第一章 幼年期 −父と息子−
生誕
真っ暗な静寂に、意識が溶けている。
自分が人であったことも忘れ、もっと原始的な生命として太古の海を
時間の感覚は不確かで、意識があったり、なかったりする中で、海の中から意識が溜まっていき、自我が日に日に大きくなっていく。
(ここはどこだ?)
もともと重体で、全身が動いていなかった身からすると、大きな変化は無いが、前と違い、痛みがない。
(とても心が休まる)
体が何かに繋がれており、包まれるような感覚。
(わけがわからない)
「契約は成った」という中性的な声と共に訪れたこの状況。
自分自身に何かが起こったことは明らかだ。
(あれは誰だ? そもそも魔物図鑑を埋めるとはどういう意味なんだ? )
少し苛立つ。
何かを蹴ったような感覚がした。
(あ、足が動く)
久しぶり自らの体が動いたことに驚いていると、外からトントンという何かを叩くような音が聞こえた。
(誰か周りにいるのかもしれない)
自分の身の上に起きたことに整理がつかないまま、動くのはまずい様に感じた。
じっとしていると、妙に安心感に包まれた空間ということもあり、また意識の海に溶けてしまった。
そんなことを何度か繰り替えていたうちに、時間が過ぎていく。
この世界が何なのか、自分の状況が理解出来なままだった。
(昏睡状態が続いて、夢を見ているのかもしれない。だが、妙にリアルだ)
この状況にある程度慣れてきたころ、意識の海が異様に揺れて締め付けられているように感じる。
(何か締めつけられている。久々の感覚だな)
どんどん締め付けが強くなり、頭が押し潰されそうになる。
(
頭をグッと掴まれたような感覚がした瞬間、強い力で、強引に抜かれたように感じた。
(
目は開けられないが、眩しくて辛いくらいに光が突き刺さる。
同時に肌という肌が、濡れたまま北風で吹き上げられたような、猛烈な刺激に襲われる。
そして、潰された肺が息を求めるように、声が自然とあがる。
「オギャーー!! オギャー!」
「“#$%^()」)&」
周りから全く聞き慣れない言葉が聞こえている。
全ての感覚が脳へ激しく信号を送っており、冷静に考えられない。
しばらくして、温かい布のような包みにこまれて、眠り込んだ。
−−−−
あれからどれくらい時間が立ったのかはわからないが、ふと目が
(お腹減ったな)
お腹が減るという感覚が久々のような気がする。
同時に抗いようの無い感情が脳内に渦まく。
「ウ゛ワ゛ーン!! ギャー!!!」
(ええ!? なんで俺、お腹減っただけで泣いてるんだ?!!)
感情が理性というフィルターを通過せずに、脳から体全体へいきなり指示を出されたようだった。
すると、直ぐ側にいる誰が、眠そうな声で何かを言いながら、口に何かを押し当てる。
無意識に、本能のまま口で吸い、薄味の何かを飲み始める。
自分も子共を育てたことがある身。
一連の流れが、赤ん坊のそれであることは直感的にわかってしまう。
(赤ちゃん…。 これは生まれ変わったのか?)
(苦難、ってこういうことか!?)
ひどく
変わらず母親だと思われる人が自分を温かい笑みの中で、撫でてくれるのがわかる。
それがより一層、自分が何もできない赤子になったという現実を突きつけてくる。
しかし、どんなに状況が飲み込めなかろうが、時間は人の意思とは関係なく過ぎていく。
あのときと同じだ。
−−−−
しばらく経ち、徐々に体が慣れてきた。
まだ目もよく開けられないが、ここが日本ではないことははっきりとわかる。
まず、全く言葉が違う。
おそらく両親であろう2人が話す言葉の意味が全くわからない。
ついでにいえば、口もうまく動かいのでは話すこともできない。
前世?といえばいいのか、わからないが、人並み程度できた英語でも全く聞き取れないことから、英語圏でもなさそうだ。
(これは現実なのか? それとも…)
もしかしたら、これは昏睡状態の自分が見ている夢なのではないかという、不安もあるが、確認のしようがない。
しかし、現実であろうが、夢であろうが、前の世界に戻りたいという気持ちはほとんど湧いて来ない。
前世、特に息子を失ってからの数年間は、ただただ繰り返す苦しみに耐えるだけの数年だった。息子の死を乗り越えられれば、という気持ちも無くはなかったが、それは息子の死を受け入れることに他ならない。
どうしてもそれはできなかった。
自分が辛いときに優しい言葉や叱咤激励をくれた家族や友人に、もう一度会いたいという気持ちも確かにあるが、あの約束への期待の方が大きい。
この状況になる直前か交わされた約束。魔物図鑑を全て埋めれば、息子が生き返るという突拍子もない話。しかも、誰と約束したのかすら分からない。
(もしこれが夢なら、あの約束も夢ということになるな。)
僅かながらであっても、チャンスがあるのであれば
心のどこかで、この状況が現実であることを期待している自分がいる。
だが、
遣る
(あ、これはまずい)
「ンギャァーオンギャーーー!!」
(また泣いてしまった・・・・)
するとすぐに、母親と思われる人が現れ、自分を大切そうに抱きしめて、優しく声をかけてくれる。
「’&$(‘&%#$%#)」
この人は、いつも暖かく自分を抱きしめてくれた。
