息子を失った父、異世界で魔物図鑑コンプリートを目指す

水底 草原

プロローグ

−−−−夢を見た

 6歳になったばかりの一人息子を連れて、かつて住んでいた家の近くにあるファミレスへハンバーグを食べに行くという夢。


 息子は口の周りにソースをつけながら、エビフライとハンバーガーのセットを、満足そうに食べていた。

 息子は妻に似て、よく笑う子だ。

 『男』は頬張ほおばる息子を笑いながら見ながら聞いた。


「どうだ? うまいか?」


 息子は笑いながら答える。


「うん、ハンバーグ好き」

「そうか、もっと食べな。お父さんも沢山食べるぞ」


 親子の会話は他愛もないものばかりだった。

 残さず食べ終わり、セットに付いていたオレンジジュースを息子が飲み終えるのを見て、『男』は帰る準備をし始める。


 息子はオマケで付いてきた車のおもちゃを手に握りしめながら言う。


「お父さん、また来たい!」

「いい子にしていたらまた来ようか。どうだ? いい子にできるか?」

「うん! できる!」

「この可愛い奴め」


 笑いながら、クシャクシャと息子の頭を撫でる。



「さて、帰るか!」



 そう言って、席を立つ。


 夢が終わる。


 


 夢を細部まで覚えていることに違和感はない。

 何度となく見た夢だ。『男』は何度同じ夢を見たか覚えていない。

 朦朧もうろうとしていた意識が、徐々にはっきりとし始める。


 同時に強い不快感を覚える。


 意識の外に押しやられていたが、全身に痛みが走っていることを認識した。

 痛い、という表現は正確ではないかもしれない。


 痛いという感覚はあるが、それ以上に全身を何かで強く縛られているように感じる。

 無機質な薄く伸ばした鉄の板で、顔ごと何重にも強くグルグル巻きにされているような感覚。


 指先すら動かせず、何も見えず、何も聞こえない。


 夢の続きでも見ているのだろうかと『男』は疑問に思う。

 縛られた感覚の中で、覚醒しているのか、寝ているのかも曖昧なまま、時間が流れる。それが一瞬だったのか、それとも数日だったのかはっきりしないが、自分の周辺に変化があった。

 近くに誰かいるような感覚がする。1人なのか複数人なのかは分らない。


「・こ・・・・・・脳挫傷のうざしょうを起こしており・・・、危・・・・」 

「そ・・・、事故・・・あ・・・・」

「お・・・」


 正確に何を言っているかわからないが、尋常ではない言葉が端々で聞こえる。

 そもそも今聞こえているものが、夢なのか現なのかも、わからない。


 もし本当なら何らかの事故により大怪我を負ったようだ。


 思い出せる限りの記憶を辿たどると、

 昼過ぎに起きてから、顔も洗いもせず、近くのコンビニへ酒を買いに行ったところまでは、思い出せる。

 前日の夜も中々寝付けず、テレビの画面の中で動くモノを目で追いかけるだけの作業をし続けた反動で、昼過ぎまで寝ていた。

 そういえば、その日に見た夢も、先ほど見たものと同じだった。


(まあ、どうでもいいか……)


 だが、『男』にとっては正直あまり興味がない。


 今自身が置かれている状況も含め、すべてに興味が失われていた。



−−−−事故

 自分の身の上に起きたことよりも、事故という言葉に心を持っていかれる。

 あの日、ファミレスから帰る途中、息子は交通事故に合い、6歳という若さで死んでしまった。


 ファミレスから家への帰り道にある唯一の横断歩道で赤信号を待っていた。


「お父さん、寒い!」


 2月の真冬。雪が積もるほどではないが、一昨日から寒波が空を灰色に覆い、風も強く、寒さを一段と引き立てていた。


 足に抱き着いてきた息子の頭をクシャクシャに撫でる。

 

 青信号の時に流れる独特のメロディが聞こえてくる


 2人で、横断歩道へ歩き始めようとした瞬間、ポケットにいれていたスマホが振動し、着信を知らせた。

 ポケットから取り出し、確認するとディスプレイには妻の名前が表示されている。


(ついでに買ってきてほしいものでもあったか)


 帰りにハガキか何かを買ってほしい、という話だったような気がする。

 息子は『男』が電話し始めたことを感じ取り、足から離れ、1人で信号を渡りだす。


(あ、一人で行ってしまった)


 後に続き、『男』も信号を渡り始める。


(ん?)


 息子が横断歩道へ4、5歩ほど進んだところで、後ろから黒色の乗用車が走ってくる。


(この車、少し早い気がするな)


 それほどスピードがでていないが、横断歩道がある交差点を通るにしては、早いように思えた。

 息子がいる所で止まれるスピードなのか疑問に思ったが、他にも信号を渡ってくる人もいるため、気に留めないことにした。


 しかし、『男』のそんな予想など、まるで意に介さず、横断歩道へ車はスピードを変えず、どんどん侵入していった。



「え?」



 心の中で言ったのか。声に出していたかは定かではないが、は、目の前で起きようとしていた。



(嘘だろ!? この車は止まらないぞ!!)



