91 予感

 ……もう、視界の端にちらっと映っただけで、見分けられるようになってしまった。陽佑ようすけ連城れんじょうはそろって首をひねり「よう梅原」と声をかけた。梅原はにこっと笑って、手を小さく振りながら廊下を通り過ぎて行った。

 ……梅原の態度が、少し変わった。

 彼女の後ろ姿を反対側の視界の端で見送りつつ、陽佑はなんとなくそう感じ取っていた。どこがどんなふうに、と聞かれると、答えにつまる。うまく論理的に述べられない。が、どことなく、そう思えてしまう。

 一部、推薦入試で合格者が出始めてもいる時期だった。今年はさすがに、バレンタインを控えてロッカーを整頓するという男子はほとんど見かけなかった。いや、いたかもしれないが、こちらもいちいち注意して見ていなかった。梅原からも何もなかった。まあ当然だが。そもそもホワイトデーの前に卒業式になってしまう。


 放課後、連城は用事があるので先に帰ると言ってきた。陽佑も内心で、今日はひとりで帰りたいと思っていたので、渡りに船だった。その後陽佑は、いつもと違う道すじを通って、書店に寄って帰ることにした。


 昼間の梅原の様子を、思い出す。


 ……ばれたのか。俺か連城の、気持ちが。


 告白など考えたこともないと、連城は言っていた。陽佑も、自分の気持ちを伝えることは思いもよらなかった。だから梅原の前では、否、連城とふたりのとき以外は、その感情を表に出さないようにしてきたつもりだ。たぶん連城もそうだろう。でも、自分たちがどんなに気をつけたつもりでも、何かのきっかけでふと悟られてしまうことは、あり得る。現に堀川にははっきり指摘されてしまったし、双川ふたがわにもなんだか見透かされているような気がする。梅原の方でも、友だちに何か言われたのかもしれない。あのふたりは梅原に気があるんじゃないの、とか。――男子が違うクラスの特定の女子に毎回呼びかけていれば、そう思われても不思議じゃない。バレバレじゃないか。


 それとも、俺たちとは無関係かもしれない。梅原だって、俺たちの知らない悩みくらいあるだろう。

 そもそも……梅原の様子がおかしいというのも、陽佑の思い違いかもしれないのだ。


 連城には言えなかった。こんな不確実な話を振っても仕方がない。かといって、今日一緒に帰っていたら、どうしても気になってひとりで考え込んで、不審がられるに違いない。


 連城をひとまず切り離して考えよう。俺は、梅原をどう思っていて、どうしたいんだ?


 梅原のことを……好き、だと思う。連城も知っていることだから、今さら否定しても仕方がないことだから、認めてしまうが。でも、気持ちを伝えるという発想はなかった。3人で、どうでもいいことをのんべんだらりとしゃべくるのが、何よりも楽しかった。あの時間が、中学校生活で何よりも大切な時間だった。ずっとそうしていられたら、よかった。


 ……なんか、落ち着かなくなってきたな。陽佑はひとりできまり悪くなった。


 もしも、梅原に、告白したら、……どうなるだろうか。

 梅原が、陽佑と連城と、どちらか選ぶとしたら。

 それとも、どちらも拒絶したら。


 ――ああ、そうか。……陽佑は納得した。自分と連城と、どちらかの気持ちが梅原に伝わったとき、あのひとときは終わってしまうのだ。梅原が、、などということはあり得ないのだから。


 梅原と一緒の時間を過ごすのに、これまで連城を邪魔だと思ったことはない。どうも不思議な感情だと思っていたが、これなら説明がつきそうだ。……あの時間を築くために、連城が必要だったのだと。たぶん連城にとっての陽佑も、同じだろう。それがわかっていたから……「排除」するという考えが出て来なかったのだ。

 けれども、それももう強制終了のときを迎えようとしている。卒業式まであとひと月もない。3人でああして過ごせる時間は、数えるほどしかない。いや、もうとっくに終わってしまっているのかもしれない――梅原のあの態度では。

 陽佑は足を止めた。焦りと、不安と、切なさの奥底で、何かべとついた醜いものがうごめいているような気持ちの悪さを感じた。


 ――俺って、こんなどろどろしたこと考えるような人間だったっけ……?


 はじめて、連城と一緒にいなくてよかったと、思った。


 以前は、自分の気持ちを梅原に伝えるなど、思いもよらなかった。

 今は……、と思う。もう梅原には気づかれているかもしれない。けれど、これ以上はっきりと確信させてはならない。彼女の疑惑を「かもしれない」段階のままで終わらせなくてはならない。

 難しいことではないはずだった。卒業式までもてばいい。どうせ進学先は別々なのだから、何もしなくても、そこで終わりにすることができる。


 ……これ以上、汚らしい自分を、知られる前に。

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