79 激闘!

 ……晴れた。快晴である。

 例年なら、体力の消耗が心配になる天候であるが。

「見よ! 天は我らが青組に祝福を与えもーた!」

 村松が、普段と変わらないクールな表情のままで空を指さしてそう叫んだのだが、「与えもーた」と言いたかったところを「与えもーた」とやってしまったのだから締まらない。村松は3年生男子から袋叩きにされ、女子に「村松クォリティ」との言葉を突き刺されていた。言いたいことはよく伝わったが、オチがつくところが村松らしさである。


 仕切り直すように、サッカーゴールに縛りつけて、青組の巨大な看板がその威容をあらわしてそびえ立った。

「スゲエ……」

 敵も味方も、その迫力に立ち止まった。赤組の鳳凰ほうおう、黄組の虎、緑組の風神図、それぞれにかなりの出来栄えだったが、くっきりと青い彫り物を浮かび上がらせて睨みをきかせる豪傑の姿は、見る者に呼吸を忘れさせた。立てられることを想定して陰影が計算され、制作中は「なんでこんなところをグレーにするんだろう」とシロウトが首をひねった箇所が、豪傑を立体的に見せるために絶大な視覚効果を発揮している。

「見ろよ、この反応。デコレーション部門はもらったな」

 浅川あさかわは、デコレーションリーダーの山岡の肩を、にやにやしながら揺さぶった。

「いや、こりゃスゲエわ」

 設営作業に参加した菊田きくたも、軍手を外しながら、しみじみと看板を見上げて言った。生徒会長である彼は、ダンスや競技の練習も、最低限しか参加していない。自分たちの組の看板も、ろくに見る機会がなかったのだ。せめて看板の設営だけは一緒にさせてくれと、運営本部の準備の合間をぬって、青組の応援席に戻ってきていたのだった。立場上、己の言動にも慎重な態度だったのだが、今日初めて看板の全容を目にして、単純な称賛が口をついたのだ。


 このデザインについて、実は職員室ではちょっとした物議をかもしていた。彫り物、すなわち現代で言うところの「刺青」を取り上げたデザインを使用することについて、危ぶむ声があったのである。その後、職員会議の議題のひとつとして取り上げられたのだが、「勇壮さと日本美術への称揚」という意見が意外に多数を占め、わりとあっけなく決着がついた。当然ながら生徒たちはそんな経緯いきさつは知らない。


 そして、入場行進の際に掲げて歩き、応援席の先頭に立てられるプラカードは、藍一色に塗り上げられ、勘亭流の書体で墨痕(?)あざやかにただ一文字「青」と書き上げられていた。

「それにしても、今年はどの組も和風というか、東洋風なテーマにそろったね」

「あら、ホントだ」

 女子が言い合う。

「幸先よし」

 土田は大きくうなずいた。

「そうね、村松がずっこけなければ完璧だったわね」

「あら」

 葉山に冷静につっこまれ、土田はかくっと姿勢を崩した。

「さ、設営もできたことだし、朝礼の時間よ。いったん教室に戻りましょ」

「はーい」

 土田を無視して、葉山は冷静な指示を下すのだった。

「……これで同一人物かね」

 青組キャプテンはぼそっとつぶやいた。どんな情景と比較しているのかは、定かでない。


     〇


 こうして運動会は開催されたが、青組は序盤からスムーズに、乗りに乗った。まずデコレーションの巨大看板で他チームを圧倒したのが効いた。学年応援代表同士で申し合わせがあったので、それぞれの学年だけが応援席に取り残されても、すぐさま応援を開始することができ、タイミングで他チームに先んじた。これで士気が上がらないはずがない。残念ながら士気だけではどうにもならない差はあるものだが、士気でくつがえせるものがあるのも事実だ。須藤が力まかせに大きな旗を振り回し、青いハチマキの選手たちは果敢に走り回った。陽佑ようすけも珍しく、高揚した気分で渦の中に飛び込んだ。徒競走では、組み合わせに恵まれたが1位を取った。自由距離リレーでは1周走って、バトンパスにもたつく黄組を抜き、順位を3位から2位に上げるという貢献を果たした。去年、文化祭で頭がいっぱいだの梅原とチームが違うだのとふて腐れていたのが嘘のように、陽佑は興奮していた。やはり、最後の学年で、最後の運動会ということが、心理的に影響しているのかもしれない。というか、それしか思い当たるものがない。

