78 循環器の効能

 運動会前日。やれやれ、と土田は自分の席でため息をついた。

 青組の運動会準備は、システマチックに、各部署が準備を終了させつつある。進捗状況はいいテンポで、土田と葉山に報告されていた。


 デコレーションの看板は、事前に失格を宣告されかかるという未曽有みぞうの危機をなんとか切り抜け、完成した。江戸時代の浮世絵を題材にしたものだ。もろ肌を脱いだ武者(というより、水滸伝に材をとった豪傑がモデルらしい)で、彫り物が真っ青に、印象深く描かれている。元になった浮世絵とは背景を替えて塗りつぶし、武者の姿と彫り物がいっそう際立っていた。お披露目されたとき、3年生の誰もが「うっ」と声をあげるほどの迫力で、まさに見る者が気圧されるようだった。デコレーションリーダー山岡と、美術部部長小長井こながいの渾身の作だ。もちろん例の悪ふざけはとっくに消されていて、跡形もない。あとは当日の設営作業を残すのみである。


 応援合戦のダンスは、全体による通し練習も完成度を上げてきている。例の吉野たちは、下級生の指導役を外されて、きまり悪そうに笑っていたが、自分たちのポジションのダンスは仕方なさそうにこなしていたので、土田はそれ以上何も言わなかった。3年2組の大半から嘲笑されているのは、彼ら自身が甘んじて受けるべきだった。また、本番のダンス直前には、3年生があえて下級生に明かしていないちょっとしたデモンストレーションをする予定になっている。彼らも当日にそなえ、やるべきことはすべてやり終えていた。


 衣装班はすでに、仕事の9割以上を終えている。衣装の説明図が全員に配布された。上半身は、男子は長袖カッター、女子は半袖ブラウス、どちらも制服の流用だ。ボタンはとめず、前の裾を腹部で結ぶ。内側に、スカーフ状の大きな青い布をあて、首の後ろと腰の後ろで結び合わせてシャツに見立てる。女子のみ両方の袖口に青い粘着テープを巻いてラインを作る。下半身は、男子は制服の黒いボトムス、女子は不要になったシーツや布団カバーで縫い合わせた白いスカートに、青いラインを入れたもの。靴下は各自自前で白いものを履く。靴は学校指定の、白い体育館用シューズだ。衣装班が製作したのは、主に女子のスカートと、男女が内側に巻く青いスカーフである。デザインが固まるまではいろいろと揉めたが、決定した後の連城れんじょうの作業指揮はなかなかのものだったと、見物していた陽佑ようすけは思っている。本番2日前に、衣装は無事できあがり、スカーフが男女全員に、スカートが女子全員に配られた。スカートにはわざとウエストのゴムを入れておらず、各自で入れて調節してほしいと注意書きが添えてある。もちろん、このとき急に申し渡したのではなく、最初の組集会の連絡事項で「女子はスカートのウェストを各自で調節してもらうことになるので、ゴムを用意しておいてほしい」と予告してあるという念の入れようだ。連城は、でき上がった衣装を衣装班の下級生に持たせ、それぞれの教室での説明をまかせた。また、各自で加工するべき部分について連城は、加工の過程を教室備え付けのタブレットで撮影と編集を行って動画を作り、同じものを2年2組と1年2組のタブレットにも入れて、いつでも誰でも確認できるように手配した。あとは……当日忘れたとか破損したとかの対応になるだろう。


