあの時は状況が飲み込めてなくて、必死だったな)


 生まれた間もない時を思い出す。

 魔力を練り、毎日魔物図鑑を眺め、情報収集に余念がなかった。

 すべては一つの目標のためだった。


 一日だって忘れたことはない。

 魔物図鑑を完成させる、只々それを切望していていた。

 ソリオンの真っ青な顔に、僅ばかりの力が宿る。


(気弱になるな。まだ始まったばかりだ。魔物図鑑をすべて埋めるまでは死ねない)


 ソリオンが静かに決意を新たにしていると、シェーバは額にキスをする。

「おやすみなさい。お母さんは今日は隣の居間で寝てるから、しんどくなったら声をかけてね」

「おや…すみな…さい」

 声を振り絞り返事をする。


 シェーバが部屋を出て行った後、この状況を脱する方法を考えるが、体に鉛を流し込まれたような倦怠感が襲い、ズキズキ痛む頭や全身の関節が思考を妨げる。


(ともかく気を強く持たなきゃ。飲まれた終わりだ)


 ソリオンが精神力で踏みとどまろうとしていると、窓の外に影がチラつく。


 カリッカッカリッ

 窓を器用に押し開け、イチとニーが入ってくる。

 夜も更けて、家族の気配が消えたから入って来たのだろう。


 イチは鼻をヒクヒクさせながら、ベッドへ飛び登り、足に寄りかかってくる。

 獣特有の暖かさを感じると少しだけ力が湧いてくる。

 ニーは枕の横でソリオンをかばうように羽を休める。


(ありがとな)


 イチとニーに感謝すると、無理に掴んでいた意識を手放す。




 ---

 翌日も翌々日も状況は改善しなかった。

 むしろ悪くなっていると思える状況だ。


 少しは動くことができた体は、寝返りを打つ事すら難しくなるほど体を蝕んていく。

 四六時中、脳へ叩きつけられる痛みや苦しみの密度はより濃いものとなっていき、

 それが死の陰をチラつかせているように感じらる。


 だが、そんな状況でもソリオンは諦めはしなかった。

 まだ生きる、という意思を持ちながら、耐え忍んでいた。


 日に何度も、無理に明るく振る舞ってくれる両親がやってくるが、

 両親がいない間は、片時も離れないようにイチとニーが寄り添ってくれた。


 蝕まれ続ける体を精神力で持ち堪えようとするソリオン。


 意識が有るのか、意識が無いのか、

 境界が不明瞭な中を漂っている中、

 ただ流されるだけだった意識が、対岸へ辿り着くかのように徐々にめていく。


 すると、見慣れぬ光景が


 家中で泣いている娘を母がなだめている。

 風景が見える。


(夢…か)


 寝ても覚めても続いていた倦怠感や痛みを全く感じない。

 夢と呼ぶには妙に現実感のあるものを感じる。


『ミンファ、苦しいのなら辞めてもいいのよ』


 母親と思われる女性が、まだ幼さの残る歳の頃10代前半の少女に優しく語りかけている。

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