 競技の得点は、赤組に次いで2位というところで、午前中の部は終了した。2位といっても、午後一番にでも逆転を狙える僅差だ。そこで全員、勝負は一旦忘れ、クラブ対抗リレーで笑い転げ、ブラスバンド部によるマーチングバンドに拍手を送った。



 弁当を食べ終え、いよいよ騎馬戦に備えて、というところで、ちょっとした事件が起きた。最初の対戦相手である緑組――4組の男子が、先にグラウンドに集合し、青組の応援席めがけて挑発行動に出たのである。音頭をとっているのは当然と言うか大野で、直接的な悪口でこそないものの、青組をけなしていらつかせ、自分たちの士気を高めるものだった。こういうことは大野は本当にうまい。キャプテンとして何か言わなくてはならないけど、おれとっさにこういうの思い浮かばないんだよな、と土田が歯がみしたとき、これ借りるね、と女子の田村が言って立ち上がり、すたすたと歩いて青組応援席の真ん前に出ると、向き直った。

「ちょいとアンタたち、言われっぱなしで、勝負譲ってやる気じゃないだろうね? 気合い入れろ!」

 なんだかわからないが、つられて男どもは、おうっ、と返事した。去年の2学期に、須藤を蹴りつつ体育委員を務め、こええ、と言わしめた田村である。男子の誰かが持ってきた学生服の上着を左半分だけ引っかけ、青い大きな旗を右肩にかつぎ、いまや「青組最強のアネゴ」と化した田村は、誰かの空いた椅子にがつんと片足を乗せ、ちらりと緑組を振り返った――当然、青組だけでなく、彼らにも聞かせるつもりである。

「いいか、吠えたい奴らには吠えさせとけ。古来日本には、吠え面をかく、という言い回しがある。本当に強い奴こそ、無駄吠えなんざしねぇもの。こちとら実力で勝負だ。わかってんなお前ら! わかってんなら気合い入れろ!」

「うぉっす!」

 あっという間に男子は田村にまとめられてしまった。田村は満足げに男どもを見回すと、キャプテン、と呼んで脇へ退いた。おう、と返事して土田はみんなの前に進み出た。――田村のおかげで、土田は何を言うべきか、冷静に考えをまとめる余裕が与えられたのである。

「アネゴのおっしゃった通り(どっと笑い声)、緑組あいつらはたいした敵じゃない。ただし、舐めてかかるな。あいつらを倒さないと決勝戦には出られない。騎馬戦優勝のために、まずはあいつらを血祭りに上げてやれ!」

「おうっ!」

「……では、この後は能条のうじょうにまかせる」

 土田はひとつうなずき、「司令官」に青組男子の指揮権をゆだねた。

 組をまとめるために、誰もがとっさに、自分のできることをする。それが当たり前のことになってきた。……この風潮を作ったのは、自分ではない、と土田は思う。

 田村の激励が効いたのか、鬼司令官による模擬戦と指揮がよかったのか、騎馬戦は見事、青組の優勝に終わった。追いかけていた赤組の牙城を、直接突き崩したのである。すさまじい勢いで士気上がる青組の中で、陽佑は土の上に座りこんでぜーぜーはーはーと息を荒らげていた。能条の馬になっていた今回、一戦目は収穫がないまま生き残り、決勝戦で赤組のハチマキを3本奪う活躍に貢献した。ただし馬が駆けずり回った労力は半端ではない。一緒に馬を務めた西山も地面に倒れ込んでいる。もうひとりの馬だった村松は現役バスケ部員だけあって倒れはしなかったが、それでも疲れた様子でふらふらと応援席へ歩いて行く。

「大丈夫か、こき使いすぎたな、ゴメン」

 能条が、陽佑と西山をのぞきこんだ。自分が指揮を執った競技で優勝を飾れたのだから、いい気分である。陽佑はよれよれと起き上がると、西山を起こすのに手を貸したのだった。


 こうして午後も好スタートを切った青組は、その後も赤組と接戦を繰り広げた。須藤が先陣を切る応援の中で、それでも陽佑は、ちらちらと赤組女子が出る競技をチェックしていた。去年に続いて今年も、直接関わる機会はない。……ふと左手を見てしまう。彼女が出てくるとつい、青組よりそちらを、心の中で応援してしまう。裏切り行為もいいところである。

 しかし、最後の配点が大きな対抗リレーで、青組は僅差で3位に沈んでしまった。優勝は赤組、2位は黄組。この点差は大きい。すでに得点表には覆いがかけられている。勝負は微妙なところにもつれこんで終了した。

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