 『男』は状況を頭で理解できぬまま、反射的に息子を手繰たぐり寄せようとする。

 これでもかと言うほど、体を乗り出しながら、手を伸ばす。

 しかし、既に息子とは2mは離れている。

 

(手が届かない!!)


 息子は車の急接近に気が付き、少し硬直したように見える。

 車と当たる直前、息子は振り向き、恐怖に震える顔で、声振り絞る。


「おとぉさ」




ドンッ




 鉄板に柔らかいモノが当たったような不気味な鈍い音とともに、息子は車の左ドアに当たり、張り倒される様に後ろに転倒した。

 倒された体が地面に着いたかも分からないまま、後輪へと吸い込まれる。

車が異様に上下・・・・・・・する。



 車が息子の上を乗り上げ、そのまま通りすぎる。



−−頭が真っ白になる。




 一瞬の間が空いてから、息子がいる所まで全力で走り始める。

 一歩進むごとに息子の服に血のような赤黒い液体が広がる。1秒が長く感じるほどに刻々と息子の状況が変化し始める。


 周囲が一気に騒然とする。

 『男』は倒れる息子の傍で、膝をつけかがんだ。

 そのまま手で揺すりながら、グッタリする息子へ声をかけるが反応はない。


「おい!!大丈夫か?!! 大丈夫か?!! おい!」


 服と自らの手に、ベッタリと血が付いているが、

 どこから血が出ているのか、わからない。


 心臓がドドドッと激しく鼓動し、胸の奥から脳髄のうずいへとんでもなく不快な何かが駆け上がる。

 考えることを放棄しそうになるが、意識だけは妙にはっきりしている。


(とにかく病院へ!!!)


 一刻も早く病院に連れて行かなければ、という思いで思考が埋め尽くされていく。慌てて救急車を呼ぼうとするが、スマホがすぐに見つからない。


「だれか救急車呼んでください! だれか救急車呼んでください!」


 今までの人生を通して、これほどの声で叫んだことはない、と思うほど目一杯叫んだ。

 その後、救急車が来るまで、絶望的に長い時間。


 息子の名前を呼び続けた…。

−−−−−


 何度も事故のシーンをリプレイしながら生きてきた。

 事故という言葉を聞くだけで、連想してしまうほどに。


 息子を亡くしてからの人生は、文字通りの抜け殻だった。

 会社も辞し、妻とも別れ、家も売った。その後は、すべてが灰色で通りすぎていくだけの人生だ。


 おそらく一人息子を失った妻も似たような境遇だった。路上に落ちた電話越しに聞いていた喧騒と、病院で血色のない息子の姿をフラッシュバックのように思い出しては取り乱して、泣いていた。


 同じ辛さを分かち合い、支えあう事が夫婦だと、見知らぬ周りから散々言われたが、目の前で息子を死なせたことがない者に、一体何が分かるのか、と内心悪態をついていた。

 妻も、目の前でみすみす息子を死なせた『男』と、どう支えあえばいいのか心の整理がつかなかったようだ。結局、離婚し別々の街に移り住むことになった。


 そのまま、しばらく回想と後悔に浸っていると、周りに居た人たちは居なくなったようだ。

 

 また少し経ち、再度誰かが近くにいるように感じる。




「魔物図鑑を全て埋めてくれないか?」




 中性的な声がはっきりした。

 先ほどとは違い明らかに内容が聞き取れる。


(なんの話だ? 俺に話しかけているのか?)


「そうだ。魔物図鑑を埋めてほしい。」


 謎の声は同意する。


(意味がわからない。何が言いたい。)


「お前は、今、大きく傷つき、死は避けられない。このまま死んでもいいが、どうする?」


(やはりか。もう死んでいたようなものだったが、いざとなるとやってられないな)


「もし魔物図鑑を全て埋めてくれたら、息子が死ななかったことにしてやってもいい」


 あまりの言葉に一瞬、戸惑ったが、次に激しい怒りがこみ上げてきた。


(ふざけるな! 悪い冗談どころじゃない、最悪だ! 言って良いことと悪いことがある!)


 罵倒ばとうのために叫ぼうとすると、肺の奥あたりが大きく痛む。

 一言も喉から言葉として出ていかない。

 痛みにより少し冷静さが戻ると、自分が一言も話していない事に気がついた。


(声も出せない無いのに会話か。俺はついにおかしくなったのか)


「声は必要ない。意思だけで十分だ。どうだ? 息子が死ななかったことにしたいか?」


(幻聴か。事故の影響か何かか。 …ああ、そうしたいに決まってる。あの子が戻ってきてくれるなら…)


「戻ってくるわけではない。だが、死ななかったことにはできる。つまりお前の息子は生きることができる。」


(よくわからないが、生きていてさえいてくれるなら何でもする。…そうだ。何でもだ!)


「苦難に満ちた道のりになる。達成できないかもしれない。それでも本当によいか?」


(ああ、もちろんだ)


 息子が死んだという過去には介入できない。起きたことに対して人は何もできない。

 当たり前の物理法則だ。


 過去を変える。それは人が持ち得ない手段だ。ただ、人は人らしく嘆き後悔するだけだ。

 もし、過去を変える手段が存在するなら、本当に何でもすると強く思う。




「そうか。契約は成った」



 次の瞬間、『男』は意識が失う。


 ――『男』は、この世での生を終えた。

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