不安なとき、お腹が空いたとき、常に傍らにいてくれ、優しく撫でてくれる存在が今はどうしようもなく愛(いと)おしいと感じる
ごめんなさい、と心の中で謝りつつ、今は身を委ねようと思う。
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さらに数か月か経ち、寝て起きて、というサイクルを繰り返しながら、昼と夜の時間感覚が徐々に大人だった頃に近づいていく。
この頃になると寝返りができるくらいには自分の体を操ることもでき、目も耳もはっきりしてくる。
「ソリオン」
母親が変わらず優しい声をかけてくる。
ソリオン、おそらくここでの自分の名前だ。
赤毛の母親は、呼びかけた自分を抱き上げて、母乳をくれる。
(少しだけ恥ずかしいけど、さすがに慣れたな)
そこに父親が帰ってきた。
相変わらず何を言っているかはわからないが、父親もこちらにきて母乳を飲む自分を、ゴツゴツした手で撫でながら、笑顔で声をかけてくれる。
(やっぱり、いい親御さんだな)
言葉がわからなくても、両親が自分に一杯の愛情を注いでくれることがよく分かる。
血は繋がっているのだろうが、やはり前世の記憶があるということに、どこか負い目を感じる。
心の中で謝りながらも、前世の記憶について考える。
よくよく考えて見ると、おかしい。
前世は危篤状態であり、死んだことはある程度は理解できる。生まれ変わりというものがあったこともこの際、受け止めよう。
しかし、なぜ記憶があるのか。
(記憶は脳という器官に物理的に蓄積されるはず。魂なんていう超科学なものが実在したとしても、体が失われたなら、記憶がなぜ残っている?)
しばし考えるが、答えはでない。
この世界では全ての生き物は前世を覚えているのかもしれない。はたまた、死ぬ前に 交わした「契約」が関係しているのかもれない。
前世について考えていると、ふと重大な事に気がついた。
(魂が存在して、生まれ変われるのであれば、『あの子』もどこかで生まれ変わったのかもしれない!)
どうしようもなく、嬉しい気持ちになる。
息子が死んだ直後はずっと考えていた。生まれ変わって欲しいと。
また笑顔を見せてほしい。
たとえ姿形が変わっていたとしても。
(次に両親はちゃんと『あの子』を愛してくれているだろうか。虐待とかされてないだろうか)
自分の息子が赤子であったときを思い出す。
よく泣く子で、一人で昼寝も中々しなかったため、乳児の時は妻と
過去を思い出すと、少しだけ何故か、チクッっと胸が痛む。
ある考えが浮かんだが、深く考えないようにソッと蓋をした。
(気持ちを切り替えよう。これが現実か、夢なのかはわからないが、今できることをする)
この数ヶ月間で1つ気がついたことある。
前世では存在なかったなにかが体の中に宿っている。前の世界ではなかったからこそ、違いがはっきりわかるのかもしれない。
体内の奥底から湧き出て、体を包むように目には見えない気体と液体の中間のような物がある。
そして、ある程度自分の意思で動かせるようだ。
何なのかはわからないが、魔法みたいに不思議なものだから、魔力と呼んでいた。
体を上手く使えない状況で、魔力で遊ぶ毎日を過ごしていた。
(体がある程度動くようになったら、早く魔物図鑑というものを探さないとな)
最近は魔物図鑑を求めるようになっていた。
魔物図鑑を埋めるにしても、魔物とは何なのか、埋め方はどうするのか何もわからない。
肝心の魔物図鑑そのものがないことには、ヒントすら得られない。
(魔物図鑑はどこにある? 日本語でしか知らないが、こちらの言葉ではなんと呼ぶんだ?)
全く手がかりがない状態では、何から始めれば良いかすらわからない。
魔力といい、魔物という言葉といい、この世界は物理法則からして違うのかもしれない。
魔物図鑑とはいったい何なのか。
(魔物図鑑。魔物図鑑。魔物図鑑。魔物図鑑。魔物図鑑…)
頭で魔物図鑑のことを強く考えながら、魔力を出したり、
魔力が収束し、少し光ったように思うと、本のようなものが空中に作られていく。
(本が出てきた…)
空中に出てきた本は、褐色で、重厚な革製の表紙で閉じられている。
そして明らかに重そうな本にも関わらず、そのまま宙に浮いている。
魔力は意思で扱えるといっても、水や空気のようなもので、すべて思い通り動くようなものではない。
湯船の湯を触ったりかき混ぜたりはできるが、思いのままに操れないないという感覚に近い。まさか、それがはっきり目に見えて、物質化するなんて思いもよらなかった。
驚きの感情が脳から溢れ出ていく。
(あ、これはまずい……)
「ンギャァーオンギャーーー!!」
また泣いてしまった…。
すると母親は部屋に入ってきて、自分を抱きかかえて、あやし始める。
出てきた本は相変わらず宙に浮いているが、気にもとめていない。
(もしかして、本が見えていないのか?)
母親の乳を飲みながら、少し冷静さを取り戻す。
出てきた経緯を思い出しながら整理してみる。
(たしか魔物図鑑のことを考えながら、魔力を練っていた。もしかして、これが魔物図鑑か?)
今後は黒い本について調査することを心に決めて、母親の腕の中で深い眠りに落ちた。
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