 3年生の学年競技となる「自由距離リレー」も、細切れながら練習が続いていた。これは、スタートとゴールは決まっているが、チームでひとりひとりが走る順番と距離はチーム内で自由に決めてよいというルールである。ひとりにつき走る距離は、グラウンド四分の一周、半周、四分の三周、一周、一周半、二周、のうちで自由に決められる。走者の順番ももちろん自由だ。ただしチーム全体での周回数はきちんと計測されるため、事前に確定させて届け出ておかなくてはならない。走るのが苦手な者は四分の一周ですませてもよいし、その分を走力に自信のある者で補って多く走ってもらうことができる。ただしアンカーは必ず一周以上、と決められていた。ああでもないこうでもないと話し合い、実際に走ってみてこれじゃないなと首をひねったり。この競技の作戦及び調整については、クラス委員の浅川あさかわ荻野おぎのが面倒を見ることになった。実務的な作業の多い体育委員や、キャプテン及び副キャプテンを、この競技の作戦そのもので煩わすことはできないと、クラス委員自らが名乗り出たのだ。騎馬戦について能条のうじょうが任されたのと同じ理屈である。登録締め切りの2日前にようやく形になってきたので、クラス委員はこれで確定と断をくだし、体育委員の日比野ひびの澤本さわもとに登録を依頼したのだった。同時にその走者の順番とそれぞれの距離についての名簿が、土田と葉山に提出された。残されたのは……当日の勝負である。


 男子による騎馬戦も、「鬼司令官」能条のうじょうのもと、動きがよくなってきた。なにせキャプテンの土田でなく、騎馬戦のことだけ考えればよい専任の司令官であるから、集中力の度合いが違う。たかが運動会の騎馬戦で、そうそう戦術的に動けるわけでもないのだが、やはり周囲を見渡して、ちょっとしたカバーやフォローを指示できる存在がいることは心強い。陽佑は今回、その司令官の「馬」の一部に組み入れられた。司令官の馬ならあまり動かなくてラッキーかなと思っていたら、能条は自分も戦いつつ「前線で指揮を執る」タイプだったので、運動量がとんでもなかった。さんざん走り回され、模擬戦が終わったあと、通常モードに戻った能条に「おい大丈夫か」と心配されたほどだ。もう仕方がない。それに模擬戦をいくらやっても、実戦でどうなるかはわからないものだ。最終的な作戦の基本案は、すでに土田に提出されている。結局土田に報告が必要なのだが、自分で考えなければならないのと、責任者から立案を報告されるのとでは、土田の負担は大きく異なる。


 競技中、およびその合間の応援については、陽佑の提案で須藤が、2年生と1年生の学年応援代表に声をかけ、打ち合わせや申し合わせを行っていた。「応援なんて出たとこ勝負だから、いちいち内容言わねーけど、そういう打ち合わせやってっから、そこんとこよろしく」などと、須藤は超簡潔な報告を土田によこしたものだった。日頃おっちょこちょいでいい加減なところのある須藤だが、以来応援について誰かが新機軸や道具を思いついて提案してくると、「これ下級生にも教えておいた方がいいかな」という頭が回るようになってきた。


「こうやって、できました、って報告ががんがん来るのは気持ちいいもんだな」

 運動会の運営本部となる生徒会執行部に提出する書類を、葉山と分担しつつ、土田は言った。近頃下級生の女子からは「キャプテンかっこいいよね」「あたしはデコレーションリーダーの方が」という声がちらっと聞こえることがあり、特に女子からの評判に耳ざとい両者はしょっちゅう、「おれの方がモテる談義」で盛り上がり、同級生たちから生ぬるいまなざしを集め、葉山に超低温の視線を突き刺されている。

「まあね。そのかわり、打ち合わせやら会議やらの数が半端じゃなかったけど」

 学校ではいかにも委員長然とした真面目そうな表情で、葉山は手元のメモと書類を照合しながら答えた。

「まあそれは、おれが望んだことだから」

 あと5分でクラブ行かねえと、と思いつつ、土田は応じた。

「責任とか権限とか分担したら、その分、連絡とか意思疎通は頻繁にとらねえと、意味ないからな。何もかも自分でやるのと、どっちが楽か、どっちが自分に向いてるか、ってことだな。さいわいウチは、心臓が健康に機能してるようだから」

「心臓というより、血管という気がしないでもないわね。……ところで土田くん、ここ間違ってるわよ」

「……げ! もう時間ねえってのに」

 青ざめる土田と、小さく笑う葉山。ふたりの様子を、まだ教室にいた一部の女子が、仲のおよろしいことで、と見守っていた。

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